舞台映えしないダンサーに欠けている物は?


 美しい身体に高いテクニックを持っているダンサーでも、ある要素が欠けると踊りが美しくなくなります。




 それは何か?




『見せる意識』です。



 
 良いダンサーの筈なのに「イマイチ舞台映えしない」とか「テクニックはあるのに雑で綺麗ではない」とか云うダンサーには、この「見せる意識」が欠けている場合が多いのです。

 「見せる意識」とは観客に『この形を、この動きを見て欲しい!』と云うダンサー本人の主張であり、それを観客が受け取るからこそダンサーと観客の間に繋がりが生まれるのです。




「見せる意識」は踊りの設計図!


 「見せる意識」とはダンサーにとって踊りの設計図の様な物で振付けを音楽にピッタリと合わせて踊りと音楽の融合をし、更に観客の目から最も美しく見える身体の角度等の諸々を決めて行く事なのです。

 これらが決まっていないまま踊り始めれば、振付けに対して音楽が余ったり足りなかったりしますし、力任せに動く等の不調和が起こります。


 また設計図の無い無計画な踊りでは、毎回同じ振付けを同じ音取りで同じ様に踊る事は不可能ですよね?

 ある音楽家の方が『日本のバレリーナは雰囲気で踊っていて音を聞いてくれない!』と仰って居たのを聞いた事があるのですが、これこそ見せる意識の欠如したダンサーの事を言っていて、音を外して踊るのを見るのが音楽家として辛くて、ふと漏らしてしまった言葉なのでしょう。

 これは音楽家だったら致命的な事なのですがバレリーナの場合はそれに気付かれない場合が多いのが問題の根深さなのでしょうね。





ポジションを見せる意識!


 「流れる様な動きの中でも観客に見せるポジションを決められた音で確りと見せる」


 それが音楽性と表現力を兼ね備えている本当に良いバレリーナです。 そう云うバレリーナを育てる為には手足と音の連動の決まり等をなるべく早い段階から正しく教え込む事が大切です。

 海外の国立バレエ学校等では低学年の生徒に腕や脚の動きを厳密に教えて、毎回必ずポジションを確認させて決して流して動かさない様に指導するのは、この為です。


 「毎回ポジションで止めていたら踊りがギクシャクしてしまう!」と云う主張も日本の指導者間ではある様ですが、それは違います。

 動きの速さに関わらず必ず決められたポジションを決められた音で通過出来る様に訓練する事が流れる様な動きを作り出していて、それが守られない踊りにはルールがなく、ただ雑然と動いているだけになるからです。


 例えばパリ・オペラ座バレエ団のダンサー達の踊りに気品を感じるのはバレエ学校時代にこう云う事を叩き込まれていて、空気を吸う様にそれが出来るからなのです。




「音を聞いて!」の意味は?


 「音をちゃんと聞いて」と注意すると「聞いてはいるんですが・・・」と云う返事が来る事があります。

 これは完全に言葉の意味を取り違えていて会話が成り立っていません。


 私の「音を聞いて」は前述した様な「踊りの設計図を描いて」と云う意味なのですが、生徒の返事の意味は文字通り「音を聞いた(音楽を鑑賞した)」だけで動きとの繋がりなどを全く考えていないのでお互いに意味の通じない会話になってしまうのです。


 まあ指導者側にも意図を伝える努力がもっと求められるとは思いますが、生徒側も言葉の奥の意味まで理解する能力を磨かなければならないでしょう。



 私は教える時に最大限に動きと音、全身の連動を言葉で伝えて、更にやって見せているのですが『見せる意識』が未だ芽生えて居ないダンサーには、それが通じにくい様で苦労しています。
 美しいダンサーとなる為には、先ずそこの意識改革から始めて欲しいです。 より良いダンサーとなる為に正しい努力をしましょう。