次世代へ 歌い継なげと 翔(はばたけ)り

日本民謡協会梅若梅朝相談役とツーショット

芸道ひとすじ:千泉智考さん

序の舞を見ているよう、練達の舞ですね

お楽しみショー:間瀬良美さん&石橋杏実さん

若さ溢れる音声でした

お囃子も絶妙

若い頃の間瀬氏を存じ上げてます

ご祝儀唄:梅若梅朝さん

三味線:本條秀勝さん

お囃子役

南志見へ届ける一文字「翔」(はばたく)

秋田長持唄:二代目佐藤桃仙さん

声量のある唄いっぷりでした

百歳の大兄、心地よく眠られています

二の矢塚 久志玉比古 延喜式

二の矢塚へ向かう

矢田坐久志玉比古神社

別名、矢落(やおち)神社、矢落明神と呼ばれる

当社の詳しい創建年代は不明であるが、当社の祭神である櫛玉饒速日命は、天磐船に乗って空を飛んだと先代旧事本記に記されている

その際に櫛玉饒速日神が天から放った2本目の矢が落ちた所に当社が建てられたとされている

これによってこの地を矢田というようになったという

仁徳天皇の皇后である矢田皇女はこの地方の出身と考えられている

当地方最大の古社として創建より6世紀前半までは畿内随一の名社として栄えたとされている

また、延喜式神名帳に記載されている大和国添下郡十座の筆頭社で式内大社である

櫛玉饒速日命が天磐船に乗って空を飛んだとの故事により、櫛玉饒速日命は航空祖神として崇められており毎年9月20日には航空祭が行われている

楼門の上層部にはかつて戦闘機に使用されていたというプロペラが奉納され、飾られている

一の矢塚へ向かう

白帝城 荻生徂徠が 命名す

犬山城も別名「白帝城」

1階上段の間から

荻生徂徠が命名

天守閣模型

石垣の高さ5m、天守の高さ19m、地上24m

上段の間は床が一段高く畳敷きで、床や棚などが設けられている

徳川時代城番付

東横綱:金沢城、西横綱:鹿児島城

武者走り

1階150畳300人~450人収納

2階144畳

3階28畳

4階28畳

城門石垣&梁

野面積み

自然石をほとんど加工せずに積み上げています

梁に圧倒されました