iPhoneが僕を変えた。あるはずのないことが起こり、人生もうひと踏ん張り | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

「iPhoneで僕の人生は変わったよ」などと言われても、
ピンと来ない人が多いに違いない。


iPhoneはコミュニケーションのツールだが、
どんなに優れた道具でも、それが人生を変えるなどと言うことは……
あるはずがない、はずだったが、僕の人生は変わった。


■神様の罰が当たりインターネットの職場に

僕がiPhoneを使い始めたのは08年9月からだ。


緊張を強いられた編集局の仕事から出版部門に移り2年、
『本づくりこそ天職かなぁー』と思い始めた矢先、
想像もしなかったインターネット関係の職場に移った。


それまでの僕は
「電子新聞?電子本?ないない!あるわけない。
100年たっても情報は紙だよ」とうそぶいていた。
それが180度の転回を強いられたのである。

hidekidos かく語り記-iPhoneと僕


『罰(ばち)が当たったよなぁ』
それまでの仕事がおもしろすぎた。
好き勝手に本を作りすぎた。
思い上がっていると、神様の罰が当たる。
分かっていたのに、油断した。


■せめてもの楽しみにとiPhoneを手にした

ネットが嫌いな訳じゃない。
ワープロを使い始めたのは編集局で2番目に早かったし、
ほどなくワープロ専用機を「98」(※NECのパソコン)に変え、
93年にはパソコン通信を始めていた。


生来、新しい物は好きだ。
『新しい仕事は俺に来る』と思っていたし、それが「売り」でもあった。
しかし、今度は意表を突かれた。
『時期も難しいしな…』新聞とネットをめぐる複雑な当時の事情は省くが、
いつになく、心に燃え立つものがなかった。


異動となった08年8月、巷の話題はiPhoneの日本発売だった。
心の声がささやく『これを逃しちゃだめだぞ』。
『ここにチャンスが?』会社に交渉し、携帯電話に換えてiPhoneを手にした。


ずっと以前から、電子手帳をあれこれ試していた。
スケジュールがあり、時計が付き、メモも書ける…、
希望のスペックは大したものではないが、それでも帯に短しだった。


iPhoneは違った。
上記の条件を楽々クリアし、電話はできる、写真も撮れる、音楽も聴ける…。
電子手帳どころか、小さなパソコンだった。


■写真付き日記を書くようになり旅行好きに変身

iPhoneを褒めちぎるのがきょうの趣旨ではない。
書きたいのは、僕とiPhoneとの「出会い」の絶妙さである。
当時僕は、定年まで2年を残していた。


会社人間と言うほどではないが、仕事以外に”芸”はない。
定年後をどのように生きていくか、そろそろ考えなければならない時期。
にもかかわらず、何の想念も、アイデアもなかった。


iPhoneを持ちながら、僕はほぼ1年を徒過した。
もちろん仕事ではiPhoneを生かした。
富士山カレンダーや雑学アプリをつくりそこそこのヒットを果たした。
無料の雑学アプリでは25万ダウンロードを記録した。
人々の印象には残したと思う。
が、それがビジネスにはつながるわけでもなかった。


翌年の夏、はやり始めたツイッターのアカウントを取ったが、
その時は楽しさが分からず、そのまま放置してしまった。


この間の変化は、むしろ個人生活にあった。
iPhoneを持つようになって、まず写真付き日記をつけるようになった。
個人や家族の画像が記録に残ることで俄然、旅行が好きになった。
(本末転倒だが、僕の場合しばしばこういうことが起きる)


09年5月の善光寺・小布施に始まり、
以後5月の連休や夏休みとなると家族と小旅行を重ねた。
いつもロングドライブで、那須にも黒部にも行った。


■ツイッターコミュニティーにデビュー

2010年2月、僕は定年を迎えたが職場に参与の形で残留した。
その年の6月、年若い同僚がツイッターを始めた。
「ツイッターなら僕もアカウント持っているよ」
と言うわけでツイッターを再開。


会話する相手がいることでもあり、今度は続いた。
今から思えば、ツイッターの空前のブームが始まった頃でもあった。
おもしろさを体得できるよう、本も買い何冊か読んだ。


はじめはフォロワー数など気にもしなかったが、友と競ううち
どうすればフォロワーが増えるのか、研究した。
それから1年3ヶ月、僕のフォロワーは14万人となった。


当時僕が「限界」のようなものを感じていたのは、
地元のツイッターのコミュニティーに入りにくい、ということだった。
新参者にとっては『新米ママの公園デビュー』みたいなものである。


何となく敷居が高いのだ。
3ヶ月くらいぐずぐずした後、ままよと出掛けていくことにした。
オフ会が静岡周辺でも開かれており、その一つに参加した。


行き始めたら勢いみたいなもので、短期間のうちに各地を回り、
熱心なツイーターたちとはたいてい顔見知りになった。
そうなると「コミュニティー」を意識するまでもなく勝手なツイートをしても、
読んでもらいたい人には読んでもらえるようになっていた。


■電子書籍元年に遭遇、出版業の夢が膨らむ


その頃、世間の話題はまたもアップルのiPadデビューだった。
格好なツールの出現で「電子書籍」が本格的に注目されるようになった。
そうなると僕のムシが動き始めてくる。
それまで漠然と考えていたにすぎなかった『出版がしたい』の思いが、
急に具体性を帯びて考えられるようになってきたのだ。


出版と言っても「自費出版」の本、無論、紙の本が中心と考えていたが、
いくつかソーシャルメディアに関連した本の構想が浮かんできた。
『このテーマなら、紙と同時に電子版でもいけるかも…』
一つ思いつくと、あれもこれもと本の構想が押し寄せてくる。


しかしこの流れは半面、僕にとっては『具合悪い』ことでもあった。
と言うのは昨秋、僕は娘と司法書士の試験を受けることを約束していたのだ。
以来、夜と土日・祭日はわき目も振らずテキストに取り組んでいた。
二足のワラジを履く余裕などないのに、ソーシャルメディアへの関心は高まっていく。
いくつかのドラマを経て、最終的に僕は行政書士の試験に目標を切り替えた。
(詳しい経緯は、ブログ「お父さんもやりなよ」


ツイッターにかまけ過ぎたからとは思いたくないが、
昨年11月、僕の挑戦は不首尾に終わった。
こうなると父親たるもの、「もうやめた」とは言いにくくなった。
始めたことを1年でやめては「冷やかしだったのか」ということになる。


かくして今年も僕は挑戦者であり、試験の日は刻一刻と近づいている。
なのに今年は今年で、1月からfacebookを始めてしまい、昨年よりも条件を悪くしてしまった。
さらに今年3月、思いがけず新聞社から放送局へと職場が変わることとなった。


■のんびりマッタリの「定年後」ははかなく消える

つい2年前は、夜はと言えば漫然とテレビを観て過ごすだけだった。
今は疲れた体にムチ打ち、眠気と戦いながら、受験勉強にいそしんでいる。
(職場が変わったおかげで神経を使う。心身の疲れは昨年の比ではない)
朝のひとときは、自分にノルマを課した「ツイート」タイム。
4月からブログまで書き始めたので、これにも時間を食われている。


定年退職したら静かに本でも読んで過ごす、はかなわぬ夢となりつつある。
ばかなことを宣言したものだ!
以前僕は、ツイッターのプロフィールにこう記した。
『もうひとつの山(ピーク)に登りたい』と。


新聞の編集者としての人生が一つの山だ。
しかし「○○新聞の石川さん」だけで終わりたくはなかった。
自分のために生き、それが人の役にも立つような仕事でもう一山。


娘との約束でそれは「街の法律家」になることで達成するはずだったが、
出版の欲が生まれ、
ソーシャルメディアの中で自分なりの役割を果たすことまでが、射程に入ってきた。



■運命の出会い?そう、僕は喜んで身を投げた

われながら、欲の深いことだ。
それもこれも、僕がiPhoneに出会ったからだ。


iPhoneはジョブスの頭脳により飛躍のときを待っていた。
そして僕は全く不用意にそれを手にし、罠(わな)にはまった。
時を同じくしてソーシャルメディアの爆発的な流行が始まる。


しかも僕は、既存メディアからさよならする時に当たっていた。
時のめぐり合わせ。
まぁ、そういうことだが、奔流に僕は喜んで身を投げたのだ。






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