★『普通の人たちが社会を変えていく』国会を囲むキャンドル集会で考えた | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


朝日新聞朝刊(7/30付)1面に「国会を囲むキャンドル集会」のことが載っている。
正式名称は「7・29脱原発 国会大包囲網」と言うらしい。
主催者発表では20万人、警察関係者の話では1万数千人。数に開きがある。
真実は、現場にいた僕でも分からない。
国会をグルッと取り巻けたかどうか。それも1周、回ってきたわけではないのでわからない。
ともあれはっきり言えるのは、午後7時過ぎの国会正門前には、相当多くの人が集まり、警察官が車道に人を出さないよう万全の態勢を敷いていたにもかかわらず、車道まで人で埋まっていたということだ。


静岡駅15:19発の『こだま』で東京に向かった。
新橋駅で下りたのは正解だった。
午後5時頃、国会議事堂に向かう道筋でデモを多数、見かけた。
位置と人波の方向から察するに、日比谷公園に結集していた人たちが千代田区内幸町1丁目の東京電力本店に向けて、抗議に出掛けたものだろう。
延々と続く。ただし、行進自体は静かなものだった。シュプレヒコールでうるさいわけでなく、時々「再稼働反対!」の声が上がる程度。


僕はデモをやり過ごして、逆方向の議事堂に向かった。
途中、もちろん警察官の数は多い。でも、緊迫感はない(まあ、この時間だからね)。
人の流れを避けて、1本北側の道を通り「外務省上」の交差点まで着いた。ここで警察官に、国会が正面から見える場所を聞いた。
「あちら側(霞が関交差点を指して)に行くと人でいっぱいですから、ここを下ってあそこに見える信号を左折してください」

hidekidos かく語り記-7.29 国会前


言われた通りに信号を渡ると、国会を正面にとらえる道路に出た。
動員した警察官を運んだバスだろうか、計9台が駐機している。
(後で国会に平行に接する道路に出たが、ここにも数台のバスがあった)これから推測すると、500人を下らない警察官が動員されていた模様だ。
国会正門に向かう道路を含め、国会を囲む道路と言う道路には「馬防柵」ならぬ
鉄製の1.5㍍ほどの柵が置かれ、要所要所にはメガホンを持った警察官が立っている。
柵は道の両側に配置、絶対に車道側に人を出さない配慮と見受けられた。
(試しに、と言うより写真を撮るためだが、隙間から車道に出たら、3か所くらいから「道路に出ないでください!」とたしなめられた)


6時少し前、「緑の党」の一団がやってきた。
僕が腰かけていたところから30㍍くらい先の一角に場所を取り、“活動”を始めた。マイクを回し、何人かが短い演説をする。
「緑の党は原発反対!」
「緑の党で子どもを守りましょう」
聴くともなく聞いていて、僕には少々耳障りだった。
発足したばかりの組織をPRしたい気持ちは分かる。
しかし『原発反対はあんたたちだけじゃない。あんた方に頼らない多くの人たちがここに集まっているんじゃないか。独りよがりはいい加減にしとけ』と思った。


何人目かに、女性議員がマイクで声を張り上げた。
「関東だけで5000人集めろと言われています!」
ん? なんのことだろう。
しばらく耳を澄ましていて分かった。東電を告訴しようということらしい。
関東だけでも5000人、だとすると全国で1万人…? 企画だけは壮大だ。
「刑事告訴です。まだ裁判じゃありません!!」
なるほど、告訴となると告訴権者は「被害者」だから、それで1万人の権者を集めようと言う訳か。残念ながら、静岡市に住む僕は権利がなさそうだ。
でもこの発想、悪くはない。
これまで、司法当局には全くやる気が感じられなかった。
だから数を集め、それをメディアに長し、司法当局が受理しないわけにいかない空気をつくろうという作戦だろう。受理されなければ捜査もないだろうし、裁判にもたどりつけない。
これだけの破局的な事故を引き起こしても、誰1人責任を取らない、またそれを追及する者もない異常さ。国民の怒りの発端はここにあるだろうから、そこを突くのは合理的だ。
僕は「緑の党」だからと言って、すべてを是としないし、きょうの演説の仕方(つまり党自体を売り込む意識満々の演説)は支持しないが、刑事告訴するという手法はいいと思う。


そんなこんな、6時半過ぎには国会議事堂前が人で埋まってきた。
上空ではヘリが飛んでいる。なんとなくざわざわした空気。
例の柵の前では、目の前に座り始めた人たちと「歩いてください」と流動を促す警察官とで(口先だけだが)小競り合いも始まっている。
デモに参加していた人たちが戻ってきたのだろうか、人の流れが急に激しくなってきた。
老夫婦や若者の一団、小学生を囲む家族、研修帰りらしい男女数人、高校生、キャバクラ風のミニスカートで横断幕を持って歩く女性たち、外国人、ベビーカーの人、自転車を引っ張っている人……つまり、ありとあらゆる階層、年齢層の人たちだ。
デモと言えば「動員されているんでしょ」と言う人がいるが、しっかり現場を見た方がいい。そうすれば今回のデモが、ほぼ普通の人たちで構成されていることに気づくはずだ。


それは、それぞれが持っている明かりにも見られる。
「ローソクを持ってきて」という呼びかけだったが、多くの人は懐中電灯、ペンライト、100円ショップで買ってきたようなチカチカするライト、光る腕輪などを持ってきていた。イベントをいかに楽しむか、アイデアを凝らし、あるいはその場の思いつきでとにかく手元にある光を発するモノを持ち寄った格好。
労組や団体が動員してデモをする時代は、遠い昔のこと。
今は思い思いの意思表示の集積で、即席野外ステージがそこここに出現する。
広い車道を挟んだ向こう側では、終始、太鼓や笛、音のするもので「再稼働反対」が小気味よいリズムを刻んでいた。それは一種、祭りのようでさえある。楽しいのだ。使命感に満ちたつながりではない。僕だって途中でその“連中”に出合っていれば、紛れ込んで歌い続けていたかもしれない。
今のデモとはこのようなものである。
政治家やメディアはこの点、見誤ってはならない。
1960年、70年代、昭和のデモとはまるきり違っているのだ。


7時を過ぎ、あたりがようやく暗くなり始め、明かりが数を増す頃、ついに人波が柵の切れ目から車道に漏れ出した。歩きやすいので、僕もそちらに向かう。
国会がシルエットで浮かぶ。
前へ前へと人が進む。だがそれはゆったりとしたもので殺気など微塵もない。
誰も駆け出したりはしない。
警察官には悪いが『いい光景だ』と思った。
国会を囲む!広々とした車道は集会場のようだ。歩道に押し込められていると、国会の影さえ見えない。だがここからはそれを真正面に捉えることができる。
グリーンの中央分離帯に入り、そこから写真を撮っていた。


と、その時だ!
車道に停めていた車のマイクが「国会議員は犯罪者だ!」と叫んだ。直後に、
「国会に突っ込めー」
と割れんばかりの声で叫ぶ。
えっ? それはないだろう! こんな時に扇動してどうするのか。
煽動するような状況でもない。
僕は人々を見た。無反応だ。ホッとした。
にしても、こんなアジテーションが続けば駆け出す人も出ないとは限らない。
中国のデモではないのだ。実力行使して何かを引き出す運動ではない!
その車に近づき注意をしようと思った時、再びマイクから声。
「今のは訂正します。スイマセン…」
車内の誰かが止めたのだろう。冷静な人がいてよかった。
近くに大勢警察官がいたが、群衆整理に追われていて、気づかなかったようだ。


この日の集まり、主催者が望んでいた「100万人集会」にはならなかった。
集まって何かが得られたわけでもない。
すぐさま野田首相が改心するわけでもないだろう。
しかし僕は『こういう運動が在ってよかったな』と思った。
福島第一原発の事故現場にフタもできていない。
事故の検証も終わっていない。それゆえ事故原因についても諸説が入り乱れている。
核燃料プールのある4号機については、激しい地震がもう1度来れば世界を破局させる事故を引き起こすかも知れない、と予想されている。そんな中での大飯原発の再稼働。
「日本人は何を考えている!?」
「このような政府は危険だが、国民が止めないと言うことは、国民も共犯ではないか」
とまで、アメリカのメディアでは日本人そのものが批判を受けている。
そんな折の、この平和的な集会だ。
参加できたことに僕は誇りを感じた。


■    ■

新聞を読むと、主催者たちはこうした運動をまだ続けると言う。
良い知らせだと思う。
日本に、国民参加型の民主主義運動を根付かせるチャンスだ。


一方、メディアには言いたいことがある。
多くの社がヘリコプターを飛ばした。街角で参加者のインタビューも行っていた。
しかしその相手は日本版「緑の党」の参加者たちにだった。
確かに目新しい。脱原発側の1つの核にはなるだろう。
しかし一歩間違えれば、純粋に市民主体で始まったこの運動を、何か政治的な目標を持った“プロの活動”にすり替えていってしまう恐れなしとしない。
聞くなら(手当たり次第で構わない)、ごく普通の参加者100人にランダムに聞いて見ればいい。100人100様の動機があるはずだ。
怒りかもしれない、未来への恐れ、子供のため、誰かが行くからついてきた、1票の行使と同じ感覚、おもしろそうだから……。
こうした人たちこそが、脱原発社会を本気で実現させようと言う時には力になる。
いや、逆に言えば、こういう人たちにソッポを向かれて大願が成就することなどありえない。


「緑の党」を批判したいわけではない。
しかし一足早く政党として立ち上げたがために、今は知名度を上げること自体が目的になっているようにも見受けられた。本末転倒であろう。
人類学者の中沢新一さんらが率いる「グリーン・アクティブ」はこれとは一線を画すという。ぜひ、そこは貫いてほしい。なぜなら
「既成政党の議員であっても、原発を作らない、売らない、わからないものは作らないというポリシーに賛同してくれる議員にはグリーンシールを貼る」
この発想こそが正しい方向だと思えるからだ。
普通の人が普通に支持してきた、あるいは義理人情や利得に絡め取られて1票を投じてきた、既成政党の議員たちこそが、「国民の声を聞け」という今のうねりのような運動を体感し、国民の側に立つべきだ。
彼らをバカ呼ばわりしても始まらない。現場に連れて来て、分かってもらわなければならない。


真夏の半日、国会周辺にいて、僕はそんなことを考えていた。



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