(前回から続く)

 

今度のお客様は2つとも大企業です。

 

私の相手をしてくれるのは、いままでのような年上の部課長ではありません。30代や40代前半の方々です。年上の方に可愛がられるというメリットは生かせなくなりました。

 

また、今までは出来合いの製品を売っていればOKでした。しかし、今度のお客様は、大企業で大量の発注をしていただけるので、各々のお客様向けの特別仕様がありました。そして、頻繁に仕様を変更して欲しいという要求がありました。

 

より深い商品知識が要求されたのです。しかし、私は商品そのものにはあまり興味はなく、勉強を怠ってしまいました。今までの成功体験があったので、何とかなると思ったのも勉強しなかった理由の1つです。

 

3つ目として、私が組織的な動きが余り得意ではないことも、マイナスに働きました。

 

商品知識がなくても、技術者をうまく使えばなんとかなります。実際、私の指導者だった係長は商品知識がありませんでした。営業は金と納期の話だけしていればよい、が口癖でした。新入社員の私が「モデムってなんですか?」と質問したら「(オーディオ機器の)アンプみたいなもんだ」と答えていたのですが、実は違います。

 

でも、技術者をうまく使って、大企業相手に実績を上げていました。私には係長のような動きができませんでした。

 

さらに、いままでは、多くのお客様とそれなりの付き合いで良かったのですが、今度は1つのお客様と深くじっくり付き合う必要があります。今までは余りなかった接待が多くなりました。

 

しかし、私は接待が苦手でした。お酒が余り飲めないのに加え、プライベートを重視するからです。

 

片方のお客様の担当者は、お酒が非常に好きで、接待を繰り返さなければなりませんでした。しかも、毎回、二次会のカラオケつきです。2回に1回は3次会・4次会までお付き合いしなければなりませんでした。そのよう接待が、多い時期には週に3回くらいありました。

 

私は睡眠不足で、昼間から眠くて仕方ありませんでした。疲れから会社の階段を昇るときに足が上がらず、転倒したことが何回もありました。電車に乗るとよだれを垂らして眠りこけました。お客様のところに行くと言って外出し、喫茶店で寝ていたこともしばしばです。

 

しかも、そのお客様は、平日夜だけでなく、休日もお付き合いしなければなりませんでした。

 

引っ越しされるときはお手伝いに行き、入院されたときにはテレビを買ってお見舞いに行き、まだ珍しかったワープロを買われたときはインストラクタを手配して、自宅まで行きました。

温泉旅行やスキー旅行も年に数回ありました。勿論全部自腹です。

 

プライベートの時間を削らざるを得なくなった私は、相当なストレスを溜め込みました。

 

私は次第に仕事が苦痛になっていきました。お客様の信頼を得ることもできませんでした。

 

やがて、人と一緒に食事をするとき箸を持つ手が震えるようになりました。ますます接待が苦痛になりました。

 

通勤時にバスに乗ると、このまま死ぬのではないかというくらい心臓がドキドキし、息苦しくなったりしました。パニック障害のような状態でした。

 

風邪をひきやすくなり、会社を休むことが多くなりました。疲れとストレスを両方とも溜め込んでいたのですから、無理もありません。

 

5年目には東京近郊の支店に転勤になりました。自分が担当するお客様はそのままで、その支店から同じお客様を担当し続けたのですが、左遷であることは明らかでした。

 

転勤後まもなく、接待は専ら係長が行うことになりました。

 

そして、お客様のメインの部署の担当は外され、小規模な部署だけを担当するように言われました。

 

もう1つのお客様の信頼も得られませんでした。そのお客様には私の会社から、私以外にも複数の営業パースンが通っていたのですが、私の通っていた部署の担当者が、私を営業担当から外し、私の会社の他の営業パースンが担当するように、私の上司に申し入れたのでした。

 

これは堪えました。

 

ただただ落ち込むだけでした。やる気を全く失い自暴自棄になりました。

 

(次回に続く)

(前回から続く)

 

2年目に入ってすぐに、また他のお客様から受注しました。営業としてやっていけるとみなされました。

 

やがて、都内の中小の金融機関に加え、信託銀行、全国の金融機関数十社が共同で出資した会社、それに東京近郊の小規模な県の金融機関全部を任されることになりました。

 

突然多忙になりました。でも、好調を維持しました。相変わらず年上の担当者には可愛がられ、順調に受注を重ねました。

 

ある銀行からは、一回目の見積価格から値引きなしで受注し、例の先輩をまた唖然とさせたりしました。

 

こうして、2年目には、年間で、早くも営業マンとして1人前とされる額を売り上げました。

 

勿論、良いことばかりではありませんでした。落ち込むことも多々ありましたが、総じて私のサラリーマン生活は順調でした。

 

「俺は日本のGDPの0.000001%くらいは稼いでいる」

 

と有頂天になっていました。肩で風切って歩いていました。

 

この頃にはお客様のところに行くのが楽しみになっていました。人と話すことに楽しみを感じる自分を発見していました。営業など絶対にやりたくなかったし、向いていないと思っていたのが嘘のようでした。

 

 

ここで、教訓その2です。

 

「教訓その2」

 

実は、人間は、自分の適性、得意なことを良く分かっていない。

 

私は人間関係が苦手だと思い込んでいました。でも、それは思い込みに過ぎませんでした。自分ができることは、できて当たり前だと考えがちです。自分はいつもできてしまうのですから、そう考えるのも無理はありません。人間は自分の得意なことを、しばしば過小評価するものなのです。

 

また、自分はこうありたいという願望で、バイアスがかかってしまい事実が見えなくなることもあると思います。

 

男らしくありたいと願っていて、男らしさとは寡黙であるというイメージがあると、おしゃべりな自分を認めたくなくて見ないようにしてしまう、というような場合です。

 

 

3年目が半分過ぎようとしていました。私は、係長とともにさらに大きなお客様2つを任されることになりました。

 

1つは、あるカテゴリーではトップの金融機関、もう1つも違うカテゴリーで第2位の金融機関です。しかも、第2位の金融機関は、自分の会社と当時は資本的にもつながっていました。

 

準エース級の扱いです。

 

しかし、この抜擢は私のキヤリアにおける第2の波乱の引き金となってしまったのです。

 

(次回に続く)

(前回から続く)

 

気がつくと、雑談ができるお客様がちらほら出てきたのです。30分くらい、話ができるお客様が何人か現れたのです。

 

共通点は私よりかなり年上の方だということでした。いかにも経験のない営業としては頼りない若者が、いくら断られても懸命に自分に会いたいと言って通ってくる。無碍にできなくなったのだと思います。

 

私はどうも、年上の方にかわいがられる傾向があるようです。現在もその傾向があります。

 

ただ、年上の部長さん、課長さんが相手をしてくれるのは小規模な2店舗から多くても7~8店舗しかない、金融機関に限られます。資金豊富とは言えません。

 

しかし、ちょうどそのころ、私が勤務していた会社はそのような小規模金融機関向けの機器を発売したばかりで、私の販売ラインアップにも入っていました。これも幸いしました。

 

係長が言いました。

 

「ヒデボー、見積もりを出そう。」

 

「え?まだ、買いたいというお客様はいませんよ。世間話をしているだけです。」

 

「別に出すのは自由だろう。とにかく出すんだ。」

 

私は恐る恐るお客様に見積もりを出しました。殆どのお客様が受け取ってくれましたが、

興味はなさそうでした。

 

「買いたいと言ってないのに、見積もり出すなんて・・・。係長は何を考えているのか。」

 

ところが、もう少しで入社1年が経過するというある日、支店は2店舗だけのある金融機関の課長さんが突然、

 

「ヒデボーさんからいつか見積もりをもらった、あの機械注文したいのだけど」

 

と言ってくれたのです。

 

あっけにとられて言葉は出ませんでした。しかも、

 

「注文書は後でFAXを送るから」

 

ということです。

 

営業にとって、注文書は現金よりも価値あると言っても過言ではありません。注文書が欲しくて、毎日足を棒にして歩き回り、夜遅くまで残業するのです。注文書をもらえるのであれば、何時でも休みでも、自分から出向いて行くのが普通です。

 

それをFAXで送ってくれるというのです。

(その頃は、インターネットやメールはおろか、ポケベル、携帯もありません。FAXは最先端のOA機器でした。ちなみに、私が見積もりを作ったワープロは一台50万円から60万円もして、大企業だった私の会社でも100人くらいで1台を共有する貴重品でした。)

 

ただ、正直言うと、そのときはFAXで注文書を送ってくれるのが普通はあり得ないというのが分かりませんでした。

 

会社に帰って、一部始終を話したところ、先輩に呆れられました。

 

「お前、そう言われてもとりに行った方が良い。失礼だよ。」

 

でもその会話の直後にFAXで注文書が送られてきたのです。

 

先輩は絶句していました。

 

「お前って奴は・・・。」

 

かくして、私の飛び込み営業は少し呆気ない形でこのように成果を生み出したのです。

周囲の私を見る目は突然変わり、

 

「ヒデボーはようやく本領を発揮したな」

 

などと言われました。

 

ここで、「教訓その1」を掲げます。

 

「教訓その1」

 

自分が向かないと思った仕事でも、とにかくやってみること。

 

どの仕事が自分に向いているのかは実際にやってみないとわからないということです。食わず嫌いはやめて、とにかくやってみることが大事なのです。今ふうの言葉でいうと、トライ&エラーが大事だということです。やってみて、本当に向いていないのであれば、そこで方向転換すればよいのです。

 

私が、営業は向いていないと頑なに思い続け、営業の仕事を拒否したり、会社を辞めたりしたら、成果を上げることはありませんでした。ここで腐らずに続けて本当に良かったと思っています。

 

そうこうしているうちに、私の社会人生活は2年目を迎えることになりました。

 

(次回に続く)