納骨 | 那須塩原の女性起業家

那須塩原の女性起業家

那須塩原市(旧黒磯市)にて34歳で起業。2人の息子を育てながら”スポーツ・フィットネスで心身ともにずっと健康”をテーマに会社経営に邁進、50歳を機に会長に就任。栃木県初の女性専用フィットネスクラブ「ビーライン那須塩原店&2号店」などを15年間経営。

雨上がりの秋晴れの昨日。
暖かな天気に恵まれ、少し早めでしたが母の四十九日と納骨を執り行いました。

1ヶ月ぶりに訪れた母の家。
隣に住む私の妹家族が毎日、母宅で夕食をとってくれていたそうです。
家の片付けも少しずつですが妹がしてくれていて、「押入れから見つけた」と出してくれたのは、兄弟姉妹それぞれの名前が書かれた封筒。
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母が東京で不動産会社を経営していた時の封筒に。
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私の競泳の大会を母がよく観に来ていた時のプログラムなど。
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母子手帳とへその緒。
そして、通知表まで‼︎笑

20歳で結婚し、
華の20歳代に4人の子供を産み育てるのは、大変だっただろうな。

海外の化粧品のお仕事では、
全国でもトップセールスまで。
その頃すごく綺麗だった。

30歳代で離婚。
そこからは、
不動産会社でもトップセールス、
そして、
不動産会社を経営、バブルはじけて倒産。

まだまだやるのか?と周囲に反対されながらも、
今度は軽貨物運送業を経営。自分で運転してどこまでも運送していた。

ところが、
視力が弱くなり、運転免許を喪失。
それでも人を使って事業を続け、今では軽貨物車が4台を所有して稼働していた。家業を手伝ってくれていた最愛の次男を仕事中の交通事故で亡くしたのが51歳の時か。
地獄をみたと思う。
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それでもめげないのが母の強さ。

家業を続けながら、
フラダンス教室を開講。
本場ハワイ島に修行に行き、近年はちょくちょくハワイ島に行っていた。
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そのフラダンス教室も家業と同じく後継がいないのですが、姪っ子が母の生徒でもありましたので大きくなったら、もしかして。

ということで、
無事に納骨することができました。

お斎のお料理の一部。
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美味しくいただきました。