足引きの山かも高き巻向の岸の小松にみ雪降りけり…万葉集
この笠山に我が国固有の大地の神・竈の神を奉斎
神仏習合を経て修験道起こり、持統天皇亥歳、荒神その神姿を現し、役行者によって此処の峯に宝祠を営み祀る
聖武天皇の時代、南都大仏殿建立に際し良辯僧正が勅を受け笠山に登り祈誓をなすと、荒神姿を現し奇瑞を示された
僧正、その尊容を小木の板に描き留め、弘法大師空海にこの図像を模して木像を刻み荒神の尊像として安置した
魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓は145m程度の円墳。箸墓は280mの前方後円墳

歴史的風土保存地区

宮内庁の管轄にあり調査はされていない

畝傍山と葛城山

しかし、卑弥呼の墓と思っている人はたくさんいる

2009年発掘の柱遺構は、3世紀頃までの建物としては国内最大級で卑弥呼の居館と話題になった

ヤマト政権発祥の地も、弥生時代は過疎地で突如として大集落が形成された
箸墓古墳、巻向石塚古墳、巻向勝山古墳、ホケノ山古墳などが集中して築かれていることから邪馬台国論争がなされている