facebookで広告や自己宣伝すると嫌われるって、ホント? の疑問にお答えします | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



facebook活用本を今度、書きます。
3月には39年間勤めた会社を退き、出版社を設立する予定。
本はその会社の「企画本」第1号になるはずです。


facebookの本を書きたくて出版社を興すわけではありません。
僕には「人の思いを伝えたい」と言う夢があります。
出版社はそれを実現させるための最初の一歩です。
でも、そのことはもう少し時間をかけて、あらためてブログに書きたいと思います。


今は、facebookの話をもう少し---


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facebook活用本を書くために、仕掛けをしました。
近い将来の読者と会話ができるよう、facebookページをつくったのです。

ソーシャルメディア活用本「友だちはあなたのビジネスの味方になる」

本の原稿を「下書き」の形で、どんどん見せてしまいます。
ウォールは投稿自由ですから、質問や要望、意見があれば何でも書いてください。
著者と読者が直接やりとりすることを通じ、本の内容は変化し進化していきます。

興味をもたれた方はページに跳んで「いいね!」ボタンをクリックしてください。
(それでは本題に戻ります)

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facebookについて何を投稿したらいいか、みな迷っているようだ。
日本では本格的な普及からまだ1年くらいだから無理もない。
しかし、間違った情報に振り回されている面もあると思う。


誤解はいくつかあるが、例えば

①長い投稿は嫌われる
②広告すると嫌われる
③愚痴や批判を書くと嫌われる


などが代表的なところだろうか。



となると、僕などはたいへん不利ということになる。
何せ、これからfacebookで本のPRまでするとなると、
①から③まで三拍子そろってしまうことになるからだ。


■facebookで広告することは「罪」ですか?

誤解の中でも「②広告すると嫌われる」は、かなり浸透している。
その反論は「facebookはNHKなのかい?」で足りると思うが、
こう言うと、多くの人がキョトンとした顔をする。


facebookは実名が基本だから、みな「人から嫌われたくない」と思っている。
それは仕方のない面もあると思うが「嫌われたくない病」が高じると、
僕から見ると、それは何だかとても幼稚な感じがしてひどく居心地が悪い。
大人社会が、まるで小学校の教室なったようではないか。
空気を読みあって神経をとがらして……。
挙句は疲れ果てて、せっかく始めたfacebookから去っていく人も多い。



宣伝はダメ、自己PRをすれば嫌われる?!
それでは新聞やテレビの立場はどうなるのだろう。


新聞だって、半分は広告で成り立っている。
民放の放送局は、広告がすべてだと言ってもいいくらい。
それで、巨大なメディアが「メディア」として存立していると言うのに。


■自分の仕事を宣伝するのがなぜ「悪」なのだろう

facebookは個人のメディアだ。


「個人」とは誰のことだろう?
その多くが仕事をしている。生業を営んでいる。
自分の仕事を、人に伝えたくはないですか?
自分が作ったもの、自分のアイデア、自分が打ち込んでいること、
その他仕事にかかわるありとあらゆること…。
それらは誇るに足りないものですか?
いや、誇らないまでも、自分の仕事が世の中の役に立つ。
役に立たないまでも、その仕事によって自分が自分の手で生きていく。
それはつまらないことですか?


僕は、それらすべてが投稿の材料だと思っている。

(投稿・コンテンツというより、「つぶやき」の方がしっくり来るけど)

団子屋さんだったら、店で作るお団子がいかにうまいかPRすればいい。
美容院がネイルアートをはじめて、その仕事に自信があるのなら、
写真入りで堂々と自分の「作品」を投稿すればいい。
サラリーマンだったら、自分の仕事の困難さ、でも成し遂げるべき事業の重さ、
それに取り組むための自分の覚悟や努力のこと。
守秘義務に反することはできないが、
話せること、話したいことはいっぱいあるはずだ。


何も、立派な話ばかりでなくてもいい。
仕事はおもしろいし、自分の骨格をつくってくれる大切な事業だ。
なぜそのことをわざわざ外して語ろうとするのだろう。


■みんながあつものに懲りてナマスを吹いている!

個人のメディアであるfacebookが、なぜここまで期待されたのか。
はじめに「ビジネスに使える」ということが喧伝された。
「ビジネスに使える」なんて洒落た言葉を使わなくても、
ありていに言えば「宣伝できるぜ」「がんがんPRできる!」が売りだった。


すると日本では、あっと言う間にビジネス本が出てきて
「ビジネスのための最強ツール」などと、まやかしを言う。
それで、みんな引いてしまうのだ。
みんなが引いて、できた結果が
「facebookでは宣伝すると嫌われる」という、まことしやかな伝説…。


ありもしない伝説に振り回されるのは、もうやめましょう。
あなたが仕事のことをつぶやいても、
誰もあなたのことを嫌ったりはしませんよ。
何かを作って売っている人なら、その商品をアピールしましょう。
本当に人にすすめられるものならば。


僕はfacebook参加者の「集合知」というものを高く評価している。
僕の投稿パターンのひとつは、ニュースに絡めての感想だ。
時に暴論に聞こえるかもしれないが、ニュースの本質を突くこともある。
すると、その投稿にはたくさんの「いいね!」がつく。
自分でも言葉がこなれきらない、主張そのものがややあやふや…
といった投稿には「いいね!」が少ない。
この点、実に的確だ。


■広告は情報だ、その価値は読んだ人が見分けてくれる

「広告が嫌われる」ということが余りに広く伝わっていることの結果として、
facebookページの宣伝をしたけさの僕の投稿に
「いいね!」はいつもの半分以下しか付かなかった。
だから確かに、広告することにリスクはある。


しかし、僕はこう考える。


広告は人間活動の大きな部分をカバーしている。
広告は暮らしのために必要だし、それを求めている人も大勢いる。
つまり広告は、社会的に立派に認知されている。


自分をアピールすることも同様だ。
中身がないなら別だが、広く伝えたいならちゅうちょすべきではない。
価値が歩かないかは、他人が勝手に評価してくれる。


だから僕は、『これは広く伝えたい』と思えば、
手を変え品を変え、きちんと伝わるまで、何度でも宣伝していく。


■最初の本の成功を願う、だから僕は広告する

先日、静岡セノバに行ってきた。
5階に大きな書店がある(丸善+ジュンク堂?)。
公共図書館の何倍もあるくらい、たくさんの書棚が並んでいる。
蔵書数が多いのはすばらしい。それが魅力だ。
たまたま目に留めたのは人文科学のコーナーだったが、
買いたい本(読みたい本)が何冊も見つかった。
『このテーマの本が売れるかな』と言う本まであった。
それがすごい。
そういう本に限って、僕は読みたくなる。
何冊か買いながら、
『これからは、僕はこういう本だってつくれるんだ』と思った。


自分が社長だから、誰はばかることなくそれができる。
ただし、慈善事業ではない。
採算度外視の良書をつくるにしても、
一方ではきちんと会社が回っていく軸になってくれる本も作らなければいけない。
だから『最初の本で失敗はできない』と、僕は必死になっている。


■リアル社会より強い絆が生まれるfacebookを信じよう

facebook広告論のつもりが、最後は自己弁護になってしまった。
いずれにしても、一所懸命になっている営みを、facebookで遠慮することはない。
その投稿を評価するのは「人」でしかない。
昔から僕は、大勢の人が味方になってくれなくてもいい、と思って生きてきた。
でも一方で、ただ一人の人には届いてほしい、といつも願っていた。


facebookでは、リアルの社会より通じやすい。
それは、大きな、大きな喜びだ。
考えてみれば、実社会でここまで心を開いて自分を語ることはない。
それができるというのが、ソーシャルメディアの特長であり、
可能性なのだと思う。


だから、だからこそ、
facebookで自分の投稿にタブーを設けることをやめてほしい。
広告だっていい、広く伝える意味のあることなら、胸を張って投稿しよう。


みなんがのびのびと、自由に、思ったことを語るようになれば、
facebookはもっと楽しくなる。
そしてリアル社会の閉塞感にも、何らか風穴をあけることになる。



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ソーシャルメディア活用本「友だちはあなたのビジネスの味方になる」

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