★遺言書の「付言」とは 重要な文書なのにその価値を知らない人が多すぎる! | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

★付言事項とは 相続を成功させる鍵を握る特別な文章です!
http://yuigonsouzoku.net/added-that-matters/



「付言」とは、文字通りの意味は
本文の補足に、また本文で省いた事の補充に、つけ足して言うこと──です。


「付言」は遺言書にもあります。


遺言書はれっきとした法律文書です。
(法律家が介在しない)自筆のものだろうと、公正証書として作ったものであろうと、価値と効果はまったく同等。


「法律文書」になる理由は
①相続に関する事項
②財産処分に関する事項
⓷身分に関する事項
④遺言執行に関する事項
の4項目については、民法条文の裏付けがあるからです。


逆に、これ以外のことを遺言に書いても(法の裏付けがないわけですから)法律の拘束力は生じません。
「付言」は”これ以外のこと”を書いた文章であり、法律効果はありません。
しかし私は、非常に重要な文章だと思っているんです。






現在の遺言書はほぼ、財産の分け方を指示しただけ、に終わっているものが多いですね。遺言書は無論、重大な意味のある文章であるのに、まったく無味乾燥です。まるで遺産仕分けの指示書みたい。特に公正証書遺言はそういう傾向が強い。
そこからは、遺言書を書いた人の「想い」が感じられない。


こういう遺言書は「おかしくないですか?」というのが私の考えです。
たくさんの財産を誰かに分け与える。
もらうのが当然ですか? 家族だから・・・・。
では、みんなが平等にもらう?
法律が参考として指示通りに(「法定相続分」と言います)にもらえる?


遺言書と言うのは、角度を変えてその意義を言えば、そういう風に平等には分けないぞ、というために書くわけです。
それなのに「理由」も書かないで「結果」だけを書いているのが大半。
だから「これって、おかしくないですか?」
と言いたくなってしまうんです。


そのように分ける理由は、非常に大事なことです。
なのに、そのことを書いた文章は「付言」と言われるのです。
付け足しであると。
そんな変てこなことになる理由は、「民法」という法律が人の感情については何も触れていないからです。
民法はそういう限界を持っている法律です。


「付言とは」という「とは物」を書いたのですが、例によってひどく丁寧なものになりました。


これから遺言書を書く人は、ぜひ「付言」を大切にしてほしい、
そういう想いから書いたものです。