【その1】の続き…
稲佐の浜から、出雲大社に戻ってきました
鳥居をくぐると、下り坂になってる、長ーい参道を歩きます
参道の途中には、祓社(はらえのやしろ)があります
祓社で穢れを落として、更に参道を進みます
途中、神橋があり、
神橋の手前を左に曲がると、野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)がありました
相撲の神様なので、近くには土俵があります
平成25年に、白鵬関と日馬富士関が、平成の大遷宮の奉納土俵入りしたみたいです
社殿の前には、まわしを着けてる、ウサギの石像がありました
参道に戻り、神橋を渡ると、参道の中心に鳥居があります
中央に道はあるけど、神様の通り道なので通れない
なので、左右の参道を歩いて行きます
参道の途中、左手には、縁結びの碑というのがありました
更に、因幡の白兎の一場面を再現してる銅像もあります
参道の右手にも銅像が…
国づくりを一緒にしていた少彦名が、常世の国に帰ってしまい、大国主が悲しんでいると、神々しい光で海を照らしながら、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)の神が現れた…という場面が銅像になってます
本物が見れて、嬉しい~
ちなみに、 この幸魂奇魂は、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られている、大物主神(オオモノヌシノカミ)のこと
参道に戻るり、先に進むと、鳥居があり、
鳥居をくぐると、拝殿があります
しめ縄も、社殿も大きい('Д')
出雲大社は、二礼四拍手一礼
そして、拝殿の奥には八足門(やつあしもん)があり、
その奥に本殿があります
御祭神は、大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子供で、少彦名命(スクナヒコナノミコト)や、大物主神(オオモノヌシノカミ)と協力し、国づくりを完成させた神様
八足門の前には、丸くて赤い印があります
この印は、平成12年に発見された、御柱があった跡
地下室拡張工事に先立って行われた事前調査で、大昔、本殿を支えていた御柱が発見されたそうです
現在、心御柱は、境内にある宝物殿、宇豆柱は、島根県立古代博物館に展示されています
両方とも行ってきたので、あとでレポートします(・ω・)ノ
本殿の周りには、境内社がありました
東側には、天前社(あまのさきやしろ)と御向社(みむかいのやしろ)
手前が、天前社で、
奥が、御向社
西側には、筑紫社(つくしのやしろ)
筑紫社の前には、こんな場所があります
本殿の中に祀られてる大国主大神は、西側を向いているため、ここから参拝すると御神座の正面になるので、ここからも参拝するといいと言われています
本殿の北側には、素鵞社(そがのやしろ)があります
大国主大神の父親である、素戔嗚尊が祀られています
ここで、稲佐の浜で取ってきた砂の出番
社殿の下に、シャベルのある砂の木箱があり、
稲佐の浜で採ってきた砂を置いて、木箱の砂を持ち帰る事ができます
持ち帰った砂は、参道にあるお店で、砂を入れるお守り袋を買って中に入れています
社殿の裏側には、立入禁止の神域になっている、八雲山の一部に触れられる場所があり、こちらでパワーを頂きます
八足門の左右には、十九社(じゅうくしゃ)があり、
旧歴の10月に行われる神在祭、その際の神々のお宿になってます
他にも、本殿の周りには、境内社や社殿がありました
【氏の社(うじのやしろ)】
【氏の社(うじのやしろ)】
【文庫(ぶんこ)】
【彰古館(しょうこかん)】
境内の西側には、太いしめ縄が有名な神楽殿があります
近くで見ると、やっぱデカイ!
神楽殿の周りにも境内社がありました
【天満宮(てんまんぐう)】
【天穂日命社(あめのほひのみことのやしろ)】
【天夷鳥命社(あめのひなとりのみことしゃ)・荒神社(こうじんじゃ)】
【稲荷社(いなりのやしろ)】
【火守社(ほもりのやしろ)】
【姥神社(うばかみのやしろ)】
【金刀比羅宮(ことひらぐう)】
【祓社(はらえのやしろ)】
【祖霊社(それいしゃ)】
【都稲荷社(みやこいなりしゃ)】
そして、道の奥にこんな看板が…
奥に、三歳社(みとせのやしろ)という神社があるみたい
普通に舗装されてる道を200メートル歩いて行くと、案内板があります
え?ここからさらに300メートル歩くの?
って事で、ここからは舗装されてない道を歩いて行きます
橋も渡って行きます
で、三歳社に到着
この他に、境内の東側には、命主社(いのちぬしのやしろ)というのもありました
社殿の裏には、真名井遺跡と書かれてる場所があります
他に、杵那築森(きなつきのもり)というのがありました
境内には、因幡の白兎に因み、ウサギの像があちこちにありました
可愛い
俺的には、大国主といったらネズミのイメージがあるんですけど、ネズミの像みたいなものは、どこにもありませんでした
出雲大社の御朱印
他に、神楽殿の御朱印も頂けます
【その3】に続く…