力の均衡を意識する!


 “体幹を保つ”とか“バランスを取る”と云った事は力の均衡から起こっています。 つまりあらゆる方向から身体は常に引っ張られていて、それぞれの対角線上での引き合う力が釣り合った時に中心位置が決まり空間に静止する事が出来る様になります。 これらが体の各部で起きていて全ての部分の力の均衡が取れた所でバランスが決まります。 ですから体幹が歪んでいても力の均衡さえ取れればバランスを取っていられるので天性の感と云う物でバランスが取れてしまう者も数多く存在します。 「テクニックはあるんだけど美しくない!」と云うダンサーはこの部類に入るのでしょうね。

 美しく踊るダンサーは力の均衡が取れた時の中心位置が一直線上に並ぶように常に気を配っても居るので体幹が歪まずに居て、またそのお陰で動きと動きの繋ぎもブレない様に意識する事が出来る様になります。


 そして“静止”は力の均衡ですが“動く”と云う事は力の均衡が崩れて力の強い方へと移動する事となります。 つまり踊るとは自ら力の均衡を崩して行く事で、力の均衡の崩し方を意のままに操る事が身体をコントロールすると云う事なのです。

 まあ力学的な話をすると凄く難しそうですが実際の身体のコントロールはこんなに七面倒臭い事は考えていませんが。



身体は伸ばすのでは無く、引っ張られる!


 “脚を伸ばす”時に“膝を伸ばす”と考えるのと“脚は両端から引っ張られて伸びる”と考えるのでは結果が違って来ます。


 “両端から脚が引っ張られて伸びる”と考えてタンデュすると結果的に膝関節が真っ直ぐに伸びます。 そして両側から引っ張られている為に絶対に過伸展にはなりません。 脚の前側も裏側も全ての筋肉が同じ様に引っ張られて伸びて行く感覚になり力の均衡が得られる状態に自然となります。 また脚が引き伸ばされている事で脚を一本の物として認識する意識が生まれ全身と繋がります。 そして副次的に膝周りの筋肉に余計な力が入らずに脚全体を比較的リラックスした状態に出来ます。


 他方“膝を伸ばす”と考えると膝関節を伸展する事を強く意識してしまうので脚を長く伸ばす事には意識が向きません。 また大腿四頭筋側を強く縮めて、逆側の大腿二頭筋側を緩めてしまいますが、これでは力の均衡が大きく崩れていて過伸展になり易くなります。 長く伸ばす(引き上げ)意識が希薄な上に過伸展し易いのでは危険ですし身体全体の引き上げの意識も生まれないのは問題ですよね。


 この2つの大きな違いとは何かを一言で言うと「自ら能動的に動く」のか「外部から力が加わって受動的に動く」のかの違いと言えます。

 踊りは勿論「能動的に動く」に決まっていると殆どの人が考えるでしょうが、バレエの基礎理論では「受動的に動く」事を教えています。

 勿論本当に外部から力が加わる訳ではありませんから、そのような意識で身体をコントロールすると云う事なのです。


 自ら動いているのに外部から力が加わっているかの様に動いて見せる等は無理だと思うかも知れませんが、それをごく普通にやっている人達がいます。


 パントマイマーです。


 彼らに掛かれば何も無い所に見えない壁が現れてパントマイマーが前に進めなかったり、カバンが空中に固定されて押しても引いても動かなかったり、誰も居ないのに突然誰かに腕を掴まれて引っ張られたりと云う事が起こるんです。

 でもこれって、その様に見せかける技術ですよね。 バレエでも同じ様な技術で外部から身体が引っ張られたりしています。 シェネでは「後ろの踵が次に足を置く位置から引っ張られて、その踵に脚と骨盤が引っ張られて向きが変わる」と云う原理で正確に半回転ずつの動きが続けられるのです。 決して上体や骨盤から動くのではありません。 もし骨盤から動くと意識していると一瞬ですが脚がアンドゥダーン側に回ってしまう瞬間があったり、客席に正対する事が出来なかったりして、それらは美しい形を損なう要因となるのです。


 良い踊りをする為には発想の転換が必要です。 横のバットマンタンデュからパッセに移行するには単純につま先だけが内側に引き込まれれば膝より上の意識を変えずに済みます。 つまりタンデュで脚を横に張っていた意識を変えないのでパッセでも膝を横に張り続けて居られるのです。 これを脚をパッセにすると考えると膝の張りが一瞬失われ、その後に改めて張り直すと云う余計な事をしてしまいます。 こう云う事がクオリティを下げていくのです。 ですから動かすべき箇所だけを素直に動かせる様に人形師に操られるマリオネットの様に外部から操られていると考えて身体を動かせる様になる事が自由に動ける秘訣なのです。