高家社 変遷たどり 内原社

社伝、高家区伝来の沿革史には「天神七代御勧請ハ人皇八代孝元天皇六歳壬辰(452)年九月地神五代ノ御勧請ハ人皇十二代景行天皇七歳丁未(737)年六月」とある

右大臣藤原(中御門)宗忠は日記『中右記』に「参大家王子社奉幣、其南昼養」と記した、天仁2(1109)年10月19日

高家周辺地方は当時天台宗園寺の末寺と思われる真如院の私領で「高家庄」と呼ばれていた

現在の内原王子神社は、この頃から明治初年に至る800年の間「高家王子社」と呼ばれていた

社頭大鳥居右の石碑は、それをよく証明する

藤原定家歌碑

萩原や 野べより野辺に うつりゆく

衣にしたふ 露の月影・・・定家

明治41年(萩原)八幡、槌王子、里神、弁財天、金刀毘羅、皇太、秋葉、(荊木)若宮、氏、石郡、弁財天、金刀毘羅、(高家)天神、大森、鎮守、里、千原、太、金刀毘羅、由宇加山、秋葉山、氏、(池田)太、太、金刀毘羅、里神、里神、皇神小3社、以上30社を合祀した

内原王子神社の創建は、平安時代初期と伝えられています

熊野詣の参拝者が、この地に立ち寄り、熊野三山を遥拝したことが始まりとされています

その後、内原王子神社は、熊野詣の参拝者によって信仰され、発展していきました

萩原宮司さんからお話を賜りました<m(__)m>