■あす震災から1年──原発の灯がすべて消えるまで長い長い戦いは続く | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

きょうは夜から出かけ、友達たちにミニ講演をする。
あすの「震災から1年」を前にして僕に話してくれと言うのだから、テーマは当然「原発」だ。
あの日以来、ほぼ毎朝、原発批判をつぶやいてきた


何を話そうか、きのう資料を作りながら膨大なツイートの数に我ながら驚いた。
「怒り」が原動力だったのだな、とつくづく思う。
1年も続く怒りとはなんだろう。
至極シンプルなことだと思う。
わが身に置き換えて、許せるかどうか。


■□■
地震は天災だ。
津波も仕方がない。
しかし、その後に続く福島第一原発の事故は天災か?
「想定外」の仕方のない事件なのか?
絶対に違うと思う!!


「安全神話」などと根拠のない自信を膨らめ、カネの力で学者や政治家、
メディアまでも丸めこみ、そのまやかしの「安全」を国民に刷り込んできた。
結果はどうだ。
震度6程度の揺れで全電源を喪失し
(東電は「津波」のせいにしているが、津波襲来以前に原発は機能不全に陥っていた)
原発のメルトダウンを引き起こした。
挙句に、天文学的数字の放射性物質をまき散らし、
それは地震・津波で絶望の淵にいる人々の上にさらなる災厄として降り注いだ。


事故は人が引き起こす。
事件は人が作る。
原発災害はまぎれもなく「人災」である。
なのに、1人も責任を取らない、責任を追及しようともしない。


■□■
ある日、自分が原発災害に直面する。
「ここにいては危ないから」と家から出るように言われ、居住地から離れる。
着の身着のまま、脱出。
どこかの避難所で、気がつけば「被災者」と呼ばれる人になっている。
それをしも我慢したとしよう。
家にいつ帰れるとも知れない。
それも我慢だ。


家はある。まちもそこにある。
しかし、今は住めないのだと言う。
僕は静岡市に住んでいる。
浜岡原発から50キロ、風向きによっては避難地域に入るかもしれない。
一時帰宅したらどうだろう。
屋並みは元のまま美しい町なのに、今や人っ子ひとりいない。
無色透明、においもない。
それなのに人は住めないのだという。
それが放射能というやつだ。
悔しさがこみ上げてくるではないか。


被災者には何の落ち度もない。
避難所暮らしを住民に強いている「原因者」の東電幹部はただ1人として謝罪に来るわけでもなく、
東京のオフィスで、安全で暖かい快適な執務室で、
人ごとのように”事故処理”の書類に目を通している。
考えていることと言えば、いかに東電を「政府の干渉なし」に成り立たせるか、
原発を(地元の抵抗を抑えて)再稼働させるか。


■□■
僕のような部外者でも、こういう想像が及ぶ。
当事者はもっと切実に怒りとやりきれなさを感じているだろう。
外にいる僕が書くより、
現場で書いている人の方がはるかにこの事件の真実を伝えていると思う。


それでも僕が書き続けているのは、外側から東電包囲網を敷きたいからだ。
やみくもに電力会社をつぶせと言うのではない。
にくんでいるわけでもない。
しかし、東電社員は1人残らず、この原発事故に対して責任の観念を持ち、
迷惑を掛けている人々に対して素直にわびる気持ちを持ってもらわなければならない。
なお多くの人が、
東電がカネに飽かして政・財・官・学・メディアを総動員して刷り込んできた
「原発は安全、原発がなければ日本の電力は立ちいかない」
という論から、離れることができないでいる。
だから優秀な評論家さえ真顔で
「原発と当面、共存しながら脱原発の方向に進もう」などと言う。
いい加減に目覚めてほしい。


共存するとは、1人1人、以下の状況を認めることだ。
ある日自分が被災者になる可能性があるということを。


日本に住む以上、その可能性は決して低くない。
それを心に刻んでほしい。
刻みこんだ後に、それでも「原発と共存」などと言えるか、
被災者になることを「仕方ない」とのみ込めるかどうか、
想像力を働かしてほしい。


■□■
いささかドン・キ・ホーテめくが、
できる限り多くの人に僕の主張を届けたい。
それが、この災害について何もできない自分のささやかな貢献だ。


ソーシャルメディアの影響力はいまだ小さい。
「個」の声は、マスメディアにいて書くよりも影響力は格段に低い。
それでもマスメディアの論調も少しは変わって来た。
「原発と永久に共存」はさすがに言いにくくなっている(本音はどうあれ)。
個人の側が変わってきているからだ。


しかし、油断をしているとすぐ元の木阿弥にかえってしまう。
それほどに「原発利権」は甘い蜜だ。
原発をめぐっては、カネに転ばされる話が多すぎる。
その意味でも、僕は「原発は悪」だと思う。
心ある人なら、「カネによって主張を変えることは恥ずかしい」と思っている。
その日本人の美徳、誇りを踏みにじり進めてきたのが原発推進政策だ。


カネの動きが伴う以上、この体制をあきらめさせるには、長い長い戦いが必要だ
しかし考えてもみてほしい。
電力会社は確かに金持ちだ。
しかし、そのカネはどこから来ている?
公共料金などと錯覚した、僕ら国民がせっせと支払ってやったものではないか。
1円の単位に至るまで、僕らが稼いできたカネだ。


そのカネが、回り回って国民を苦しめている
こんな話があるものか。


■□■
1時間でどこまで話せるかは分からない。
商店や個人事業を営む人たちにどこまで通じるかも分からない。
それでも、こういう機会をいただいたのはありがたいこと。
原発の灯がすべて消えるまで書き続けることを、話してくるつもりだ。




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