レイプを連想させるかのような田中聡沖縄防衛局長の発言。
けさ僕はツイッターで、以下のようなツイートをした。
昨夜のTVニュースで既報だから今さらだが、田中聡沖縄防衛局長が更迭された。
『犯す前に-』と言う発言が原因。
聞けば誰もが『ひどい』と感じる言葉をなぜ?
傲慢、蔑視があったことまでは分かるが、ひど過ぎて理解不能だ。
『言葉』以前の問題である。
僕の舌足らずのつぶやきに、facebookの多くの友達が適切なコメントをくれた。
ツイッターと同時に書いたので、表現し切れなかったのだが、
発言は「懇親会」という名の酒席でなされた。
共同通信の記事によれば、
懇親会は那覇市内の居酒屋で沖縄県内に拠点を置く報道機関8社の記者と、
田中氏が沖縄名産の泡盛を飲みながら行った。
懇談会はオフレコだったのだろうか。
朝日新聞社会面はこう書く。
「今回の懇談は、田中氏が『記者会見以外に率直な意見交換ができれば』と設定し、
田中氏1人を囲む形になった。
出席者によると、田中氏は会の冒頭、発言を直接引用しないことを確認する意味で
『これは完オフ(完全オフレコ)ですから』と述べたという」
僕のツイートで足りなかったのは、
「酒席のオフレコ発言を記事にしちゃうの?」と思いながら、
そこを省略してしまったことである。
いや、違うな。
朝の時点で僕は状況をよく把握しないまま、
田中局長の言葉のみに反応してしまった。
洞察力のなさを恥じ入るのみだ。
友達のコメントを読んで気がついた。
酒席の「オフレコ発言」がマスメディアに出ることは、
田中発言をなじること以上に、強く非難されていいことだと。
この発言を第一番に報道したのは地元紙の琉球新報である。
扱いは1面トップ。
同社にオフレコという認識はあったらしい。
以下、朝日新聞社会面の囲み記事から引用--
「報道本部長によると、28日夜、発言について社内で議論し、
『人権感覚を疑う内容の上、重要な辺野古移設にかかわる発言で、
県民に伝えるべきニュースだ』と判断。
防衛局側に通告したうえで掲載したという」
琉球新報は沖縄タイムスと並ぶ沖縄の県紙である。
両新聞社とも反骨精神があり、論調は筋が通っている。
沖縄県民にとっては「心の支え」ともするかけがえのない地元紙だ。
常日頃は深く尊敬しており、はたから批判することもないが、
今回は「新報さんの判断はやはり『違う』」と言いたい。
僕は当初、特ダネ意識にはやった記者の暴走かと、思った。
しかし朝日新聞によれば、社内討議はなされていたのだ。
編集局の叡智が集まっていた。
それなのに、信義誠実に反する判断をした、と僕は思う。
僕だって、編集記者をやってきた者だ。
記者やデスク、局幹部の怒りや、悔しい思いは分かる。
しかし、その発言は酒席ではないか。
しかも「完オフだよ」と言われ、記者は異論を唱えず泡盛を飲んでいる。
その時点で、この日の取材活動は”放棄”されているのだ。
仮に田中氏がヘベレケに酔っぱらってあの発言をしたとする。
それでも記者は「許せない」と記事にするだろうか。
記者は書くかもしれない。
しかし、発言の状況を聴取したデスクは「そりゃ無理だ」と言うだろう。
酒に酔っていたからこそ本音が出る?
そう、その通り。日本人は途端に甘くなる。
しかし、欧米では「酒の席のことだから」と許しはしない。
一方、「オフレコ」と決まった会の発言を記事にすることはない。
取材者側が約束を守らなければ信用は瓦解することを、肝に銘じているからだ。
今回、記者が書こうと思った以上、
田中氏はまだ泥酔していない段階であったと推測する。
意識は正常だ、責任能力はある、ならばあの言葉は問題だ……
と記者が考えたとしたら、それは勘違いと言うものだ。
元々田中氏が「完オフ」を宣言したわけは、
こんなこともあるかもしれない、と予想できたからに違いない。
もちろん、「やる」「やらない」と強姦を連想させるような発言は
酔っていようが、オフレコだろうが、男を下げる発言には違いない。
しかしそのことと、公器に書くこととは全く別である。
公器と書いたが、今どきの人は新聞が「公器」と言われていたことさえ知らないのではないか。
公器だからこそ、取材する側が自ら信義則を破ってはならないのだ。
琉球新報は「特ダネを取った!」と思っただろうか。
記者は勝利の乾杯をするだろうか、美酒を飲み干すだろうか。
自らルールを破った者に与えられる酒は、苦い酒であるべきだ。
記事を読み、僕は田中発言に怒り、あきれた。
沖縄県の人はもっと怒り、悲しい思いをしただろう。
その結果、田中防衛局長は間髪を入れず更迭された。
沖縄県民は乾杯するだろうか。
違うと思う。心ある人は
『またゼロからやり直し。どこまで我慢し続けなければならないのか』
と、ほぞをかんでいるのではないか。
あの記事は、県民の心に沿った記事だっただろうか。
琉球新報は、酒席の発言で局長のクビを刈らなくても、
満身の怒りを、永年の理不尽をいつか晴らすための力に変える、
叡智も、粘り強さも、団結力も持っている会社ではないか。
今回の事件も、世間では早晩忘れ去られると思う。
しかし言論を担う新聞社として、今回の判断について、
もう一度、編集局内で議論を尽くしてもらいたい。
単に「オフレコ破り」の功罪だけでなく、
日常的に行われている取材者と取材される側との「懇親会」、
あるいは批判する者も多い「記者クラブ」制度についても、
いつまでも甘えていていいものか、真剣に語り尽くしてほしい。

