facebookをサラリーマンが使うリスクと、会社の進化論についての僕の考察 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


facebookを会社から勧められた息子のことを書いた。
親心としては複雑、というのが昨日の結論だった。
「実名主義」はやはりそれなりのリスクがあるからだ。


■ツイッターブームはきたがfacebookは?

去年、ツイッターブームが来た。
情報の拡散ツールとして優れているから当然だ。
今、利用者は2000万人を越えているらしい。
日本的な風土の中にしては大健闘である。


今年1月ごろから「次はfacebookだ」と言われ始めた。
確かに、ツイッターの使い手たちが続々とfacebookに参入し始めた。
僕もそのころからfacebookにも投稿するようになった。


使い勝手は? かなりいい。
人をつなぐコミュニティー機能は他の追随を許さないのではないか。
本気でこれをビジネスに使えば、最強のツールになる可能性がある。
ビジネス誌が喧伝した通りである。


しかし利用者は足踏みしている。
現在、多めに見積もっても300万人くらい。
ネット利用者の30人に1人、つまり1教室1人くらいのものだろう。


どんな人が使っているか。
ネット関係の人、個人営業、社長の肩書きのある人…。
有名人は数えるほどで、記者やライターの参入は少ない。
つまりプロの書き手はないに等しく、サラリーマンの姿も見かけない。


■ブームの障害となっている「実名主義」

やや悲観的に書いているが、おおむねこれが現状だ。
機能が多く使いこなしが難しいの声も聞くが、
普及への壁としてあるのはやはり「実名主義」だろう。


facebookを始めた頃、僕は「美人」の多いのに驚いた。
みんな質のよい写真をアップしているのだ。
この点、ツイッターの自由奔放さ(いい加減さ)と対極だ。


女性の場合『実名で書くことはそれほど覚悟がいるのだな』と思った。
今は名簿業者などによる「なりすまし女性」も多いが、それは余談。
活発な女性たちは、Facebookを心ゆくまで楽しんでいる。


しかしfacebook全体で見ると、伸び悩みは確かなようだ。
静岡あたりでは、使う人は本当に限られている。
当初から「実名=壁」説が言われていたが、
僕は『そんなこと、あるものか』と思っていた。
ツイッターでも実名を出しているくらいだから、名を出すことを全く苦にしない。
しかしそういう人は少数派のようで、僕の希望的観測は外れた。


■「九電やらせメール事件」自分なら断れたか

なぜ外れたのか―――、サラリーマンの立場で考えればすぐ分かる。


例を先日の「九州電力やらせメール事件」にとってみる。
この事件は、佐賀県知事の黙示の指示を慮った九電幹部の指示により起きた。
社長が責任を取るべき事件だが、開き直っている。
うまく泳いでこの地位に就いた者に、「責任」と言う文字は無縁なのだろう。


皮肉はさておき、自分が指示を受けたらどうするかだ。
「メールをなんとかしてくれんか」
多分上司はこんな言い方をするだろう。
(以下、僕の勝手な想像であることを断っておく)


『何とかしろって?』と一瞬たじろぐ。
『ああ、あの説明会番組ね。この時期、原発再開賛成なんてありえないもんなぁ』
しかし次の瞬間、「分かりました」と反射的に答えているだろう。


指示を出した上司に「説明してください」などと聞けはしない。
説明させれば、上司が責任を負うことになる。
こっちだって、相談しながらやれば「会社ぐるみを承知」ということになる。


どっちに転んでも『やばい』ことに違いはない。
『ならば自分で(勝手に)やるっきゃない』
そういう意味のこもった「分かりました」である。


■正義感だけでは通らぬ職場の空気

以上は気の利いた社員、つまり「信用できるやつ」の場合だ。
ボンクラならどうなるか。


自分が何をすればよいか説明を求めた上で、
「えっー、そんなことして大丈夫ですか?」と言ってしまう。
上司は『つくづく、こいつはばかだ』と思うだろう。
「もういい!」


非常にクレバーかつ、正義感の強い人なら、
「それはまずいんじゃあ、ないですか?」
「どっかから(やらせであることが)漏れたら、大変なことになる!」
今度の場合も「もういい!! 君には頼まない」となるだろう。


どちらの場合も、こういう人には微妙で重要な仕事は2度と回ってこない。
その分、変なことに巻き込まれずに済むから無事には違いないが、
サラリーマンとして幸か不幸かは”ビミョー”である。


ただ「気が利かん男」というだけならまだしも、
「あいつはうるさい奴」が転じて、
「危険人物」のレッテルを貼られることにもなりかねない。


■「異分子」より「普通」が長持ちのコツ

夜、帰宅のために駐車場を通るたびに僕は思う。
『会社はえらいな』と。
何百台停まっているのだろう。
大型RVや外国車、高級車も少なくない。
『これだけの社員と家族を食わせ、車まで買わせているんだからなぁ』


だから、会社も必死なのだろう。
社の業績の足を引っ張る社員などいらない。
正義漢ぶって正論を吐く者は”お荷物”どころか、邪魔な存在だ。
「異分子」のレッテルを貼って、メインストリームから排除してしまう。


どんな企業でも、一定の確率で「異分子」はいると思う。
「異分子」の場合、その人の能力、あるいは人に好かれるか否か、
そんなことが、その後の運命を分けることになる。


能力が飛びぬけている異分子は、居場所ができる。
「変わり者」だろうが何だろうが、会社は重宝に使いまくる。
この場合、異分子にもかかわらず「会社の宝」として、何をやっても許される。


変わり者のくせに、なぜか上司と相性がいい場合、これも許される。
大抵のわがままが「しょうがないな」と言われながら、通ってしまう。


しかし、以上は例外中の例外だ。
そんな力もないのに、スジ論ばかり言い立てる者は、敬遠されるし排除される。
怖いのは、上がそう考えるだけではないということだ。
中間、下の階層の者にまで、その考えは染みついている。


ゆえに、普通に考えれば「異分子」より「普通」の方が、
確率高くサラリーマン人生を長く生き抜いていける。
この掟(おきて)は別に難しいことではなく、
多くの人は、多少の失敗をしながらも、いずれ会得していく。


■『空気を読む』が常識になったサラリーマン

記者やカメラマンが「サラリーマンを撮ってこい」と言われたら…。
出てくる写真は「後ろ姿」か、顔の見えない「群集」となる。
別に教えたわけでもないのに、記者らはそんな写真を撮ってくる。
これはよく言われる「肖像権」の問題などではなく、
「サラリーマンは名を持たない匿名の存在」だということが、分かっているからだ。


逆に言うと、個人が際立つサラリーマン像は、描きにくいということだ。


その点、僕は修行が足りない。
人と競うと、つい勝ちたくなってしまう。
以前、社内のあるコンクールでトップに肉薄していた。
先頭を行くのは往年の大幹部社員だった。
僕もサラリーマンだ、『勝つわけにいかない』と思っていた。


友人の、後に市会議員になる男が、「絶対に一番になるな」と忠告してくれた。
彼は、目立つことは特にならないことを知り抜いていたのだ。
なのに僕はわけあって、トップに立たざるを得くなった。
その得失について詳しくは述べないが、あまりよい思い出ではない。


勢いに乗っているとき、サラリーマンは個人以上のことがやれる。
しかし、いったんコースから外れると、ごく簡単なこともできなくなる。


こんなことは言わずもがなのこと、「百も承知」だろう。
が、現代のサラリーマンはそんな常識に呪縛されているのではないか。
だから『空気を読む』ことばかりに汲々とする。


■「空気」の犯罪をただせるのは社長しかいない

九州電力の場合、どうだったのだろう。
福島第一原発の事故で、点検中の原発再稼動が極めて困難になった。
地域独占の企業とは言え、焦りはあっただろう。


電力会社への強い風当たりも、社員からすればいわれない事であり、
憤懣やるかたない思いを感じていたかもしれない。
被害者みたいな感じ、それが当時九電に支配していた“空気”だと想像する。


なんとかこの閉塞状況を打破しなければ…
だから「やらせメール」を書かせることくらいは…



悪いことは、良いことではない。
胸を張れる行為でないことは子どもでも分かっている。
が、物の分かった大の大人たちがいとも簡単に「悪」に加担した。


その理由は、上記赤字で書いた職場の空気であろう。
「メールを頼む」と言われることはピンチだが、チャンスでもある。
断れば反主流派、決定。
黙示の指示をうまくやりおおせば「あいつは出来る」となる。


責任ある者は、部下にこんな二者択一を取らせてはならない。
だから「社長の責任だ」と僕は言う。
九電からこんな空気が消えるとしたら、トップが公明正大、
コンプライアンスを身に着けていることにおいてほかない。
しかし、そんな社長ではなかった、ということである。


■社長が清濁あわせ呑んでいるようでは…

だから、サラリーマンが大挙facebookを楽しむようになるには、
会社が変わらなければだめだと思っている。
会社、すなわち社長だ。


社長がいつまでも日本流の、清濁あわせ呑んでいるようでは、
日本社会の弊は100年たっても変わらない。



息子の会社はその点、上司がfacebookを薦めるくらいである。
幸せな会社だ。
前言撤回、「息子よ、大いにfacebookをやるべし


これでようやく、僕の主張に近づいてきた。
今の日本で、サラリーマンがfacebookを使うにはリスクがある。
会社がソーシャルメディアを許容するほど進化していないからだ。


しかし、会社も変わる。
九州電力でさえ変わる。
大臣に言われたのだ、社長は辞任するだろう。
そして会社ぐるみ気づくはずだ。
最も危険なことは、不正を働くことだ」と。


■会社が変わるときfacebookの時代が来る

今度の事件、マスメディアにとっては恰好の「エサ」である。
こんなおもしろい話はない。
『あるのではないか』と想像していたら、実際にやっていた!
コンプライアンスの「コ」の字もない会社。
叩くために、徹底的に調べ上げる。


社内告発では容易に動かない記者の腰の重さが一転、
連日、九電絡みの不祥事が出てくる。
こういう経験を通じて、企業は学ぶ。
学ばなければいけない。


不祥事は損だ!
不正行為は結局、社長のオレの首が飛ぶ!
不正に気づき、止めようとする異質のサラリーマンは会社の宝だ!!


この簡単な原理に企業が気づけば、
実名をものともせず、facebookが普及していくだろう。






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