燕伸堂 つばめ釘隠し 名の由来

主屋でありながら、門首の親族が近年までお住まいであったため非公開だったこの館が、今夏初めて一般公開されました

重厚な表門の奥に建つ二階建ての瀟洒(しょうしゃ)な建物で、各部屋に「驟雨(しゅうう)」「橘山」などの名前が付けられ、その全てが茶席として利用できるようになっています

一つずつ飛形が異なる燕(つばめ)の釘隠(くぎかくし)が特徴で、近代京都画壇の絵師・幸野楳嶺(こうのばいれい)による障壁画もみどころ。最上級の木材を用いた数寄屋風意匠の御殿と、美しい庭園をご覧いただけます

蛤御門の変で一度全焼しており、今の建物は明治23年のものです

6畳の玄関間から右手に進むと、6畳の燕申堂の三の間です

この左手に二の間と一の間が並びます

一の間に向かって右手には縁が、左手には奥から驟雨(しゅうう)の間、廊下を挟んで橘山(きつざん)の間があります

庭園の右手に石組みの滝があり、その手前に巨大な手水鉢があります

これは上御霊神社の神宮寺だった出雲寺の三重塔の礎石だそうです

一の間の右奥には大きな床の間、離れて左脇に床脇があります

釘隠は燕で、すべて意匠が異なります

襖絵は幸野楳嶺や望月玉泉のものです

2階に風月楼がありますが見ることが出来ませんでした

驟雨

6畳間で右面に床の間、床脇があり、天井の竿縁の手斧のなぐりが見事です

二の間と一の間は共に10畳間で、欄間は胡粉が隆起した菊

橘山

6畳間ですが、釣り床のみ

天井の竿縁は面皮付きの丸木です

人類は 団結した時 強くなる

花火ショー

夢洲の夜空を焦がす

歓声と拍手が湧きおこりました

余韻にひたる来場者

コロンビア館

スイス館:「ハイジと共に、テクノロジーの頂へ」というテーマは、アルプス文化と最先端技術が共存するスイスの姿を表しています

オーストリア館:パビリオンの外観は、高さ約16メートルのらせん状のループが特徴的です。これは五線譜をモチーフにしており、モーツァルトやベートーヴェンなど、数々の偉大な音楽家を輩出してきた「音楽の国」オーストリアならではのデザインです

音楽の国ですね♬

ブラジル館:会場を歩くことで、訪問者は音楽、光、デザイン、詩などを組み合わせた様々な装置と融合します。旅の各段階は、存在のサイクルを反映しています。最初の静けさから生命の目覚め、多様性の開花から集団的な相互接続に至り、最終的には危機と再発明に至ります

クウェート館:伝統的な船を思わせる外観、体験型の展示や学びの仕掛け、さらに本場のグルメまで勢ぞろい。昼と夜で表情を変えるライトアップはSNS映え必至!

国連館

「人類は団結したとき最も強くなる(United for a Better Future)」をテーマに、30以上の国連機関が一致団結して出展する国連パビリオン

国際機関館

「国境を越えて人類発展に尽くす」というテーマのもと、5つの国際機関が共同で出展しているパビリオン

ミャクミャク君、半年間お疲れさまでした

仲秋の名月ご来場者の皆さまと観賞出来て良かったですね( ^^) _U~~

 

 

 

 

高家社 変遷たどり 内原社

社伝、高家区伝来の沿革史には「天神七代御勧請ハ人皇八代孝元天皇六歳壬辰(452)年九月地神五代ノ御勧請ハ人皇十二代景行天皇七歳丁未(737)年六月」とある

右大臣藤原(中御門)宗忠は日記『中右記』に「参大家王子社奉幣、其南昼養」と記した、天仁2(1109)年10月19日

高家周辺地方は当時天台宗園寺の末寺と思われる真如院の私領で「高家庄」と呼ばれていた

現在の内原王子神社は、この頃から明治初年に至る800年の間「高家王子社」と呼ばれていた

社頭大鳥居右の石碑は、それをよく証明する

藤原定家歌碑

萩原や 野べより野辺に うつりゆく

衣にしたふ 露の月影・・・定家

明治41年(萩原)八幡、槌王子、里神、弁財天、金刀毘羅、皇太、秋葉、(荊木)若宮、氏、石郡、弁財天、金刀毘羅、(高家)天神、大森、鎮守、里、千原、太、金刀毘羅、由宇加山、秋葉山、氏、(池田)太、太、金刀毘羅、里神、里神、皇神小3社、以上30社を合祀した

内原王子神社の創建は、平安時代初期と伝えられています

熊野詣の参拝者が、この地に立ち寄り、熊野三山を遥拝したことが始まりとされています

その後、内原王子神社は、熊野詣の参拝者によって信仰され、発展していきました

萩原宮司さんからお話を賜りました<m(__)m>