(前回から続く)

 

私が指導役を期待された若手には、既に指導者がいました。私が入社することにより、私はその方の役割を奪うことになりました。

 

その方は反発しました。その方は私の入社後も同じ課内に残っていたため、私は「いじめ」にあってしまったのです。詳細を書くことはしませんが、人間の嫉妬というのは恐ろしいものだというのが偽らざる感想です。

 

また、お客様も以前担当していた金融機関のように紳士的ではありませんでした。この10年くらいで急成長した代理店で、かなりワイルドな社風でした。取締役が多額の現金をアタッシュケースに入れて持ち歩いていました。課長が取締役になったり、取締役が係長になったりという、信賞必罰を徹底した人事も売りでした。

こちらも私に合いませんでした。

 

その結果、精神的に不調になり、また尿管結石で体調を崩すなどして、私は入社からわずか4カ月で退職することになってしまいました。

 

退職後は、また司法試験受験生となり、2回ほど受験しましたが、結果は明らかでした。

 

このままでは、一生を棒に振ってしまいかねません。

何とかしたくても、司法試験も就職も何の展望もありませんでした。

 

ここで窮地に陥った私を救ってくれたのは「人の縁」でした。

 

まず、私の人生を変えるきっかけをくれたのはO君です。

 

O君は、私が司法試験に復帰した後、気分転換にアルバイトしたある受験予備校で一緒だった私より10歳ほど年下の司法試験受験生です。

 

私のアルバイトというのは、公務員試験のテキストを作る、というものでした。アルバイトが作るテキストでしたが、1つの原稿を4人~5人の受験生が目を通し添削し、疑問点はとことん議論し調べて作っていたのでそのレベルは高く、信頼度も抜群でした。

 

テキスト作成の現場では、その頃普及が始まったパソコンが使われていましたが、当時の私はパソコンを使うことができなかったため、特別に紙にプリントアウトしたものを使わせてもらっていました。

 

しかし、他のアルバイトは直接ワードファイルを修正していたのに、私はPCへ入力は他の方にお願いしていたので、その分余計な手間がかかります。お荷物なのは明らかでした。

 

また、その仕事でお荷物なだけでなく、就職するときに不利なのは明らかでした。

 

私もPCを購入し、勉強したいとは思っていたのですが、家族の理解が得られません。当時のPCは高価で、会社を退職した私では家族を説得できなかったのです。

 

O君は非常に同情してくれました。見るに見かねたのでしょう。

 

「ヒデボーさん、それではこれから先とても困ることになりますよ。これからはどんな仕事でもパソコンを使うことになります。」

 

彼は一計を案じてくれました。

 

(次回に続く)

(前回から続く)

 

教訓③

 

嫌いなことにすべてを捧げてはならない。

 

当時の司法試験は合格率1%~2%でした。100人の受験生がいて、98人は合格しないという過酷な試験だったのです。

 

私は何を血迷ったのか、法律が嫌いなのに、その過酷な試験にすべてを捧げてしまったのです。結果は最初から見えていました。

 

私は、自分の好きなことを仕事にするのが一番良いと思います。

 

しかし、そのようにうまく行くとは限りません。自分の好きなことを仕事にできているのは少数派でしょう。

 

問題は自分の好きなことを仕事にできないとき、どうするかです。

 

少なくとも嫌いではないことを選ぶべきだと思います。

好きでなくとも嫌いでなければ、何とかなると思います。私は選択を完全に誤ってしまいました。

 

 

5回目の試験の不合格が決まったのち、私は司法試験から撤退し、再就職することにしました。

 

複数の転職斡旋会社に登録しました。話自体がありませんでした。35歳で社会人生活から5年以上離れている者の再就職は厳しいものがありました。書類を提出することすらできませんでした。

 

しかし、私は本当にラッキーな男です。

 

やがて、当時は勢いのあったある通信キヤリア(現在は会社自体完全に消滅しています)に就職が決まりました。待遇も非常に良く、なんと30歳のときに退職した会社の退職時の年収の1.5倍でした。

 

私の営業経験が買われ、若手の営業マンの指導役を期待されたのです。

 

ところが、私はこの好待遇と期待を活かすことができなかったのです。

 

(次回に続く)

(前回から続く)

 

そして、会社に対する不満が頭の中をよぎるようになりました。

 

まずは、給与についての不満です。私の会社は大企業でしたが、賃金水準は高くありませんでした。

 

都内の中小金融機関の担当だったころ、可愛がってくれたあるお客様の部長さんに

 

「キミが給料が安いと文句を言っていたが信用していなかった。でも、私の息子がキミの会社に入って初めて本当だと分かった。すまなかった。本当に安いんだね。残業しないと生活できないようにできているんだね。」

 

と言われたことがあります。

 

もっともこの部長さんは大手の金融機関からの天下りなので、高給とりだったということを割り引く必要があります。生活できないというのは少し大げさで、「良い生活ができない」というのが本当のところです。しかし、若手から中堅に関しては、世間のイメージほど高額でないのは事実でした。

 

その次はサラリーマンであること自体への不満です。

 

「そうだ、俺は1人で仕事をするのが好きなんだ。組織的に動くのは好きではないのだ。」

 

営業という仕事には、自分に向いている側面もあるという事実はどこかに吹っ飛びました。

 

会社を辞めるという選択肢が浮上しました。

完全に拗ねていた私は、会社にとどまってどうにかしようとは考えませんでした。

 

サラリーマン7年目が半分過ぎたころ、退職しました。すでに結婚していましたが、家内は反対しませんでした。家内のお父さんが理解を示してくれたことが大きかったと思います。

 

退職後は司法試験の勉強を始めました。父親が法律関係の仕事をしていたこと、合格後は高収入が見込めること、組織に属さない働き方が可能であること、が理由です。

 

しかし、私は法律が嫌いでした。それまで司法試験の受験は避けてきたのです。

 

「分からないから嫌いなだけだ。勉強して分かるようになればきっと変わる。」

 

私は、自分にとって都合の悪い事実はないことにしてしまうという誤謬に陥ってしまいました。

半世紀前に無謀な戦争に突入した、ある後発先進国と同じでした。

 

自分で自分に鞭打って1日8時間ほどの勉強を継続しました。でも、勉強すればするほど法律がドンドン嫌いになっていきました。

 

普段は乗り物酔いをしない私が、電車の中で無理して法律の本を読んでいると、気分が悪くなるようになってしまいました。「択一」と言われる、マークシートの足切り試験には2回合格しましたが、天王山の論文試験は突破できませんでした。

 

退職から5年経過しました。展望が全く開けませんでした。

 

(次回に続く)