39年のサラリーマン人生、最後の1日に「ありがとう」!! | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

静岡新聞社をきょう退職した。


23歳で入社してから39年間、最後の1年は兄弟会社のSBS静岡放送にお世話になった。
仕事は番組宣伝。
新聞マンがテレビの宣伝!
右も左も分からず、右往左往した。
冷や汗というヤツを一体、何度かいたことか。


「辛い」と言えばウソだ。つらくはない。
仕事は簡単?とんでもない。
郷に行けば郷の仕事があり、それは大の男が熱意を込めてやるだけの価値のあるもの。
だから簡単である訳がない。
みな一所懸命だ。


そん中で、自分はあまり役に立たない。
手際が悪い。失敗もする。
当たり前と言えば当たり前だが、大目に見てもらうと悔しい。
と言って、背伸びするのも見苦しい。
肩肘張ればもっとみっともない。


で、ひとつ悟った。
『俺は俺のやり方で乗り越える』と。
機械周り(と言ってもビデオみたいなもの。そんな高度な技術は要しない)のことは、
すべて自分用のマニュアルを作ってクリア
。分からないことは人に聞き、これもすべてメモした。
何とかかんとか、苦手意識と折り合いをつけるのに3カ月はかかったと思う。


愚痴っぽい言い方になったが、この1年はものすごく有益だった。
テレビの視聴率、0.1%上げることにみな目の色を変えている。
制作現場だけではない。
営業、宣伝は言うに及ばず、僕が部署の名前さえ言えない数ある裏方さんたちまで、
チンタラやっている人は1人もいない。


局の一員になって、「放送」への見方がガラっと変わった。
熱気に触れたからだ。
ある意味あおられ、刺激を受け、
「俺はおれがやるべき仕事を早くスタートさせなければ…」と駆り立てられもした。


心の思いはそのようであったが、現実にはまだるっこしいオジサンであったと思う。
そんな僕を昨夜、20人ものが集まり壮行会をやってくれた。
そんな場でも盛り上がる議論。
今さらながら熱い、アツい男たちと女たちである。


そしてきょうはまた、局(編成業務局)の業務を一時止め、僕を見送ってくれた。
大きな大きな花束をもらった。
手渡し役は同僚であり、1年間僕の先生役でもあったKさん。
あどけない顔に破天荒なアイデアをもった「かぐや姫」だ。


1年間、ほんとうにありがとうございました。
みなさん、お達者で。
「マス」と「個」の違いはあっても、
メディアが社会のお役にたてるよう、これからもがんばりましょう!



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