御金神社の次は、晴明神社(せいめいじんじゃ)に行ってきました
境内に入る前から、すごい人、人、人…
さすが人気の観光スポットですね
一の鳥居をくぐって、30メートルほど歩き、一般道を挟んで二の鳥居があります
二の鳥居をくぐると、正面に本殿があります
御祭神は、安倍晴明御霊神(アベノセイメイゴシンレイ)
『創建は、寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました』【晴明神社公式HPより】
安倍晴明公は、天文暦学の道を深く極め、式神(しきがみ:古くから存在する呪術のひとつ)を思いのままに操る霊術をも身につけられていたそうです
境内の壁に、安倍晴明公の逸話が並んでいました
本殿の横には、境内社があります
境内社の前には、厄除桃
御神木は、樹齢約300年の楠
境内の隅には、晴明井がありました
他に、昔、実際使われていた『一條戻橋』というのがあり、
現在の一條戻橋は、ここから南へ100メートルの場所にあるそうです
という事で、現在の一條戻橋へ来てみました
918年、三善清行(ミヨシキヨツラ)が亡くなった時、父の死を聞いた息子の浄蔵(ジョウゾウ)が、熊野から京都に帰ってみると、葬列が、丁度この橋の上を通っていました
浄蔵が泣き悲しみ、棺にすがって祈ると、清行が生き返ったという伝説があります
一條戻橋は、「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも呼ばれているそうです
サスペンスドラマを見てたら、一條戻橋が出てきて、一度来てみたかったんですよね~
本物の一條戻橋が見れて、ちょっと感動(/_;)
晴明神社の御朱印
御朱印を頂くと、B5サイズのクリアファイルも一緒に頂けます