吉祥院天満宮の次は、綾戸國中神社(あやとくになかじんじゃ)に行ってきました
鳥居をくぐり、クネクネ曲がってる石畳を30メートルほど歩いて行くと、
拝殿と本殿があります
元々は、綾戸宮と國中宮の二つの社殿があったそうですが、昭和9年の室戸台風により倒壊してしまったため、一つの社殿に合祀されたそうです
御祭神は…
綾戸宮に、 大綾津日神(マガツヒノカミ),・大直日神(オオナオヒノカミ)・神直日神(ナオビノカミ)
國中宮に、素戔嗚尊(スサノオノミコト)
この國中社、京都の八坂神社と深い関係があるみたいで…
『日本三大祭のひとつ祗園祭には欠かせないものとして山城國乙訓郡訓世村(現南区久世上久世町)の綾戸國中神社の「久世駒形稚児」がある。
その昔、神代の頃素盞鳴尊が山城の地西の岡訓世の郷がまだ一面湖水の時、天から降り給い、水を切り流し、土地を開き、広々とした平野とされた。
そして、その國の中心と思われる所に、「符」を遣わし給うた。その「符」とは尊の愛馬天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海する前に形見として遣わし給うたのである。
この形見{符}が國中社の御神体であり訓世の郷から祗園祭に供奉する稚児が、胸に御神体である駒の頭の彫刻を棒持することから「駒形稚児」と言われる所以である
ところで、この「駒形稚児」と祗園祭との関係は、
「國中社は素盞鳴尊の荒御魂なり。八坂郷祗園社は素盞鳴尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり。」
と古文書に記され、
「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」
とも伝えられている。』【綾戸國中神社公式HPより】
つまり、久世駒形稚児が八坂神社に到着しなければ、祇園祭が始まらない、ってくらい重要な神社
神社の隣に、社務所があり、
昔は、併設されていた薬屋さんで御朱印が頂けたそうですが、現在は薬屋さんは無くなっており、
直接、社務所で御朱印を頂くみたい…ですが、
開いている時間が短く、御朱印を頂くのは難しそうです