<★「付言」を前面に出して父の想いを伝え、”争族”を防ぐ遺言書 らくらく文例6>
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遺言書は文書の中で”最重要級”の重みを持つことは間違いありません。たった1つの文書に、遺言者の財産の割り振り方が書かれているのですから。
重要な文書だと思えばこそ、公正証書で書く人(と言うより「作成する人」と言った方が正確ですね)が多いようです。
それはよいのですが、遺言書を何度も何度もかみしめて読む人がどれくらいいるのでしょう。
遺言書はまぎれもなく亡くなった方の最後のメッセージ。
「最後のメッセージ」のはずなのですが・・・・・
最近の遺言書を見てみると”メッセージ性”の欠片もないようなものが、まま見られます。
まるで財産の仕分けリストのような無味乾燥。
これはとても残念です。
遺言書は多くの方が、時間をかけて、考えて考えて、考えた末に『こうしよう』と決め、自分が遺す財産の相続先を決めます。
エイッ、ヤーッと決める人はあまりいません。
相続人のことを想いながら決めている人が大半なのです。
なのに遺言書からそういう”表情”が漂って来ないのはどうしてでしょう。
私自身の感覚がアナクロ(時代遅れ)なのかなぁとも思いますが・・・・・
現実の遺言書は、ひどく現実的な中で事務的に作成されます(10に7、8は公正証書遺言ですから公証役場で作成されるわけです)。
それを「悪い」というわけでは決してありません。
自筆の遺言を強く推したいというのでもありません。
(公正証書遺言でも「付言」は盛り込めますから)
これは意識の問題なのです!
多額の財産が文書1枚によって左右されますから、これは正確でなければならないし、厳密で、ミスがないようにしなければなりません。法律のプロに片棒を担いでもらうこと、私も賛成です。
しかし、本当にあなたが相続する人のことを想って自分の財産を渡したいなら、「数字」だけでは足りないんですよ。
遺言で何より大切なのは「あなたの想い」です。
あなたはどういう気持ちで、彼に、彼女にこの財産をもらってもらおうと思ったのですか?
お金は大切です、財産は大切。
でも「あなたの想い」を知ることの方がよほど大事だ、という時もあるのです。
たくさんの財産を人にあげるとき、あなたは黙って手渡すんですか? それはあまりにクールすぎます。
遺言と言う文書で多額の財産の割り振りを指示するとき、無言では何も相手に伝わりませんよ。
「言葉」が大事です。
あなたの心からの声ですよ。
「付言」は民法の遺言事項には規定されていませんから、書いても法律的な効力はないとされています。
だから書いてはいけないように感じている人もいるのでしょうが、それは違います。
法的な効力があろうがあるまいが、相手の心を動かすのはあなたのメッセージです。
父や母が自分をどのように思ってくれているのか、子は懸命に知りたいのです。納得したいんですよ、愛されていると。
言葉を惜しんではいけません、一番肝心なときに。
「付言」と書くものだからいつの間にか軽んじられるようになってしまいましたが、もう一度「付言」の価値を見直してほしいと思います。
そして自由に遺言を書きましょう。
手紙を書くように、文書にあなたの想いを載せるのです。
自筆であろうと、公正証書であろうとそれはできます。
まことに稚拙ながら、付言を文章の全面に出した遺言書の文例を書きました。ほぼ、手紙と同じです。
(実際に遺言書を書くときは専門家にご相談くださいね)