ジャーナリスト 石川秀樹 -27ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



このところ細川護熙元首相(75)が都知事選に出馬する、
というのでメディアがかまびすしい。
小泉純一郎元首相(72)との連携もささやかれ、一定の期待感があるようだ。


♪昔の名前で出てます~、
と言ったら不謹慎に聞こえるが
『今さらなんだろう』という気はする。
陶芸家を気取って、世間のことはみんな忘れたんじゃあなかったのか。
このご仁もまだ生焼けだったのだろうか。



小泉さんはもっとわからない。
2004年の郵政解散、以後の遊説の見事さ、といったらなかった。
JR浜松駅頭で聴いた啖呵には胸がすいた。
しかしまあ、この政権が残したものは、
結局は、格差社会の助長だったのだけれどね。


細川さんが歓呼冷めやらぬ中で首相を辞めざるを得なかったのは、
東京佐川急便事件という些末な金銭のやり取りではなかったか。
政権を放り投げて以後、まじめな説明はついぞなかった。
それから後、非自民連立政権はガタガタ……。
反省の弁も聞こえては来なかった。


国民が喝采した非自民連立政権が細川さんの投げ出しで崩壊した後、
短期の羽田孜さんを挟んで登場したのが奇怪なキメラ政権、
自民・社会・さきがけによる村山富市政権だった。
記憶に残すべきは、政権を担った社会党は真っ逆さまに転げ落ちた、ということ。


野合だものね。
国民はバカではない、筋を曲げた一団を許さなかった。
担ぎ出した自民、さきがけはしょせん計算づくだ。
甘いエサに乗った社会党は焼きが回っていた。
結果、焼け太ったのは自民のみ。
影に知恵者がいたのだろうな。


さて今回の知恵者は誰だろう。
原発反対派は「『負けてもいい』のだったら(そんな根性で出馬するなら)
宇都宮健児さんの邪魔をするな」と怒っている。
反原発票の分断は確実、無理もない主張だ。


確かに細川さんの出馬は、自民舛添要一さんに塩を送る結果になりかねない。
しかしでは宇都宮さんなら勝てるのか。
2012年の都知事選、猪瀬氏430万、宇都宮市96万票。
これが現実である。


今回、舛添、細川、宇都宮の各氏に、
そうそう自衛隊元航空幕僚長、田母神俊雄なんて人もいた。
みんな一癖も二クセもありそうな風貌だ。
こんな中では細川さんのほんわか殿様ぶりは案外受ける?


舛添氏も自民内が一枚岩ではないようだ。
となれば誰にでもチャンス? 
個人的には脱原発論者に勝ってほしい。
他の争点を押しのけても「脱原発」は心ある国家なら取らなければならない道だから。


オリンピックの舞台となる東京が、地方の原発に支えられて繁栄する
搾取と格差と不公平の資本主義、
その牙城都市では「平和の祭典」を開く資格がない。
東京の首長選とはいえ「原発」が争点だ!


細川氏はお飾りではダメだ。
熱く主張を語れ(信念があるなら)。
毒か薬かわからないが“集客力”のある小泉氏を引っ張りこめ。
その力がないなら宇都宮市の応援に回れ。
自民側を喜ばせるだけでは情けない。


混戦選挙はマーケティング力が勝敗を分ける。
候補はいずれも小粒、動員力もさほどない。
最後は「言葉の力」をもつ者が勝つはずだ。
都民の心にクサビを打ち込める候補者は誰か。
強力に推薦できないのが悔しい。


■   □
以上、我ながら力のない論評だ。
おすすめ候補がいない。
情けない。
大東京に人財はいないのか。
ただの作家の猪瀬直樹氏に「ギネスに載せようか」という大量得票をさせた街だからね、候補払底(ふってい)も今さらの感だね……。


(写真は西日本新聞より)
玄関のベルが鳴ったので出てみると、小池政就(まさなり)衆院議員が立っていた。
年始のあいさつ? と言うより、説明責任を果たすために来たらしい。


小池さんは元みんなの党の議員だった。
2012年12月の総選挙で初当選。
静岡1区で敗れ、比例で復活当選した。
このほど江田憲司氏のみんなの党離党に呼応して、
小池さんも渡辺喜美代表と袂を分かった。


この離党に私は不満だった。
それで家の塀に掲出していた小池さんのポスターを外してもらった。
頑固爺の所業みたいだが、「筋を通した方がいい」と思ったのだ。
彼は復活当選だ。
議席は党に与えられたもの。
であれば“返上”した方が潔いと。


それがたぶん、来訪の理由だろう。
『律儀だなあ』と思った。
驚かされたのは2度目である。
一昨年も「Facebookのことを聞きたい」と単身訪ねてきた。
当時は立候補する予定で静岡市内に住まいしていた人だが、
それにしても忙しい最中、本人が会いに来るとは。



その日もきょうも、長時間の話になった。
こちらは一有権者に過ぎない。
『こういう人はいつか花が咲くに違いない』と思った。
花は存外早くに咲いたわけだが……。


手元に『国会議員三ツ星データブック』という冊子がある。
2013年1~6月の質問王ランキングが載っていた。
彼は「衆議院3ツ星議員」の1人になっていた。
質問回数8位、質問主意書の数では1位!
野党にいながらこの回数は、並々ならぬ努力を物語っている。


こういう議員には小選挙区で勝ってもらわなければならない。
秘術はないが、地道な方法ならある。
足で歩き人を説得すること。
既にそれはやっている。
ネット選挙時代になったのに活用している議員は少ない。
Facebookは熱心に、かつ長くやった者勝ちである。
こちらも地道に続けている。
さらに僕がお勧めできるとすれば「電本を書く」だ。


彼は快諾した。
書きたい思いがあるのだという。
政治を志し、ここまでどうやって歩いてきたか、それを若い人に伝えたいと。
職業として見る「政治家」は決して得な仕事とはいえない。
それでもそこを目指す「志」とは……。
僕も読みたくなった(これは役得だな)。


小池さんは小1時間も立ったまま話していた。
そして、自分の方から帰る素振りは最後まで見せなかった。
『良い本をつくらなければ』
こちらの気持ちがあらたまった。



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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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正月なので辛口の一献を。


先ほど「ジャーナリスト 石川秀樹」のFacebookページに、久々にツイッターに書いた連続ツイート(連ツイ)をアップした。


Facebookでこれを読まれた方は腹を立てたかもしれない。
「Facebookの人間関係など頼みにならない」と書いたからだ。


Facebookには匿名OKのツイッターのような自由闊達さがない。
周りに気を使いながら、自分と言う人間のたぶん、20%か30%で書いている人たちばかり。
そんなメディアに何の意味がある、と言いたいところだが、
「ではやめてしまえ」というかというと、まったく逆だ。


勝ちたいならソーシャルメディアを使え!


僕のようにゼロから始めた者にはソーシャルメディアしかない。
勝ちたいんだ!
スゴイと言われたいんだ!
人の仕事を「道楽」呼ばわりなんかされたくないんだ!
本気で儲かる会社にしたいんだ!!


2月で64歳になる。
行政書士の資格を得たのは61歳。
出版社の立ち上げ、62歳。
電子書籍のポータルサイトを創ったのは昨年、63歳の師走だ。


これだけで「えらい」と言ってくれる人がいる。
そんなとき僕は、ばかにされたような気分になる。
歳とって始めればそんなにエラいのか!?
40代、働き盛りに同じことをしてみれば、
成功しなければ誰も誉めやしない!
儲からなければ「道楽だったんでしょ」にしかならない。


電本で著者をつくる─―勝算があるからやっている!
かつ、事業としての価値があると信じているから。
地域のスモールビジネスを支援することは当社の社是だ。
そして、日本人のメディリテラシーを上げる、
これはわたしの使命(ミッション)である。


伊達や酔狂で仕事をしていない。
みなさんと同様、俺だって脳みそに汗かくくらいに考え、
焦り、身もだえ、苦しみながら事業の成功を探っている。
勝ちたいんだ、味方をつくれなければ負けてしまうんだ!


企画を立てる、それを実行する。
そこまでは誰だってやる。
しかし書籍と言う知的財産をどうやって売るか。
“売る”というのは一番難しい仕事だ。
勝ちに回った時にはおもしろいように売れる。
負けている時には見向きもされない。


さっきから勝ちだ、負けだと言うのを奇異に聞こえるかもしれない。
「勝ち」とは商品やサービス、企画や事業の価値が認められ「買いたい」思いに火を点ける状態のこと。
「負け」は人に知られず、価値を測る対象にもされないこと。


成功しない多くのビジネスがこれだ。
取り残されていく商店もそう。
価値の創造ができなければ当然そうなるし、
創造できても知らせる(知られる)ことに失敗すればモノは売れていかない。


知られないことは罪である。
だからこそ僕はソーシャルメディアにこだわる。
個人が世間に向けて情報発信できる時代なんて、いまだかつてどこにもなかった。
こんなチャンスの時代はない。


ソーシャルメディアの人間関係は当てにならない。
しかし「知られること」は実に大きなことだと思う。
コトやモノ、サービスの価値は、見い出されるまでは動き出さない。
しかしカチッとかみ合った時には“知り合い”は大きな力になる。


どんなメディアを使おうと「知られること」に僕は全力を尽くす。
突然、連ツイを復活させた僕の狙いはそこにある。
Facebookの人間関係に過大な期待はしない。
知ってくれていれば十分である。


でも、それこそが難しい。
もっともっと新しいことを試み、知られるようにしたい。
事業者にとって知られる努力をしないのは罪であるから。




<ここからは「著者ページ」と「著書」の紹介です>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな視点、はじめてだ!
「なぜ?」を徹底追究
ジャーナリストの視点で電本3部作

※著者ページ
http://denhonkan.jp/meikan/detail.html?ab_id=7



※著書
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』



 Vol1.
 Facebookの基本のキ」。
 「入門書」ですがかなり濃い内容です。
 いいね!の原理、エッジランクやクチコミ発生機能について  核心を伝えます。
 
 









 Vol.2
 Facebookのビジネス活用術。
 個人やお店、小さな会社は大企業や有名人を見習ってはい けません。
 バラマキマーケティングより友達を大切に。
 











 Vol.3
 Facebookのスーパースターたちを紹介しています。
 「誰か」って? 
 まあ、立ち読みでご確認ください。
 インフルエンサーの投稿術を詳しく伝えます。
先ほど、ほんとうに久しぶりにツイッターで連続ツイートを行った。
今年は一からセルフブランディングをやり直そうと決心し、その第一弾である。
最近はFacebook一辺倒になっていた。
正直いって、過大な期待を掛けすぎていた。

Facebookは今なお最も好きなソーシャルメディアであり、そのほれ込みぶりは(たぶん)人後に落ちないと思うが、自分の事業にとって“最も使えるツール”かというと、少し疑問を感じてきてもいるのだ。

「信頼関係を創るツールだ」と自ら散々いってきたのだが、Facebookで出来たと思い込んでいた人間関係が案外薄っぺらで頼りにならない、ということを最近、痛感してもいる。
実名であれ匿名であれ、しょせんはバーチャルな関係。
事業の頼みにはならない、と思い始めている。

連ツイでは、そんな最近の思いがにじみ出ていると思う。
書きなぐっているので支離滅裂気味だが、その分、生の自分に近い。



★ツイッターで連ツイを始めた「匿名で辛辣、実名で紳士を嗤(わら)う」

なるほど、タグ付けすると連ツイも読みやすくなる。これは使えるね。
(※ツイートの末尾に #フェイスブック #電本館 #連ツイ秀樹 というタグを埋め込んだことを指している)

ツイッターもしばらくご無沙汰していた。ほとんどブログやFacebookページへの誘導のために使っていて、ツイッターには失礼、かつ申し訳ないことをした。

何が「失礼」かって? ソーシャルメディア活用にはそれぞれユーザーのクセがある。クセというより「好み」かな。ツイッター好きはやはりツイッターが主。道具に使われては気分がよくないね。

僕も以前はツイッターが大好きだった。「自由」で「闊達」だ。フォローもし放題。それに第一、ツイッターはすべてのフォロワーに確実に届く。これは「公平」で「作為」がない。

「匿名でもOK」というのもツイッターの利点だろう。Facebookは実名制。キュークツに感じる人が少なくない。というより、話せなくなってしまう。自由も闊達も、自ら縛ってしまう。

Facebookがキュークツなのは、日本人が実名で情報発信することに慣れていない、ということが大きい。では慣れれば闊達に話すようになるか。無理だろう。

今の日本は「気兼ね社会」というより「いびつな社会」なのだと思う。「会社」が強くなりすぎた。地縁・血縁が薄れ人がさらされるのは学校と会社という縁である。そこから脱落すれば明日がない。

どんな組織でも小ボスは生まれる。その取り巻きも。こいつらのたちの悪さは説明するのも不愉快だが、集団内にいる者はこいつらからの“いじめ”に怯えなければならない。 

リアルな現実がそのようなら、せめてネットの世界では自由にのびのび語ろうぜ、と思うが、実名主義が重い足かせとなる。だから『めったなことは言えない』と委縮する。

Facebookのつまらなさはその辺から来ている。もちろん以上は一般論で、現実的にはFacebookも多士済済、すごい人たちがいるが、全体的にはきわめてお行儀がよいのである。

おもしろいのは、同じ人がFacebookとグーグル+では「人が変わったか」というほど“人格”を捨てて人への悪口雑言、罵詈讒言に陶酔してたりすることだ。そんなに人変わりするならFacebookなどやらぬのがいいのに。

匿名のソーシャルメディアになると人変わりするという以上の例は「特殊」だと思いたい。しかし多かれ少なかれ実名で話すときと匿名で話すときでは、人は変わるようである。

これを「人の2面性」と言えばたいそうなことのように感じるが、人は2面どころか多重な面をもっていて当たり前である。自分が「生き残る」ために必要な使い分けなのだろう。

人は生き残るためには何にでもなる。これを「卑怯だ」といっても始まらない。むしろそういう人たちを相手に僕らはツイートし、Facebookで語っていると自覚すべきなのだ。

「人の多面性」は他人事ではない。僕自身の中にもある。あるのに好き勝手を書けるのは、キーボードに向かっている時にはウソを書かないと決めているからだ。だから「実名」を自分に課している。

ウソをつかないからと言って、正義の人や善意な人なわけではない。欠点は自覚して、そこは書かないというだけのことである。

ソーシャルメディアは皆さんあまり気づいていないが、天下に向かってしゃべっているのと同じだ。会話は消えるがメディアに書いたものは消せない。空恐ろしいことをしている。

もう一言付け加えれば、匿名で書いていても実は書いたことは特定可能だ。その気になれば。震災被災者担当でありながら不埒な発言をSNSに書き込んだ者が特定され、処罰されたではないか。

だから本当を言えば、実名も匿名も大した区別はない。「天下に向かってしゃべっている」ことが重要だ。たいていそういう覚悟なしで書いているはずだ。

人前に自分をさらしているのに、ツイッターでは自由奔放、Facebookでは折り目正しくという人の変節ぶりが、僕にはとても奇妙に思える。

繰り返し強調しておきたい。僕らは皆「マイクの前に立つアナウンサー」と同じだ。普通の人がこういう状況を手にしたのは有史以来初! すごいことを経験している。

ふつうの人がメディアになる。素晴らしいじゃないか。だからこそ僕はこれを大事に使いたいと思っている。

ふつうの人が毎日毎日マイクの前に立って話していれば、自然に人柄が人々に伝わる。これはツイッターもFacebookも同じだ。

相手に人柄が伝わるということは、武器にもなるし、リスクにもなる。しかも初めての経験だ。やはり自分によい結果が返ってくるように僕はこれを使いたい。

さしあたり僕はやせても枯れても「ジャーナリスト」である。そして61歳で行政書士資格を取り、62歳で出版社を開業、63歳で「電本館あるじ」となった新参者である。

「挑戦者」と言うと格好良すぎるので新参者といったが、僕はこれから名を成したいと思っている。なぜ「名」が必要かといえばブランディングのためだ。

なぜブランディングかと言えば、事業の成功に知名度を有することが死活の問題となるからだ。ソーシャルメディアの時代が到来していなければ、僕は挑戦しようなどと思わなかっただろう。

ソーシャルメディアの時代はスモールビジネスにとっては1つのチャンスだ。しかし真のチャンスに変えるには相当な粘り強さとマーケティングの技術が不可欠だ。

スモールビジネスがソーシャルメディアを通じてそれなりに知られた存在となれるかどうか、やりがいのあるテーマだ。

自分の挑戦には意味があると思っている。いくつになっても新しくスタートを切れること、少なくともその証明にはなる。そしてもう1つ……。

まだ成功している人が少ない「Facebookのビジネス活用」のための実践例として。手の内はすべて公開する。ソーシャルメディアで自分や店や会社に活力を呼び込もう。




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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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東京で電子書籍出版のポータルサイト『電本館』の取材を受けた。
といっても、それほどすごい話ではない。
電本館では電本の生成エンジンとしてスターティアラボという会社の「ActiBook(アクティブック)」というソフトウェアを使っている。
取材はスターティア社のホームページにActiユーザーを紹介するというものだから、PRの一種である。


でも僕は張り切った。
何しろ「世に出してもらえる」なら、なんだってありがたい。
無名の小さな会社の新規事業なぞ、まず注目を浴びることはない。
そう思っているから、これはチャンスである。




自分でいうのもおかしいが、珍しく熱弁をふるった。
インタビュアーは、そんなわけで素人である。
取材ならこっちがプロだ(いや、今回は“聴かれ手”なんだけど)。


先方が聞きたかったのは電本生成ソフトActiの魅力についてだったと思う。
が、僕が勢い込んで話したのは「なぜ電本なのか」だった。
これは何をおいても、強く言いたいことだった。

冒頭書いたように、僕らは“無名”。
無名のものが新規の事業を立ち上げる、いや、既存店が商売するのでも同じだ。
よほどの“看板”を持っていない限り、まず「知ってもらう」ことに血がにじむような努力をしなければならない。


ソーシャルメディアでも同様だろう。
みな多かれ少なかれ「知名度」を上げたい(個人であれ、店であれ、会社であれ)と思ってFacebookを使っても、ほぼ全員が「満足」というところにまでたどりつかない。


これは当たり前と言えば当たり前である。
しかし「当たり前」とあきらめたり、揶揄する人に現代社会は絶対に幸運をもたらさない。
人に知られるためには人一倍の努力が必要だ。
これこそア・ッ・タ・リ・マ・エである。
しかし、努力している人は大勢いる。
よい製品、よいサービス、高い技術はあふれている。
そういう時代に僕らは生きているのだから、実力を示したければ電本を書いてください、と僕は多くの人に説いて回っている。


すると多くの人はけげんな顔をする。
本を書く? 自分には関係ない……と。
僕は5分話してピンと来ない人には、それ以上説得しない。
わかる人は、電本館のビジネスモデルに3秒で驚嘆する。
だって、5万円で紙の書籍と同等のものを電子書籍にすると言うのだから。


これ以上のPRはやめにする。
どうせFacebookではこの手の話は、99%、律儀にスルーされるに決まっている。
「ジャーナリスト気取りの石川が、何を狂ったように宣伝するのだ」と言われるだろう。
いや、言葉に出して言いはしないね、心の中であきれるのだろう。


しかし心ある人は聞いてほしい。
無名でいいのか、時代に取り残され忘れられていいのか、業態を変えなくていいのか、工夫しなくていいのか、それをアピールしないでいいのか、あらゆる機会をとらえて声が枯れるまで、本気で(お客様を)説得しなくていいのか、ジリ貧で終わっていいのか。


嫌だと思うなら本を書いてください。
電本館は本を書かせて何百万円も要求するようなことはしない。
あなたの実力を証明する切り札、名刺代わりの電本を5万円から創る。
その本はあなたがその気なら、印刷会社にデータを持ち込めばすぐさま紙の本に変えられる、そういう電本だ。


本を書こうとすれば苦労する。
プロだと思っていても、人にプロの真価を伝えるのは難しい。
簡単に書けはしない。
しかしあなたは書かなければならないはずだ。
お手伝いは僕がする。


いやー、いくらFacebookでも、ちょっと言い過ぎたかもしれない。
しかし確かに僕はあの夜、インタビュアーにこんな風に語ったのだ。
あっけにとられていたけれど……。


この文章、僕の思い、届く人にだけ届いてくれればいい。
本を書くのは「信用の源泉」を手に入れるためだ、と僕は言う。
費用対効果を考えて(カネのことではない、掛けるエネルギーの多寡のこと)「ばかばかしい」と思うなら書かなければいい。
僕はステイタスのことなんか言っていない。


本を書いたところで一気にお客が増えることはないかもしれない。
一足飛びに有名にもならないだろう。
しかし、自分の実力の棚卸をしなくていいのか、本当の商品たるものなのか確認しなくていいのか、人に勧められるか、誇りを持てるか、前進していると言えるのか……、そういう大切なことを気づかせてくれるのが「執筆」という作業だ。


僕は生きている間に、1000人の著者を全力でサポートしたいと思っている。
きょうこの文章が書きっぱなし、スルーされっぱなしに終わりませんように。
願いつつ、檄文おわり!

ジャーナリスト 石川秀樹「電本館」あるじ