■福知山線脱線事故で前社長、無罪の判決。日本の司法は”自殺”する気だろうか | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



乗客106人が犠牲になったJR福知山線の脱線事故で、
業務上過失致死を問われたJR西日本社長(当時)に神戸地裁は無罪の判決を下した。
日本の司法は、大企業の事故(僕は「企業組織が行った犯罪」だと思っているが)
に対して甘いのではないか。


小学生でも分かる不安に「ノーマーク」

半径600mだったカーブを300mに付け替えれば、
遠心力で車体が振り回され危険が増すことくらい、
小学生でも分かる理屈だ。
それを、線路付け替え当時、安全管理の責任者だった山崎正夫被告が
「想定していませんでした」では済まない。


山崎被告は社長だったから、運転手の教育にも責任がある。
当時、JR西日本の運転士への指導は過酷なことで有名だった。
ミスが査定に響くことが分かっていれば、
運転士はミスを取り戻そうとして「時間を稼ごう」とする。
暴走運転を誘発する素地がそんなところにもあるのだ。
ヒヤリ、ハッと事例は1度や2度ではなかったはずだ。


急カーブ化という物理的要因と、
暴走を生みやすい人的要因がそろっていれば、
危険なカーブにATS(自動列車停止装置)を付けることくらい、当たり前ではないか。
それをJR西日本は設置しなかった。
組織に落ち度があったことは自明である。


重大事故を起こしても想定外なら無罪ですか?

今度の裁判は、組織がおかしたミスで
経営者個人の責任を問えるかが争点となった。
結局、裁判所は「過失責任」(過失がある場合のみ責任を追及する)の立場をとった。
つまり「事故が起きる具体的な可能性を予想できなかった」
「法令上、ATSの設置義務はなかった」として、不問としたのだ。


これを一言で要約すれば、「想定外」ということであろう。
経営者を救う魔法の言葉のようではないか。
重大事故を起こしても、経営者が「想定外=予想できない状態」であれば、
すべてが免責されてしまう。


この法理に問題はないのか。
言い古された言葉だが、これでは被害者は浮かばれない。


「過失責任」が反省のない事故を生む

日本では、事故と言うと「過失責任」をとる場合が多い。
だから重大事故がなくならないのだ。
遺族の1人がインタビューに答えこう語った。
「社長が有罪でなければ事故はなくならないんです」。
悲痛な叫びだと思う。


欧米では、経営者が刑事責任を追及される場合が多いし、
民事訴訟で会社が懲罰的賠償を命じられることもある。
大きな不利益があるからこそ、経営幹部は心身をすり減らすまでに
「安全」の管理に責任を持つようになるのだ。
そこを大甘にしておいて、法外な報酬を与えているから、
肝心要がおろそかになる。


浮かれている大企業トップの無責任体質

これは大企業の経営トップに総じて言える。
権力争いや、仲良しグループの順送り、あるいはお家の事情か何かで、
現場も踏んでいない者が幹部に据えられる。
トップ地位を「褒賞」かなにかに勘違いしているから、
地位に対するリスクを感じもしない。


人身にかかわる事故を起こした企業のトップは、
身を挺して遺族を見舞い、哀悼の意を表し、
その上で報酬を返上する、金銭的な賠償責任を負う。
そして時には事故が重要な場合、刑事責任を追及されて獄にもつながれる。


日本の経済社会にこのようなことが常識として伝わっていれば、
地位を喜び祝賀会を開くなどといった愚かな振る舞いは消える。
心して、100%の安全をめざすはずだ。


個人には辛いのに大企業に甘い?日本の司法

冒頭、あえて「大企業」に甘いと書いたのは、そのように感じたからだ。
例えば、ビルの外壁が落ち通行人が死傷した場合、
入居者は管理に特段の過失がなかったことを証明すれば無罪となるが、
オーナーは無過失責任を問われる。
「民間」の常識だ。
これとJRの事故とでは無関係なようだが、そうではない。


刑法は総じて過失責任論をとることが多いが、(僕のかすかな法律知識から言えば)
今度のようなケースに「無過失責任(不可抗力であっても責任を負う)は問えない」とは、
法律に書いてはないはずだ。
だから過失責任とするか、無過失責任とするかは裁判官の判断による。


大企業が被告の場合は、無罪が多く、
個人や小さな企業の場合はわずかな過失でも有罪になっているケースが多いように思うのは、
僻目(ひがめ)なのだろうか。


東電が引き起こした原発事故になぜ誰も責任を負わないのか

「大企業に甘い」と思う理由は、
福島第一原発のことが頭の中にあるからかもしれない。


東京電力はこれほど放射能を世界にまき散らし、
ただ一片の罪もない住民に避難を余儀なくさせ、
それでも「想定外」の一言でこの事故を片付けようとしている。


そして、政治も、検察・警察・司法も、行政も、経営責任追及の構えさえみせない。
なにかおかしい。
この事故がこのまま不問に付されるなら、
日本の司法は永久に大企業の責任を追及することなど出来なくなる。



ペタしてね   読者登録してね