落日がまた昇る日は来ないだろう、「いいね!革命」それでも惜しい運動だった | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


なんだかもの悲しい気分だ。



「いいね!革命」の秘密のグループの全容を知った。
そのグループは実在していたし、北風ネームをもらった多くが参加していた。
しかし、想像していたような「いいね!革命」の中心人物たちが
謀議をこらすなどという、秘密めいた場所ではなかった。



それはいい。
僕がもの悲しいのは、
「いいね!革命」なるものをこれほど過大に見せながら、
実現しようとしたのはリーダーのただの私欲、有名願望にすぎなかったこと、
そして、そこに集った人も、「夢」を抱きながら
「いいね!革命」を飛躍のジャンプ台にすることなく、
ただ仲間内の濃密なかかわりに自足してしまったこと…。



『なーんだ…。俺は何を期待していたんだろう』と思うのだ。



客観的にグループを見ていたつもりが、僕も淡い期待を抱いていたらしい。
極端に言えば、悪なら悪でもよかった。悪には立ち向かえばいいのだから。
しかしグループは「悪」の水準にさえ達していなかった。


グループに(あるいはリーダーに)野望らしきものはあった。
北風ブランドを立ち上げ、本を売り、有名になって、
グループの面々の商品・特技をどんどん世に出していく…。
そんな夢も、一瞬盛り上がっただけで、じきに話題にも上らなくなってしまった。



結果、毀誉褒貶(きよほうへん)いろいろな言われたグループだが、
「地方から日本を変えていく」という気概は空回り。
実行してきたことと言えば、夢を語り、それを誉め合い、しかし何もしない、
みたいな…、中途半端な、苦い味が残るのだ。


■facebookで社会を変えていくという夢

facebookには可能性がある。
社会を変える力があると思う。
アメリカのように、実名の壁をものともせず、
インターネット利用者の6割までもが活用するようになれば…。



と僕は、いつも思っている。しかし、
『それには、10年はかかる』とも覚悟している。
人と違えばうっとうしがられる気兼ね社会の日本で、
facebookを個人が使うのは、まだまだリスクがある、と言えるからだ。



サラリーマンが意見を述べようものなら、どこからか牽制球…。
主婦だって、近所の奥さんたちのヒソヒゾ話が気になる。
よほど勇気があるか、KY(空気を読めない)でなければ何も書けない。



こんな社会をこそ、ソーシャルメディアによって変えていきたい、
というのが僕の夢だ…。
だからこそ、
この夢には時間が掛かるし、長い長い社会への説得が必要だと思っていた。
わけても「企業中心主義」的な発想への、粘り強い説得が必要だと。


■「いいね!革命」のグループ構成は複雑

そんな中で、ひょんなことから「いいね!革命」の運動を知った。
facebookの「いいね!」を使って日本を変えるのだという。
『おいおい、急ぎすぎだろう』というのが僕の第一印象だった。



グループを調べていくうち、『この連中、カルト集団か?』とも思い始めた。
知り合いがリーダーの六本木氏に心酔し、のめり込んでいく様子が見えたので、
僕はにわかに緊張した。
本腰を入れてこのグループの取材を始めた理由だ。



その間、多くのグループ参加者とfacebook上でやりとりした。
秘密のグループに登場する人もいるし、登場しない人もいる。
「いいね!革命」「北風の一味」と言っても、
運動へのかかわりは人それぞれで、キーパーソンだが一味でない人もいて、複雑だ。



この運動を身近で見、そして去っていった人は
「いいね!革命にはは何層かの参加者がいた」と証言する。
1,首謀者(六本木・D・辰也氏・田中典生氏)
2,幹部的な取り巻き・熱狂的なファン
3,一般的なファン
4,利己的な利用者

「一味が2とイコールかというと、ちょっと違うんです」と。



リーダーが「北風の一味」に固執したために、グループは批判を受けることになった。
彼は「悪名は無名にまさる」などとうそぶき、自分の戦略(?)を誇っているが、
運動を真摯に広める立場に立てば、
この独りよがりの戦略こそが「革命」を袋小路に追いやった元凶、と言える。



秘密のグループを形成していたのは、「2」に属している人たちが中心だ。
運動を広めるためには「3」層へのアプローチが最も重要だが、
秘密のグループ内での会話はほとんど「3」層への視点を欠いていた。


■ブランドショップの立ち上げを提案

5月5日、六本木氏は以下のようにつぶやく。



「私の電子書籍や(一味が売っている)商品が一カ所で買える
『北風屋』というブランドショップがネット上に作れないだろうか?」




何とはない思いつきか、計算し抜いた”無茶ぶり”か定かでないが、
このリーダーのコメントはグループの共感を呼んだ。
秘密のグループ各員のコメント数はこの日、213に上った。
一同がもっていた夢に希望の灯を付けた、と言ってもいい。



「私が作りたいのは『ブランド』。つまり、Facebookを通じて集まった一味が、
それぞれの商品や能力を世間に提供するという『ストーリー』が作りたい」



その方法として提案したのが、facebookページの活用だった。
カートとレジは各店別になるが、決済方法に統一感をもたせる。
そこまでの一切をfacebookページでやり、
「いいね!」「ノート」「シェア」を北風屋ブランドの中でまわす。
そうすることで「いいねモール」を生み出す-、と。



facebookがブームとなっていたこの時期、悪い発想ではなかった。
グループの中から、アイデアが次々と出された。
それはこのグループの勢いを感じさせものだった。



それを裏付けるようにこの頃、「いいね!革命」が男性誌に取り上げられ、
続いて、出版についての話が六本木氏のもとに舞い込んだ。
「第1号の商品はこの本にしよう!」
六本木氏のコメントに、喜びぶりがよく伝わってくる。


■立ち消えになった出版の話

しかし、結果を先に言えば、この出版の話は消えた。
「私の言葉は一字一句も変えたくない」という六本木氏に対し、
プロの編集者である出版社社長は「僕がルポ風に書きます」と、譲らなかった。



書けば2行足らずの話だが、このへんのやりとりは実に興味深い。
なぜなら、出版社側の分析こそが、
この時点の「いいね!革命」の長所と短所を正確に見抜いていたからだ。



「いいね!革命」は六本木氏の個性なくしては存在しない。
しかし彼のやり方は偽悪者を気取り人々の耳目を引くという、
今どきはやらない、アカ抜けないやり方だ。

方法論、理論としては見るべきものがあるし、
一定のファン層(どころか)熱烈なファンもつかんでいる。
本が売れるための”基礎票”は確かにある。
あとは多くの人が安心して手に取れる「客観性」をもたせられるかだ。

そのためには「アクの強い部分」をそぎ、
facebookのルールからの逸脱も修整させる(「いいね!」の誘導は規則違反)。
だからその部分は、世間にアピールするための方便であると解説し、
「実際には強制していない」とボカさなければならない。

六本木氏任せにすれば、
ルール違反の部分を勝ち誇り、真面目な批判者をばかにするだろう。
コアのファンは喜ぶだろうが、一般の人は背を向けてしまう。
だからこそ、良さも悪さも分かっている自分が書こう…。




僕が出版社なら、以上のように考えたに違いない。
現実は上の推測が当たらずとも遠からずだったことを示している。



何としても「いいね!革命」の良い部分を世に出したい社長は、
最後に苦肉の策として「出版対決本」を提案する。

真面目本「みんなで幸せになる方法(仮題)」(出版社社長著)
VS
お茶目本「滝クリに会いたくて(仮題)」(六本木辰也著)


2人が「いいね!革命」を主テーマにした新著を書きましょう。
読者対象は「いいね!革命」参加者から一般の人まで自由とする。
内容も、結果的に「いいね!革命」を普及させることを目的としていれば自由。
それで、実売部数を競う(判定はAmazonでの1ヶ月の実売数)。


■グループ最大の逸機、以後、運動はしりすぼみに

秘密のグループの登場人物は30人近くに上る。
その中で「北風十万部」と名付けられ、グループに強引に入れられたこの人こそ、
「いいね!革命」の本質を最も理解し、愛していた人だったと僕は思う。



しかし、対決企画も受け入れられず、あっけなくグループから消えてしまった。
六本木氏の最後の言葉は「誠に残念です」の一言。
このグループの参謀とされた田中典生氏は「去る者は追わず…」。
6月3日のことである。



以後、出版の話はタブーであるかのように、グループ内で語られることはなかった。
まるで、オーナー会社のワンマン社長のご機嫌取りの図だ。
そして「第1号の商品」が頓挫するや、
あれほど熱狂した「北風屋」の話も、ウォールに再び登場することはなかった。



出版話の挫折はグループ各員の中に大きな傷を残した。
参謀を気取る人が「去る者は追わず」はないだろう、と思う。
何としても引き止め、出版を現実のものにすべきだったのだ。



出版挫折は、人心を傷つけただけではない!
グループ最大の機会逸失だったと思うし、最悪の選択だった。
知恵を出す者がいて、それを支える者もいた、行動する人までいたのに、
『それでいて、この様はなんだろう…』と思う。
公平・客観的な「いいね!革命」本が世に出ていれば、
運動に自信と余裕が生まれ、その後の展開も変わったはずだ。



一個の「果実」(具体的な成果)をもつことは、それほど大きな意義がある。
しかしリーダーは、あっさり「排除の論理」を使った。
特筆すべきは、以後この「排除の論理」がグループの通奏低音となっていったことだ。


■東京的な視点が欠けていた「いいね!革命」

これ以降のエピソードと言えば、6月6日に(つまり、出版頓挫の直後)
六本木氏を批判する意見がEvernoteに匿名で掲載され、
その批判者を「子ども」扱いしてこき下ろし、グループ内で溜飲を下げたことくらい。



批判と言っても「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類で、
反論にもならない悪口雑言が126件も寄せられた。
みんなでワイワイガヤガヤ…、見苦しい光景だった。
安息の場が脅かされることへの、無意識の悲鳴だったのだろうか。



秘密のグループに参集したのは、全員が「地方出身者」である。
意図したものではなく、偶然だろうが、
「東京的な視点」が全く欠けていることは、
このグループにとっては、やはり弱点になったと思う。



グループの一人からは、
「地方から日本を変えるみたいな意識はあった」と聞く。
しかしリーダーは、世の主流の価値観には、はなから見向きもせず、
「一味化」を「ブランド化」と勘違いして、隘路(あいろ)にはまりこんで行った。



この偏りは元々リーダーの頭の中にあったものである。
しかし、グループの誰一人として、
それが外から見ればグループへの「偏見」につながることに気づかなかった。
いや、気づいている人はいただろう。
しかし「意に介さない」ことにして、結果的に六本木氏に迎合した。
みな「井の中の蛙、大海を知らず」だったと言わざるを得ない。


■ネットの世界なるが故の妖しさ

しかしこのように批判をしながら、僕には内心忸怩(じくじ)たる思いがある。
僕は、六本木氏を発見するのが遅かった。
おかげで今、こうして批判する側にいる。



公平に言えば、(一部ルールの逸脱はあるにせよ)彼の発想には見るべき点も多い。
何より、facebookの可能性にいち早く気づいたこと。
ネットの専門家が見向きもしなかった「ノート」に着目し、夢を語らせたこと。
集まった人同士でマーケットをという発想も、成功すれば注目されただろう。



だから、早い頃に知り合っていれば、僕もグループに参加した可能性はある。
しかし元々、出版社社長と同様に冷静にしか物事を見ないたちだから、
遠からずリーダーの方向性に異を唱え、やはり”追放”されたかもしれない。


とは言え、同質のものは感じるのだ。
ネットの世界は妖(あや)しい魅力に満ちている。
インターネットに向かうと、みんなが平坦、平等になったような気になる。
ネットの世界では東京も地方もない。国さえ飛び越えて、世界と直接結ばれる…。



アイデア一つ、技術一つで先頭を走れる。
昨日まで無名だった人間を、短時日で有名にすることができる。
ましてfacebookは草創期、チャンスはある。


■夢見るだけで終わりがちなネットの世界

と、まあ、そんな『錯覚』を抱かせてくれるのがネットの世界なのだ。
だから野心家たちを魅了する。
その中で六本木氏は、彗星のように現れた。またたくく間に人を引きつけた。
「自分の力はすごい」と勘違いしても、無理もなかったのだと思う。



先日のノートで僕は六本木氏批判を展開した。
すると、シンパと思われる女性から(実はなりすましの人で性別不明)、
「いいね!革命を実行した六本木氏と、批判するあなたとどちらがエライか」
と激しい批判のコメントをちょうだいした。
僕は即座に返した。「そりぁ、六本木さんの方がエライよ」



ただ、ネットの危うさというのは、夢と現実の境が見分けがたいということだ。
「いいね!」は人と人とをつなげてくれる。
親しい関係はつくれるが、1週間もネットからご無沙汰すればすぐに忘れられる。



良いアイデアには100も200もコメントが付く。
『北風屋』の提案がそれだった。
しかし、どんなに盛り上がっても、ネットでの会話には誰も責任を持たない。
明日になれば、多くの人が興奮からさめてしまう。
誰かが「この手でビジネスにする」と強烈に思わない限り、
夢は言いっぱなしで終わってしまう。



本1冊つくるのだって、夢語りでなく、出版社社長の冷徹な計算が必要だったのだ。
マーケットをつくるとなれば創業の苦労は「出版」の比ではないだろう。
だから挫折してこれ幸い、ネット店の話は風船が弾けるように萎(しぼ)んでしまった。



そして8月5日の「【北風の一味】メンバーシャッフル」を迎える。


■メンバーシャッフルでも腰が定まらなかったリーダー

6月以降、「いいね!革命」にはよいことがなかった。
夢は一つも実現していかない。
メンバーシャッフルに六本木氏は次のような言葉を書いている。



「『北風○○』の名を受けて以来、まるで水を得た魚のように生き生きとし、
みるみるうちに自分の『夢』に近づいている人もいれば、
『塩を得た青菜』みたいになっている人もいます。」




まことにうまい言葉をひねり出す人だ。
しかし、「塩を得た青菜」だったのはこの時期の六本木氏自身だった、と僕は思う。
多くのリーダーが陥る「猜疑心」という心のワナに捉えられ、
邪魔なもの、まつろわぬ者は斬って捨てる…、そんな心境に陥っていた。



「いいね!革命」の北風の一味は、最大限に評価して言えば、
水滸伝の「梁山泊」的なひとかどの者たちの集まりみたいな雰囲気があった。
しかしいかんせん「反権力」でも「反中央」でもない、
夢は持っていたが、至極まっとうな、まともすぎる常識人の集まりだった。



六本木氏は、口ではヒエラルキー(階層)を否定し「真ん中社会」を提唱したが、
「一味」と言おうが「一門」と言おうが、やっていることは仲間の囲い込みであり、
真ん中社会も横から見れば、六本木氏がいる真ん中あたりが突き出した円錐形
言っていることとやっていることが、どうにもかみ合わない居心地の悪さだった。



自己矛盾を整理することなく、
最後は自分が一味を飛び出すという”奇手”が飛び出した。
シャッフルのコメントも、時系列を追って読めば矛盾だらけ。
右に左に揺れながら、最後は放り出す形になったのがこの人らしかった。


■うらさみしい「いいね!革命セカンド」

さっき、あらためて六本木氏のウォールをのぞいた。
シャッフル直後に使っていた「氷山一角」の名はどこにもない。
代わりに、「いいね! 革命家」六本木・D・辰也 団長とある。



最近は、「いいね!革命セカンド」をうたっている。
ひところ「女子部」にずいぶんご執心のようであったが、今は目立たない。
今、もっとも力を入れているのは
「いいね!革命2 夢をかなえるノート塾」という電子ブックの販売である。
購買者に「いいねーム」と名付けた寄席風のネームプレートを送るサービスぶり。



こういう動きを見ていて、僕は「いいね!革命」は終わった、と断言する。
電子ブックの新刊の定価は5000円(本人は4000円と言っている)。
紙の本なら1000円~1200円とするところだが、あえて高値を付けている。



「信者は値段が高いほどありがたがる」と信じているからだ。
ネット店の「北風屋」騒ぎのときにも、
「値段を吊り上げよう。『安いのがよければ、他へ行ってください』と」
と、高値志向の発言をしている。



つまり六本木氏の言うブランドは、
信者をつくる、②信者に高く売りつける-というものであり、
品質、デザイン、格調…どれをとっても一流だから「ブランド」であり。
価格も高くなるという洗練された常識とは、全く無縁な発想である。
つくりたいのは意のままに操れる「信者」。
それをつくるためには、異論を唱える者はいらない。



いま六本木氏のウォールは枯れつつある。
いいね!がつく数も30とか50とか、普通の人と変わらない。
その「いいね!」をくれるのも、以前からの人が圧倒的に多い。



しかし彼はもはや、かつてのような広い度量があるふりさえできない。
「批判的なコメントを書いたら、いきなりブロックされました」
そんなメッセージが、元秘密のグループの一員だった人から飛んでくる。


■ウォールもさみしい、こころも淋しい

正直に言って、このノートを書くのはしんどかった。
僕自身、こころが右に左に揺れるからだ。
六本木氏への評価が特にそうである。



facebookの普及において、功罪半ばしていることはすぐに分かった。
しかし、人物像にとらえどころない。
だから前回のノートでは、人物への評価を差し控えた。



今ははっきり言える。
僕はこの人を評価しない。
この人にはリーダーとしての資質がない。



「革命」という言葉使ったのは、ただ運動を過大に見せるための方便にすぎない。
本性は「一味」という言葉にいみじくも表されている。
囲い込み、その中心にいて、自足していたい人だ。
そして、自分以外の人の声は聞きたくない。
今後ますます、さみしい人間になっていくだろう。



根拠なくして僕は、人をここまで悪しざまに言わない。
迷惑がかかるので簡単な説明にとどめるが、
もっともこの運動を愛し、六本木氏自身が最大限の評価をした人を、
最近、無造作にブロックしウォールから締め出した心根に、
僕は心底あきれ、もはや論評する価値なし、と思ったのだ。






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