(前回から続く)
その会社の社員は助け合って仕事をしていました。みな、私のように脛に傷を持つ人たちばかりでした。
親から引き継いだ呉服屋を倒産させた人、経理なのに間違えてばかりでクビになった人、部下を引き連れて独立しようとしたら情報が洩れてつぶされてしまった人、上司と衝突して勢いで辞めてしまった人・・・。
仲間意識が非常に強く、一体感はぴかいちでした。私が社内でガッツポーズすると、
「ヒデボーさん、やりましたね。ガッツポーズですね!」
と言って拍手してくれる、そんな感じでした。
しかし、私はその会社に一生いるつもりはありませんでした。
できて5年ほどの会社で、50人規模では将来が不安でした。給与水準も低く将来上がる望みもありませんでした。役員でも年収600万ほどでした。何より長時間労働を強いられました。週に3日はカプセルホテルに泊まっていました。ホテル代は自腹でした。若いうちしか勤まらないのは明らかでした。
正社員になると同時に、就職活動を始めました。
今度はなぜか、いい線まで行く会社が結構ありました。
役員面接まで行った会社が2社ありました。しかし、内定は出ませんでした。
秋になりました。私は少し焦っていました。すでに10社以上の面接を受けていました。
意を決して、新卒で入社した大企業時代にお世話になった方に連絡を取ることにしました。
その会社に戻るのは無理ですが、グループ会社なら何とかなるのではないかと思ったのです。その方から、日時指定で自分のオフィスまで来るように言われました。
しかし、その指定日時にはお客様とのアポが入っていました。
さて、その頃、私の職場には「Aじいさん」と呼ばれる、日本でもトップクラスの音響メーカーの営業部長まで上り詰め、定年退職後に移ってこられた方がいました。私の会社では一担当者でした。
Aじいさんは非常に男気のある方で、自分がおかしいと思ったことは全て口に出すタイプでした。私の会社は新興のIT企業だったので、日本でトップクラスの音響メーカーとは何から何まで違ったのだと思います。うるさいやつだと、次第に周囲から疎んじられるようになっていました。
また、脛に傷を持つ人の集団であることが、Aじいさんにはマイナスに作用しました。定年まで勤め上げた元営業部長のAじいさんは、エリートだとみなされたのです。
ただ、私はAじいさんと不思議にうまが合いました。Aじいさんにパソコンを教えたりしていました。Aじいさんも色々とアドバイスをくれました。
お世話になった方の指定日時にお客様とのアポが入っていた私は、思い切ってAじいさんに、私の代わりにお客様に行ってくれないかと頼んでみました。私の身の上を心配してくれていたAじいさんは「分かった、俺がなんとかする。ヒデボーさんはお客に行ったことにすればよい。」
と快く引き受けてくれたのです。
本当に有難かったです。涙が出そうでした。
私は、Aじいさんのおかげで、新卒で入社した大企業のグループ会社に入社できたのです。
あのとき、Aじいさんが引き受けてくれなければ、入社できなかったと思います。
(次回に続く)