国想い 名宰相 民思う

高市首相、国会開催中にも関わらず、能登視察・慰問誠に有難うございます<m(__)m>

とても素敵な表情です

大谷の皆さんの喜びの表情

小雨も気にされず声を掛けられていました

姿勢もマナーも素晴らしい

モラールも高い

一人ひとり声をかけ握手

目線は低く

笑顔で応じる

皆さんと集合写真

兄が首相にアピール

奈良からきましたと声を発したらちらっと目を向けてくださいました

リーダーシップとは、謙譲と、奉仕と、リード役

本当のリーダーです

宝蔵寺 興福寺末 法相宗

真言宗月照山「宝蔵寺」山門

寺伝によれば、奈良興福寺文書に興福寺末と記載あり、奈良時代は法相宗であったという

伊賀記に天武天皇(在位673~86)勅願寺にして…の記あり、さらに寺伝として聖武天皇(在位724~49)の時、勅願により僧行基をして法蔵阿弥陀仏を刻ましめこれを安置す(明治十七年地誌上申書による)と伝えられる

当山はかなり往昔の草創と考えられるが、天正九年(1581)の伊賀乱ですべて焼失し、縁起の由来は不詳となってしまっている

「簗瀬村地誌取調書」に「天正の兵火にかかり焼滅す

慶長九年再建のとき芝野より移す。中興を成賢と称し、月照山と改む」とある

もとは平尾山蓮光院と称したようである

当山の過去帳には成賢阿闍梨を再興初代とし、二代行盛阿闍梨の代を中興開山とされている

天正の兵災後、成賢が再興し、行盛が堂宇を造営し寺格整え開山とされたのだろう

慶長18年(1613)奈良県の御杖神社の棟札に「宝蔵寺大阿闍梨行盛」の銘があり、当時この地方まで寺威を広げた由緒ある大寺であったことがわかる

現在は慶長9年に移り来たといわれる名張駅前の平尾に所在し、月照山、蓮光院、宝蔵寺と号し檀信徒の信仰を集め今日に至っている

庫裡は明治18年改築、本堂は同37年(1904)に改築されたものである

山門は大正2年(1913)の改築とされているがこじんまりとなかなか風格のある山門

現在地に移る前は藤堂家屋敷付近にあったという

筆とるや 一筆書きと 冬の山・・・幸師

生駒山上遊園地

休憩棟で昼食&一筆書きを予定していましたが利用できませんでした(>_<)

こちらのテーブルを使わせていただきました

雨風でテーブル椅子はびしょ濡れでしたが、助かりました

K氏は大きな手術をされましたが山復活されました

国内を飛び回られています(^_-)-☆

Mさんは、今年も穏やかに過ごさせていただきました

来年も穏やかな1年となりますようにと、願いを込められました(^_-)-☆

Oさんは、カンボジア旅行で列車の予約が取れず現地の青年にお金を預けたが、約束の日時にチケットを持ってきてくださったとのこと(^_-)-☆

Hさんは、今年も楽しい1年でした

ありがとうございます。幸せな1年でした

全ての人が来年も幸せでありますように(^_-)-☆

忘年会での発表は最終回に紹介します(^_-)-☆

飛行塔

生駒山頂642m

一等三角点