いにしえにありけむ人もわが如かみわの檜原にかざし折りけむ…万葉集

元伊勢伝承地

檜原神社は大神神社の摂社で、崇神天皇が天照大神を豊鍬入姫に託して祭らせた伝えられる元伊勢の伝承地であります
境内からは注連縄越しに二上山が望まれ、夕日のスポットとして人気を博している
祭神は天照若御魂神・伊弉諾尊・伊弉冊尊の三柱とされる
檜原神社から大和盆地を見下ろせば、ちょうど正面に雄大な前方後円墳である箸墓が横たわっている
その手前の集落が箸中で、左手が芝、芝の手前三輪の山裾近くに見えるのが、日本書紀に神浅茅原と記され、その伝承地であろうとされる茅原の集落である
この茅原に、茅原大墓古墳、弁天社古墳、狐塚古墳がある
現身の人なる吾や明日よりは二上山を妹背と吾がみむ…大伯皇女
境内で憩う参拝者
観月や山の辺の道を檜原まで

足引きの山かも高き巻向の岸の小松にみ雪降りけり…万葉集
この笠山に我が国固有の大地の神・竈の神を奉斎
神仏習合を経て修験道起こり、持統天皇亥歳、荒神その神姿を現し、役行者によって此処の峯に宝祠を営み祀る
聖武天皇の時代、南都大仏殿建立に際し良辯僧正が勅を受け笠山に登り祈誓をなすと、荒神姿を現し奇瑞を示された
僧正、その尊容を小木の板に描き留め、弘法大師空海にこの図像を模して木像を刻み荒神の尊像として安置した
魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓は145m程度の円墳。箸墓は280mの前方後円墳

歴史的風土保存地区

宮内庁の管轄にあり調査はされていない

畝傍山と葛城山

しかし、卑弥呼の墓と思っている人はたくさんいる

2009年発掘の柱遺構は、3世紀頃までの建物としては国内最大級で卑弥呼の居館と話題になった

ヤマト政権発祥の地も、弥生時代は過疎地で突如として大集落が形成された
箸墓古墳、巻向石塚古墳、巻向勝山古墳、ホケノ山古墳などが集中して築かれていることから邪馬台国論争がなされている

ぬはたまの夜さり来れば巻向の川音高くもあらしかも疾き…万葉集
八幡宮を下ると公園のフジの蕾が膨らんでいました
明日にも開かんとする勢い


実篤書
春を祝う紅白の花
山の辺の道分岐を右に採る
纏向遺跡には卑弥呼の墓や邪馬台国論争があります

左にとれば日本第一笠山荒神へ辿る

笠七岫七谷(ななみねななたに)の最高峰鷲峯山(じゅぶさん)の頂に坐す

往古の鷲峯山は神奈備と仰がれ、笠の郷は神浅茅原といわれ倭笠縫邑の神蹟伝承地であるなど悠久の歴史を有している