長寿 武内宿禰 祈願する

神仏混交(神仏習合)

明治維新まで1000年以上神仏習合時代が続いた

本堂真ん中に再建当初からの厨子(重要文化財)があり、千手観音立像を中心に、左側に聖観音立像、右側に十一面観音立像が安置されています(いずれも重要文化財)

八千とせや柳に長き命寺運ぶ歩みのかざしなるらん・・・御詠歌

12代景行天皇の代、武内宿禰が長命寺山に上り、寿命長遠諸元成就の文字を柳の大木に彫り、長寿を祈願した結果、三百歳の長寿を保ったと伝えられる

その後、聖徳太子がこの地をお訪れ山に上り、武内宿禰が彫った柳の木を見、感嘆しているとそこに白髪の老人が現れ、「この木で仏像を刻み、寺を建立するように」と告げて立ち去ったという

太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、長命寺と名づけたのがこの寺の創始

ご先祖供養をいたしました<m(__)m>

本堂

重要文化財の三重塔

永正13年(1516)に焼失、天正17年(1589)から慶長2年(1597)に再建された

昭和39年(1964)の解体修理により判明

長寿祈願「六処権現影向石」

パワーが伝わってきます

合掌

下山して 諸杉神社 参拝す

出石城本丸東隅櫓跡

稲荷神社

諸杉神社入口

創建は不詳

社伝では、当初は出石神社近くの水上村(現・豊岡市出石町水上)に鎮座したといい、現在地に遷座したのは天正2年(1574)とされる

社名の「諸杉」に関わる多遅摩母呂須玖(但馬諸助)は『古事記』『日本書紀』で見え、かつ天日槍の嫡子にも位置づけられることから、諸杉神社も古くから鎮座したものと推測されている

なお、創建地とされる水上地域は現在も諸杉神社の氏子の関係にあり、祭礼では水上までの神輿渡御が行われる

古代米稲藁で注連縄づくり

その後の歴史は詳らかではないが、前述の天正2年(1574年)に山名氏が此隅山城から有子山城に移転するにあたり、諸杉神社も水上村から城下の現在地に遷座したという

江戸時代には出石城の山里曲輪北方に祀られ、城主の小出氏・松平氏・仙石氏から崇敬を受けて社殿造営・神供料寄進等がなされている

仙石氏の城主時代は、参勤交代からの帰国に際して城主自ら諸杉神社に参拝するのが習わしであったという

内堀石垣

見張り台か櫓があったのでしょう

内堀、辰鼓楼

ご利益あり 大辯才天 奥の院

霊山寺奥の院

古代の磐座信仰から行者信仰、密教の修行場へと変遷した様子が分かるような場所

境内奥の赤い鳥居から奥の院までは約1㎞、尾根までは登りでそこからは下り

神聖な場所

平日で雨降りでもあり独り占めでした

奥の院には鳥居は3つ

昭和10年(1935)に奥之院の辯才天を勧請して大辯才天女尊を祀る大辯才天堂を建立した

円照尼が「辯才天のお告げ」によって造ったとされる多くの堂や施設が山内に建てられている

大杉の根

山内へ至る階段(立入禁止)

原始林に囲まれ、涸れることない谷川に面しています

平安時代、弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、奥の院に大辯才天女尊として祀られました 

千数百年の間守護神として霊山寺を守護されています

冷気が漂っていました

神々しく、癒されました