★Facebookがビジネスの世界でも、活用できないわけがない | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

『Facebookはビジネスで有効に使えるのだろうか』

このところ、ずっと考えていた。
言うまでもなく、Facebookは双方向のメディアである。ホームページに比べて簡便だ。
htmlファイルの知識がなくても、パソコンやスマホで普通に入力できるし、写真や動画も簡単にアップできる。
しかもコメントが入れやすく、双方向の会話が自由自在。
一昔前から考えれば、夢のようなツールの出現だ。
ゆえに『Facebookがビジネスで活用できないわけがない!』と僕は考えている。


だが、日本の現実はどうだろう。成功例をあまり聞かない
あってもアメリカの有名企業であったり、著名人の話ばかり。
日本では「実名の壁」がささやかれている。だから利用者自体がまだまだ少ない。
気兼ね社会であるうえ実名だから、投稿の中身も当たらずさわらず。
さらに、まことしやかにささやかれる定説は「宣伝すると嫌われる…」。そうなると「ビジネスに使える」どころか、宣伝・PRはご法度のような空気さえ漂い始める。
日本のFacebook、まことにつまらない!


そこで僕は“実験”をいろいろやってみた。
どんな投稿が受けるか、あるいはスルーされがちとなるのか。さまざまな傾向の投稿、つぶやきをしてみた。長い投稿、簡潔なつぶやき。口調も丁寧言葉を使ったり、ガラッパチの砕けた調子にしてみたり。脱原発論を展開したかと思えば食べ物の話。時に家内を引っ張り出して花の話もする。
(「実験」とは言っても、書いていることは正真正銘の本気。伊達や酔狂で書いてはいない)


反応はそれでもおおむね悪くはなかった。
しかし、しばらくやり続けていると、同じテーマであっても書き方の出来不出来、主張の当否、論調の鋭さ・鈍さによって反応は驚くほど違うことに気がついた。
もらえる「いいね!」の数は今のところ70~200くらいだろうか。かなり幅がある


実験によって分かったことが2つある。
1つは、Facebookの利用者の水準がかなり高いこと。ひとの投稿をきちんと自分の尺度(価値観)で評価していることが感じられる。
第2。それゆえ、一般論など通用しないということ。
長い文章がやみくもに嫌われるわけではないし、ビジネス志向の投稿、つまり「人に来てほしい」「買ってほしい」「評価してもらいたい」「応援してほしい」と言った投稿も、『宣伝・PRだからノー』ということではない。
ひとえにその投稿が「共感」を得られたかどうかなのだ。


これって、リアル社会と同じだね、と僕は考える。
連想として浮かんできたのは街頭のビラ配りだ。
ある日突然街角に立って、マイク片手に自分の主張をがなりたてても振り返る人は少ない。普通の人にとってはうるさいだけ。はっきり言って、場にそぐわない(街という人々が行きかう公共空間)声髙の主張は迷惑なのだ。
ではどうするか。動員力のある団体なら大勢で繰り出し「何かをやっている」という雰囲気を自らつくりだす。あるいは、何月何日にどこそこでこういう催し(呼び掛け)をしますと事前にPRをしておく。その場合も、ネットだけの広報にとどめず、人海戦術で知り合いに声掛けしておくことが効果的だ。
動員力のない個人はどうするか。「繰り返す」のではないか。
雨の日も風の日も街頭に立って呼び掛け続ける政治家志望の新人候補。路上ライブを繰り広げる若者たち。来る日も来る日も続けることで人々の心象風景の一角を占める。すると、心情的に応援したくなるのが人情というものだ。それがどこまで広がるかは、政治家で言えば「言葉の力」だろうし、路上ライブなら曲と演奏の良しあしということになる。


マスメディアであれソーシャルメディアであれ、資本力のあるもの、有名なものが有利であることは当たり前である。もっと言えば、ネット社会の出現以前は、普通の個人がメディアで発信することなどあり得ないことだった。
それができるようになった。初期にはホームページで。やがてメルマガ、ブログが普及し、mixiが注目を集めた。ツイッターがブームとなり、そしてFacebookが出現。
個人が世界に向けて(世界に、ですぞ!)情報を発信できるようになった。原理的に言えば一人ひとりが新聞や放送局を持つようなものだ! 違うのは「規模」だけ…。
でも、その規模たるや圧倒的に違う。
個人の生活を楽しむと言う意味でSNSを使う分には気にする必要もないが、自分と言う人間を知ってもらいたい、商品を売りたい、店や会社をPRしたいと思いだすと、「規模の違い」に圧倒される。有名人なら苦もなく拡散できることが、普通の個人にとっては100人に知ってもらうことさえ難しい。資金力のある大企業なら広告によって投網を打つように、ホームページであれFacebookページであれ、あっと言う間にファンを集められるかもしれない。しかし、小さな会社が同じことをしようとしても、ページが存在していることを知ってもらうことさえ難しい。


それで「Facebookは使えない」と言われるのだとすれば、「それは違うでしょう」と僕は言いたくなる。
マスメディアと同じ発想をしていてうまくいくはずがない
無名の個人が有名人と同じことをして、「反響がない」なんて思い違いと言うべきだ。
僕らが使っているのは個メディアである。届く範囲はしれている。と言うよりむしろ、Facebookの場合は友達にならなければ届かないのだから(Facebookページは別)、「どんな友達を作るか」というところからスタートしなければならない。そして、リアルな友達に気を使うようにネットを介した友達にきちんと心を配り、語るべき言葉も計算しぬいて行わなければならない。
SNSという個メディアで、投網を打って見込み客を一網打尽にしようなんて、発想自体がマスメディア的であり、的外れだ。でもそこのところの理解が、いまだ行き届いていないのが日本のFacebookの現状なのだと思う。


さらにもう一つ、「錯覚」があるので説明しておこう。
Facebookの声は、遠くまでは届かないということ。
電波とは違うのだ。5000人の友達がいれば、5000人に届くか。
届かない!!
ハイライト表示が標準の設定となっているFacebookのニュースフィードでは、自分の投稿が届く範囲はせいぜい数百人だと思ったほうがいい。Facebookはコミュニティーをつくるためのツールだ。だからニュースフィードに登場する人は、自分と頻繁に交流している人が主になる。友達全員の投稿が読めるわけではない
こうしたFacebookの機能上の特性は、Facebookを「広告」メディアとして使いたい人にとっては不都合であろう。しかし、元々がそのように作られているのだ。
文句を言う方がおかしい。


一方、到達性に限界があると指摘したFacebookだが、感動的なストーリーにはふだんの「いいね!」の限界を超えて数百のシェア(「いいね!」ではなく投稿のシェア)が得られることがある。
先日、ある女性が突然Facebookから凍結を受け、抗議と交渉の末、凍結解除を勝ち取ったという話が載っていたが、この話は5000人を超える人たちがシェアしていた。ごく普通の女性に起きた奇跡のような反響である。
Facebook管理者側の一方的なやり方、問答無用の姿勢によほどみなさん、カチンと来ていたからだろう、と僕は推測した。
このように元来、到達範囲が限られているはずのFacebookでも時々、信じられないような波及効果が起きることがある。すべて、共感の得られ方次第。「いいね!」の壁は高くなったり低くなったりするである。


ではどうしたら「共感」を得られるのだろうか。勝利の法則、黄金律のようなものはあるのだろうか。「ある」とは思う。
しかし断っておくが、「成功」と言っても「成功」の感じ方は人それぞれだ。
また成功の具合も、状況は常に個別であり、特別な事情である。そのうえで特別な創意と工夫、努力を重ねた結果得られるのではないかと思う。教科書のように「こうすればこうなる」という法則を求めるのだとしたら、「個メディアにマスマーケティングの手法を求めても正解にはたどり着きませんよ」、というしかない。


※以上は、僕が書こうとしているFacebook活用本の一節になる(かもしれない)文章である。
この後、Facebookを活用してプロジェクトを成功させた例を紹介したいと思っている。
もっとも、僕が書きたいのは、単に商業的な成功例のみではない。
「100人いれば100人のFacebook活用法、楽しみ方がある」
というのが僕の持論だ。
だから、登場していただくのは僕が『すてきな投稿だな』と感じた人たちに限るつもりだ。必ずしも「いいね!」の多寡にはこだわらない。Facebookの中には魅力的な人がたくさんいる。「活用本」だと言っても、ビジネスの成功を追う本ではないことをあらかじめお断りしておきたい。


(こんな本にするつもりだけど、売れますかね。ご意見を聞かせてください)




◆Facebook活用本のためのFacebookページはこちら
http://www.facebook.com/meets001



読者登録してね