玉津島神社の次は、淡嶋神社(あわしまじんじゃ)に行ってきました
全国にある、淡島神社・粟島神社・淡路神社の総本社なんだそう
鳥居をくぐり、魚屋さんのある参道を60メートルほど歩いて行くと、
二の鳥居があります
二の鳥居をくぐり、左に曲がって行くと、本殿があります
御祭神は、少彦名命(スクナヒコナノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)・息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
『その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。』【淡嶋神社公式HPより】
この淡嶋神社は、人形供養で有名で、境内にはたくさんの人形や置物、お面などが置いてありました
夜に来たくない場所ですね
絶対怖いでしょ、コレ
特に、日本人形なんか夜中に見たら…
境内には、境内社がありました
また、御神水も湧き出ています
他に、塩壺なるものがありまして、この水を歯につけると、歯痛が消えた事から、身体の痛い部分にこの水を付けると、治る云われているそうです
授与所の前に、紀文の帆柱というのがあり、紀国屋文左衛門(キノクニヤブンザエモン)のみかん船の帆柱なんだそうで、
祈願しながらくぐると、願いが叶うそうです
ちなみに、ウキペディアで紀国屋文左衛門を調べたら、ミカン船伝説というのがあるそうで…
『文左衛門が20代のある年、紀州は驚くほどミカンが大豊作だった。収穫されたミカンを江戸に運ぼうとしたが、その年の江戸への航路は嵐に閉ざされていた。江戸へ運べなくなり余ったミカンは上方商人に買い叩かれ、価格は暴落した。当時江戸では毎年鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」があった。この祭りでは、鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒いて地域の人に振舞う風習があったが、紀州から船が来ない事でミカンの価格は高騰していた。
紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけたのが文左衛門だった。早速文左衛門は玉津島明神の神官で舅の高松河内から大金を借りてミカンを買い集め、家に残ったぼろい大船を直し、荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の太平洋に船出した。大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、文左衛門はついに江戸へたどり着く事が出来た。この時の様子が「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」とカッポレの唄に残った。
ミカンが不足していた江戸でミカンは高く売れて、嵐を乗り越えて江戸の人たちの為に頑張ったと、江戸っ子の人気者になった。』【ウキペディアより】
淡嶋神社の御朱印