十二柱 古代出雲ムラ 伝承地
十二柱という名前の通り国常立神(くにとこたちのかみ)など神世七代の神々と、天照大神など地神五代の神、あわせて十二柱の神々を祀る
参道を抜け石段をあがり境内に入ると、鳥居の脇の狛犬を四人の力士がささえています
十二柱神社の境内地一帯(境内社の東方一帯との説も)は第25代武烈天皇の「泊瀬列城宮跡」伝承地とされ、この付近に「天皇屋敷」、「御屋敷」などの地名を残しています
境内には武烈を祀る武烈天皇社の祠と「泊瀬列城宮跡」の石塔があります
第24代仁賢天皇から第33代推古天皇までの十代にわたる天皇については、その系譜しか語られていません
欠史十代と言われる所以です
古事記には第23代の顕宗(けんぞう)天皇までの話が詳細に伝わっていますが、顕宗天皇の兄に当たる仁賢(にんけん)天皇以降の欠史十代に関しては系譜のみなのです
そして推古天皇を最後に、神代からの古事記の物語は終焉を迎えることになります
十二柱神社は出雲ムラの村
大昔は神殿がなく「ダンノダイラ」三輪山東方1700mの嶺の上にあった古代出雲集落地
出雲が「出雲人形」の生産地だった
明治の初めころまでムラをあげて土人形づくりをしていた
当時の出雲村は戸数110件で、窯元10軒、売店30軒あったという
野見宿禰は古墳時代に殉死の悪習をやめて埴輪に改めた地徳の人物で、土師氏の子孫が土器づくりの高い技能を持っていたと言われている































