寺復興 文化財除き 厳しい

14日12:30分、ココハサトマチで昼食

(フグカレー)

奥田社長は金沢から南志見に向かう途中で三井辺りを走っていた

市町村の寺院数と人口

能登地区608ケ寺  1ケ寺当164人

加賀地区358ケ寺  1ケ寺当1370人

輪島市111ケ寺   1ケ寺当183人

穴水町43ケ寺    1ケ寺当158人

※寺院の廃寺統合が進む

文化財に指定されていない限り寺院へ公的補助はゼロ

南志見では長栄寺、西光寺が残るか?

名船寺、林敬寺、照光寺、養覚寺は厳しい

平等寺には家族名で植えたシャクナゲがある

西光寺は1201年長谷部信連により建立された名刹

3次調査まで進むと3分の2が助成される

それでも3分の1負担が発生する

七尾市の観光スポット山の寺寺院群の54ケ寺が3次調査まで進んだ

うち20ケ寺は文化財指定なし

輪島市3次調査まで進んだのは19ケ寺

うち文化財指定なしは9ケ寺

92ケ寺は廃寺となる恐れ

西日光 歴史の痕跡 永久寺

内山永久寺跡ポケットパーク

大和国でも有数の大寺院であったが、廃仏毀釈により明治時代初期に廃寺となった

永久年間(1113-1118)に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第2世院主の頼実が創建

本地垂迹説の流行と共に石上神宮の神宮寺としての性格を備える

東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされた

うち山や とざましらずの 花さかり・・・芭蕉

芭蕉は若かりし頃が宗房と号した

寺領を没収され、経営基盤を奪われた当寺は廃寺となって残りの僧侶も還俗し、多くは石上神宮の神官となった

無主となった永久寺の建物は共用に使われることはなく、競売にかけられたが買い手が付かず、多くが取り壊された

さとはあれて 人はふりにし やどなれや 庭もまかきも 秋ののらなる・・・僧正遍照

よろこびの 互いに語り 天玄し

みじかかる ひと世と思へ 布留宮の 神杉のほの そらに遊べる

読み取れないので代表的な歌を載せます

未通女らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは・・・柿本人麻呂

陽が暮れました

和本膳 講で積み立てた 家宝なり 

床が壊れた納戸から救出した輪島塗皆朱家和本膳

昭和36年新調

当時、輪島塗講があって各家では毎月積み立てを行っていた

満期になり和本膳が納められた

江戸時代(慶応3年)に濵田家長女・みすと小糸家男子・庄吉が結婚し濵田六三郎が創始された

濵田家からの嫁入り箪笥の裏に「山六」と記されていた

長持の裏には「太」