霊山寺 霊験あらたか 薬師仏(如来)

奈良県奈良市中町に位置する霊山寺真言宗の大本山で、山号を登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)と称します

本尊は人々の病を癒し、心身の安寧をもたらすと信仰される薬師如来です

開山は奈良時代の高僧・行基と、インドから来日した菩提僊那と伝えられています

正式な読みは「りょうせんじ」ですが、「りょうぜんじ」「れいざんじ」とも呼ばれ、地元ではいずれの呼称でも親しまれています

奈良市街地の西方、富雄川流域の穏やかな丘陵地にあり、戦乱の影響をほとんど受けなかったことから、古代・中世の面影を色濃く残す寺院として知られています

寺伝によれば、霊山寺の起源は飛鳥時代にまでさかのぼります

八体仏霊場

小野妹子の子とされる小野富人は、壬申の乱後に官位を辞し、登美山に隠棲しました

天武天皇12年(684年)、熊野参詣の折に薬師如来の霊験を感得し、そのお告げに従って登美山に薬師三尊を祀り、病に苦しむ人々を救うために薬草を育て、薬湯を設けたと伝えられています

このことから富人は登美仙人、あるいは鼻高仙人と呼ばれるようになりました

開山行基像

神亀5年(728年)、聖武天皇の皇女・阿倍内親王(後の孝謙天皇)が重い病に伏した際、天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、登美山の薬師如来の霊験を告げたといいます

これを受けて行基が登美山で祈願を行ったところ、皇女の病は快癒しました

人の愛 過疎地金蔵 隅々に

東京ボランティア・市民活動センターが東京都と災害協働サポート東京(CS-Tokyo)と3者協働で取り組む「能登半島地震 被災者支援ボランティアパッケージ」で、能登の各地域でサロンを行うべく、様々な関係者にサロンを必要としている地域を聞いていた

そんな折、ある支援団体に「金蔵地区は君たちの取組みと絶対に相性がいいと思う」と言われ、連絡を取ったのが始まりだ

区長の井池さん(当時)に連絡を取ると、まずは集会所にきてほしいとのこと

そこで、井池さんや石崎さんから地震が発生してからの金蔵地区の動きを教えていただいた

集落の多くの人が地域を離れて暮らしている中で「なんとか、集落のつながりを維持していきたい」と強い想いを持って我々に話をしてくれた姿は今も鮮明に覚えている

サロンの提案については「ぜひ、実施しましょう!」とのことで協働実施がすぐに決定した

サロンは、2024年4月25日から毎週木曜日、金蔵集会所で午後2時から実施 

我々のサロン活動は、まず、周知から始まる

周知はボランティアが赤い帽子をかぶって、地域を回って戸別のお宅に訪問し、1枚1枚ポストにチラシを投函する地道な方法で行っている

これを様々な支援団体に話すと驚かれることが多い。「掲示板にチラシを貼れば済むのでは?」「回覧板で回せば済むのでは?」と言われる

確かにそうかもしれない。ただ、歩いて地域を回ると、住民の暮らしがダイレクトに伝わってくる

今日は農機具の手入れをしているんだな、草刈りが忙しそうだなぁ、この家は避難していて今は住んでいないのかな?、瓦屋根が落ちたままで家に入るの危なくないかな、金蔵にはこんな地域もあったんだ!

いろんな気づきがある。また、チラシ撒きをしていると、住民の方と話す機会もある。中には「足腰が悪くてサロンに行けないのよ」と言われることも。そういう場合には、ボランティアにどこの家の人かメモしてもらい、後ほど出張でコーヒーとホットケーキを届ける。サロンに来れない人にも、東京から心配している人がいることを伝えたいから

萩の咲く 薬師寺境内 そぞろ歩き

西ノ京駅

玄奘三蔵院西門「萩」

薬師寺本坊

玄奘三蔵院

玄奘三蔵訳経像とともに玄奘三蔵の頂骨を祀る

伽藍礼門

玄奘塔

正面上部には、目的を達するまでは唐に戻らないとの命がけの玄奘三蔵の旅を表わす高田好胤和上筆の『不東』扁額が掲げられています

伽藍礼門から薬師寺境内

東塔&西塔

写経道場

土塀

慈恩殿

細川護熙元首相が描いた「東と西の融合」と題した大障壁画があります