早とちり、首相の「原発事故 収束宣言」 終わったことにされてはたまらない | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



朝刊各紙の1面に『首相、原発事故収束を宣言』の見出しが躍る。
能天気なことだ。
冷温停止=終結でないことは衆知の事実。
『課題山積あまりに拙速』
『本当の困難これから』
『実態なお不明』
各紙の警告見出しだ。
終わったことのように思わされ、
またぞろ原発再開なぞと言われないよう、気をつけよう。



これはけさ(12月17日)のツイート。
新聞各紙が1面トップに掲載せざるを得ないことは分かる。
僕も新聞社にいて、毎日毎夜、ニュースの価値判断をしてきた者だから。


しかし、ピント外れと言わざるを得ない。
「ではお前が編集局長なら違う判断をしたのか?」と問われれば、
「それはできないでしょうね」と答えるだろう。


「何だ……!」と言われそうだが、それが今の新聞なのだ。
ヨコ一線。
『あちら(ライバル紙)は何をトップにするだろう』との発想が抜けないから、
どれも結果として、同じ判断になってしまう。


しかし、結果は重大だ。
各紙が「事故収束」をトップ見出しにすることにより、
人類史上最悪、被災者・国民に降りかかった最厄の事故が、
あたかも「終わった」かのように刷り込まれる。


僕は今、ソーシャルメディアに立ち位置を置いているので書けるが、
現職で編集局を担っていれば、今朝の各紙と大同小異としかならない。
せめてもの”一矢”が、各紙が解説や前文(リード)横の見出しとした、
「拙速」であり「困難これから」「実態不明」なのであろう。


■同じ事件でも、記事・写真・見出しで評価は一変

この日、もう一つツイートをアップした。
東電社長が記者会見で「おわびをした」という記事に対してだ。


写真1枚、見出し1つで人の印象は変わる。
日経新聞「東電社長『改めておわび』」。
静岡新聞「'目標達成,を強調 東電社長会見 用意の文書読み上げ」
どちらが本質を伝えているだろうか。


hidekidos かく語り記
hidekidos かく語り記


上が日経新聞の写真、下が静岡新聞だ。


2枚の写真を皆さんはどのように受け止めただろうか。
僕は日経の見出しと写真を見て、瞬間、考えたのは、
『おわび一つで責任終了かい?!、気楽なもんだな』である。


それで、静岡新聞の記事を探した。
こちらの写真は、どちらかと言えば胸を張っているよう。
「目標達成を強調」に符合している。
しかし記事本文を読むと、記者の怒りがにじみ出ているように感じられた。


静岡新聞(記事は共同通信配信と思われる)では、
用意した文面を読み上げたこと、
会見に先立ち保安院の担当者らが「収束」と判断した理由を説明したこと、
ただその説明も「資料を延々と読み上げるだけで、根拠について問われると困惑した様子で言葉に詰まった」という状態であること―
などを、はっきりと書いている。


見出しも記者の思いをくみ取って、
袖見出しに「用意の文書読み上げ」と、きっちり拾った。


これに対し日経新聞は、紙面のスペースの都合なのか、
あるいは他に意図があるのか、
おわび以外のことには全く触れず、さらっと短い。


新聞社と言ってもいろいろだ。


■自分の言葉で語れない東電社長

西沢俊夫という東電社長を非難しているのではない。
彼は清水正孝社長(事故当時)が敵前逃亡のように病気を理由に辞任(引責辞任ではない!)した後、
常務から昇格して社長になった人。
その意味では当事者意識が希薄でも、まあ、仕方ない。


「収束宣言」にたどり着き、ほっとしたのだろう。
読み上げるとき、「感情をこめながら」と書いてある。


しかし、僕が社長なら、記者との一問一答に何時間でも時間をかけ、
事故についての説明、現在の自分の思いを語る。
いや、その前に、会見の時間を拝借して被災者や国民に向かって、
まず第一に深々と頭を下げ、
自分の言葉で(誰かが書いたおわびの言葉ではなく)おわびをする。


それができないのは、西沢社長個人の資質ではないだろう。
東電と言う会社そのものに、
国民に向かっておわびをする、ざんげをするという気持ちがないのだ。


あるのは『なんとかこの危機を乗り切りたい』という思い。
「この危機」とは「東電の危機」であって、「国民の危機」ではない。
やはりこういう企業は、いったん破たんさせ、
国有化したほうがいい、と僕は思う。


◇ (以下、蛇足)

前社長の清水正孝氏のことだ。
病気を理由に退職して、被災地におわび行脚しているなら立派だったが、
彼が次に脚光を浴びたのは「退職金」をめぐってだった。


一説に、「退職金退職金5億円、顧問就任年収9千万円」と伝えられた。
さすがに枝野幸男官房長官(当時)もこれにはあきれたのだろう。
5月16日午前の記者会見で、こう述べた。
「東電の置かれている社会的状況をあまり理解されていない」
”減額”の実施などを促す考えを一応は示した。


しかし当の清水前社長は
参院予算委員会で、退職金や企業年金の減額について、
「老後の生活に直結する」と検討していないと答えている。


忘れっぽいメディアや国民は、もはや事件自身を忘れている。
こういう一事をとっても、東電の殿様意識は改善の余地なしと断じていい。
こんな会社に国民の税金を投入するのだろうか。


くどくなるのでもうやめるが、
もし興味のある方は、
拙文「僕がソーシャルメディアで東京電力を批判し続ける理由」
をお読みいただけたらと思います。




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