海風の灯 夜は松明 昼は狼煙
「珠洲ふるさと讃歌1番」
珠洲の由緒 須々神社
義経奉納 蝉折れの笛
崇神天皇御代 創建
日本海の守り神
海風の灯
灯台が出来る以前、沖を通過する船の為に夜は松明を、昼間は狼煙を上げていた場所だそうです
最上部の火焔は石川国体の炬火のために海風によって採火された「能登の火」を意味している
禄剛崎をめぐる道
岬自然道
ツツジが満開
山伏山183m
東側の遊歩道に咲いていました
急な下り坂
狼煙漁港
大ケヤキ
赤い葉が特徴
岩崎さんによる説明会
海風の灯 夜は松明 昼は狼煙
「珠洲ふるさと讃歌1番」
珠洲の由緒 須々神社
義経奉納 蝉折れの笛
崇神天皇御代 創建
日本海の守り神
海風の灯
灯台が出来る以前、沖を通過する船の為に夜は松明を、昼間は狼煙を上げていた場所だそうです
最上部の火焔は石川国体の炬火のために海風によって採火された「能登の火」を意味している
禄剛崎をめぐる道
岬自然道
ツツジが満開
山伏山183m
東側の遊歩道に咲いていました
急な下り坂
狼煙漁港
大ケヤキ
赤い葉が特徴
岩崎さんによる説明会
筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく わが身なりけり・・・三成辞世句
石田三成公屋敷跡
豊臣政権の中枢を担い、天下分け目の「関ヶ原の戦い」で西軍を率いた石田三成。三成の生誕地は、現在の滋賀県長浜市石田町周辺といわれています
かつて石田三成は、徳川家康に敵対した人物として悪人のように語られることも少なくありませんでした
背後はこれから登る横山
しかし近年では、豊臣家を支え続けた忠義の武将として、その人物像が見直されつつあります
三成の故郷・石田町には、地元の人々によって大切に守り伝えられてきた史跡や、三成への敬意や親しみが感じられる場所が多くあります
八幡神社
三成公ゆかりの墓石等を石田町の地元の方々が三成公をしのんで、徳川幕府にばれないように神社の敷地に埋めて隠したそうです
それが発掘された為に現代になり地元の方々が石田神社を作り石碑等を祀られたそうです
地元の方々に慕われていることがわかるエピソードです
関ヶ原の合戦で敗れた石田軍の屋敷やお墓は徳川方に全て破壊されます
それらの遺品を村人達は拾い集めこの八幡神社に隠します
「この石は触るとお腹が痛くなる」そんな風評を流し石の下に隠したとか…
勅使 近衛使代 最高位
時代行列は河原町丸太町交差点から賀茂川(鴨川)に架けられた出町橋付近まで河原町通を北上します
河原町通は京都御苑の東側を北端の葵橋西詰と南端の十条通を南北に走っています
河原町通は関白・豊臣秀吉による京都改造後に開かれ、河原町通の名称は鴨川の河原だったことに由来しています
葵祭ルートの中継地が下鴨神社です
天皇の御使という事で、社頭の儀では旧華族の宮内庁の掌典(宮中祭祀を担当する部門)が役を務めます
葵祭は本来、勅使が賀茂社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的なので、祭の本当の主役は勅使といえます
そんな重要な役ですが葵祭行列(路頭の儀)には参加せず、四位近衛中将がその役割を務めるので、近衛使(このえづかい)とも言われます
黒色の「位袍(いほう)」に飾太刀、冠には「緌(おいかけ)」と呼ばれる飾りがつきます。騎乗する美しい飾馬は朧(御馬役人・くとり)が口を取ります
時代行列は出町橋・下鴨東通・糺の森(ただすのもり)を通って下鴨神社に到着します
下鴨神社では到着後に社頭の儀などが行われます