http://yuigonsouzoku.net/pitiful-people/
気兼ね社会なのだと思う、今の日本は。
人の目が気になってきになって仕方ない。
SNSかおおはやりになった2011―2012年ころから「リア充」という言葉が出始め、やがてリア充ぶりっ子は「イタい」と言われるようになった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160528/19/hide7mail/2f/ce/j/o0660035013657881257.jpg?caw=800)
「あの娘、イタいね」
先に言った方がイタくはなくなる方式(?)でもあるのだろうか?
今では「あの娘、イタいね」のささやきがやかましい。
そんな愚にもつかない”小さな悪意”に恐れを成して、自ら「イタいね」とはやす側に回る。
いやだいやだ。
もっと自由になれないものか。
「イタい」と言う側の心理は、(自分では否定するだろうが)もやもやしている嫉妬と妬み半分と相場が決まっている。
「お前、イタいよ」と本人に向かって真っすぐに言えないような言葉に、神経を張り詰めさせる必要などさらさらない。
思い切りわがままにふるまえばいいではないか。
「イタいね」とささやく輩より、”イタい人”になり切っている人の方が僕は好きだ。