「いいね!革命」があっさり瓦解してしまった。
と言っても、「何のこと?」と思う人が多いかもしれない。
簡単に説明しておこう。
■「いいね!革命」はfacebookの共感運動
「いいね!革命」は今年の4月頃からfacebookの中で始まった。
リーダーは六本木・D・辰也さんと言う。
facebookの「ノート」に自分の夢を書き、メンバーがシェアし合うことを推奨。
ノートにはコメントを送り、そのコメントに「いいね!」を押すことを求めた。
さらっと書いても、この「システム」の凄みは伝わらない。
facebookには「いいね!」という機能がある。
投稿を読んで何かを感じたら「いいね!」というテキストバナーを押す。
それで、投稿を読んだ人の共感が相手に伝わる。
「シェア」は説明しにくいが、ツイッターのリツイート機能と同じだ。
シェアすると投稿の文章・写真・リンクが丸ごと自分のウォールに反映される。
大勢にシェアされると、その投稿はあっという間にfacebook内に広がることになる。
想像してほしい。
自分がfacebookに投稿する。
いいね!が押される。何人からも。
これはうれしいはずだ。
さらにコメントが寄せられる。満足感が湧いてくる。
その上、自分の投稿自体をシェアしてくれる人まで現れる。
facebookはツイッターの3倍書くことができるし、ノートなら字数の制限はなくなる。
長いコンテンツをシェアするのは、シェアする側にも抵抗感があるのが普通だ。
だから通常は、「ノート」がシェアされることは滅多にない。
それが次々にシェアされていく。
六本木氏の提唱どおりに反応すれば、ノートは奔流のように広まっていくはずだ。
「いいね!革命」とは、そういう「共感を広げる運動」だった。
共感力と、笑顔と、前向き志向で日本を変えよう、と高らかに宣言さえした。
だからこの運動がfacebook内に広がれば、「何かを変える」力をもったかも知れない。
だが、急ぎすぎた。
そしてリーダー自身が、あっけなくグループを放り出してしまった。
■突然「北風の一味」を名乗るようになって…
何が問題だったのだろうか。
外側から見ると、ちょっとネズミ講的なにおいもした。
「共感」の無限連鎖とでも言おうか。
その方法はともかく、運動は当初、成功をおさめる。
しかしほどなくして、このグループは少しずつ軌道を外れていく。
「リーダーの個性に振り回された」結果、と僕は見ているのだが…。
「革命」というおおげさな言葉を使う以上、運動は広がりをもつべきだった。
無論、広げようとはしたのだろう。
なにしろ六本木氏は、全国で講演行脚をするのが夢だったのだから。
全国でメンバーを増やしていくのは善だったし、そう望みもした。
しかし、どんな運動も頭打ちになるときは来る。
いつごろからか、彼は別称「北風小憎夫」を名乗るようになった。
そして「いいね!革命」の信奉者たちに北風○○の名を進呈しはじめる。
運動が成功すれば、批判者も現れてくる。
いいね!を押すこと、シェアの推奨も、集団的運動となれば
facebookのマナー上どうなのか、という話にもなる。
味方(賛同者)も増えたが、敵(運動への批判者)もまた増えた。
この時期こそ正念場だったと思うが、リーダーは何も説明しなかった。
当初は「北風襲名」も言葉遊びの一つだったのかもしれない。
元々リーダーは立川談志師匠を尊敬しており「一門」を築くことに憧れがあった。
だから親しい仲間にあだ名を進呈した(程度のことだったと思う)。
しかし外からの批判が強くなってきた頃から、意味が変わってしまったようだ。
(この点、本人の話を聞くのが一番だが、僕は僕の感想のみを述べる)
■自ら特殊な集団にしたリーダーの誤り
六本木氏は、
「何しろ北風の一味と言えば……」と、自らを「一味」と名乗りはじめる。
しかも「首領」となった彼は、開き直ったように「悪名高い一味」を喧伝する。
なんだか、とてもおどろおどろしい印象を受ける。
これをやった意味は2つあったと思う。
ブランド化とセクト化だ。
しかしこれを説明する前に、一つだけ感想を述べておきたい。
この時点のリーダーの選択の誤りが、とても残念であったと。
と言うのは、その後僕はメンバーの多くと会話をしたのだが、
彼らはごくフツーの人たちであったし、真剣であること、熱心であること、
意欲を持つこと…において、普通以上の資質をもつ人たちであったからだ。
リーダーに洗脳されているわけでなく、「自分」をしっかり持っており、
いいね!するにしろ、シェアするにしろ、自分で判断していた。
少なくとも「一味」と呼称するような、異常な集団には見えなかった。
だから、「北風の一味」などと言わず、普通に運動を進めていったなら、
この運動はじわじわと、もっと広まっていったと思うのだ。
「いいね!」を半ば強制するような方法は批判されて当然だが、
それさえ、実際にはメンバーの自由意志で行われていたのだから、
方法論の改善はいかようにも可能だったはずだ。
だがリーダーは、その道をとらなかった。
■ブランド化とセクト化
「北風の一味」はいつしか違う意味を持つようになった。
一つは「一味」が特殊なブランドと化していったことだ。
これはリーダーの狙いであったのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。
(この辺も、ぜひリーダーに「意図」を聞いてみたいところだ)
「北風」襲名は誰もが許されることではなかった。
だからこそ、メンバーの内部にこの呼称にあこがれをもつ人が出て来た。
しかし、この「家元制度」は外から見る限り、いかにも奇妙である。
普通の人からはやはり、ひんしゅくを買った面の方が強かったのではないか。
「北風の一味」のもう一つの意味は「セクト化」にあった。
六本木氏は組織のヒエラルキーを否定している。
上下関係を否定し、横へのつながりを強調する。
それが言葉通り「平等」を志向するものなら、セクト化はそれとは合わない。
それとも「自分は真ん中にいる」という意味での平等だったのだろうか。
ブランド化とセクト化の結果、グループはどうなったか。
外からはひんしゅくを買い、内部では内ごもりが始まった。
しかしメンバーは、このことにあまり敏感ではなかったようだ。
内部にいる限り、言葉は活発に飛び交い、活気も変わらなかったからだ。
もっとも、メンバーの中の感性すぐれた一部の人は、
この時点ですでに『何かが違う』と感じていたかもしれない。
■facebookは小さな小さな島
facebookは「夢の増幅装置」。
なんという魅力的なキャッチフレーズだろう。
人を酔わせてくれる魔法の言葉だ。
「いいね!革命」はそれを実践しているかのようだった。
外から客観的に見れば、この運動は約4ヶ月で頭打ちとなった。
それは「一味」呼称の問題でも何でもない。
その時期、facebookの急成長自体が止まったからだ。
しかしリーダーは、「運動の頭打ち」と思ったのではないか。
数字を見てみよう。
六本木氏のfacebookページの会員(いいね!を押した人)2302人。
彼が最も力を入れている「ノート塾」の会員360人。
この数字を見る限り、「いいね!革命」の実動員数は1000人足らずと思われる。
六本木氏の夢は「全国を講演行脚する」ことだった。
大宮を皮切りに、名古屋、博多、富士、東京…とセミナー開催にはこぎつけた。
しかし名古屋、博多以降、数字は伸び悩んだ。
僕が知る「富士」開催では10人集めるのにも苦労した。
どうも六本木氏は自分を「にわか有名人」と錯覚しているようだ。
しかしそれは違う。
最近は、ツイッターを検索代わりに使う人が増えているが、
「いいね!革命」も「六本木辰也」もほとんど検索にヒットしない。
ではなぜ「有名人認識(錯覚)」が起こるのか。
facebookという小さな、小さな島にいるからである。
その領域は、日本列島に例えれば小豆島くらいでしかない。
ツイッターが四国くらいと考えれば、その小ささに愛しさを感じるくらいだ。
■「いいね!革命」は恰好の寄る辺だった
関係ない話のように聞こえるかもしれないが、実はここが本質だと僕は思っている。
そもそも「いいね!革命」はなぜfacebookで反響を得たのか。
それはfacebookが小さなコミュニティーだったからだ。
日本に異質の、実名が原則のSNSである。
なのに「ツイッターの次はfacebookだ」と言われた。
「SNSの中でも最もビジネスに結びつくツールだ」と喧伝された。
だから、先物買いが殺到した。
しかし、現実はどうであったか。
参加したものの、何の反響も得られない…。
そんなときに「いいね!革命」は飛び出した。
寄りつく島がほしい、反応してくれる誰かがいてほしい。
そういう中で「いいね!革命」は恰好の寄る辺を与えてくれた。
特に女性は緊張していたと思う。
『ヘンな人から友達申請されたらどうしよう』
そんなときに夢を語る人がいて、その周りの人も前向き主義。
勇気を出してコンタクトして見れば、即座にいいね!が返される。
安心できる「寄る辺」、それは多くの人が求めているものだった。
だから六本木氏を「天才」と慕う人も出てくる。
しかし不幸なことに、彼は「野心家」だった。
コミュニティーの真ん中にいる彼は、権力化していった。
必然ではあろう。
組織にはリーダーが必要だ。
伸びていくグループには愛される「主役」がいなければならない。
■「成長の限界」が瓦解の引き金に
彼が自分を有名人のように錯覚しても、ある程度は仕方ない。
しかし、自分の存在を過大に見積もるとろくなことにはならない。
繰り返すが、facebookはいまだ小さな小さなコミュニティーだ。
逆に言えば、フィールドが小さいからこそ短時日にお山の大将になれたのである。
お客さんに対しては、彼は魅力的な笑顔を振りまく。
ネットでやり取りする限り、親切でフレンドリーな先生、
愛すべきキャラクターを持ち、ユーモアあふれる完ぺきな先導者。
だが、少数ながら彼に直に接した人の評価は、それとは全く違っていた。
彼は冗談ともまじめともつかず繰り返していた。
全国講演に走り回りたい、有名になり滝クリにインタビューされたい、と。
師匠の夢に応えるべく、賛同者が走り回る。手弁当で。
物事は、うまく回転しているときには問題は出てこない。
しかし、一度思惑が外れると歯車がギクシャク音を立て始める。
「成長の限界」が今回、引き金になってしまった。
全国講演の不調、出版の話の頓挫などに加え、
メンバー自身、会話は弾んでも夢は前進しない現実…。
さまざまな要素がグループ内部に滞留していた。
そういう最中、リーダーは突如「全国の秘書募集」を始める。
その旬日も経ないうちに「北風の一味メンバーシャッフル」を宣言。
最も信頼していた(と思われる)人たちへ縁切り状を突きつけた。
結果的に言えば、六本木氏は名前を「氷山一角」に変え、
自ら一味を外れ、「女性だけのいいね!交換会」を始めた。
■グループ内で育った多くの人材
「いいね!革命」はどこへ行くのだろう。
僕は冒頭、「瓦解した」と書いた。
本当に壊れてしまったのだろうか。
このブログを書き始め、既に2週間近くもたっている。
書いては消し、書いては消し、一応の結論がこの文章である。
頻繁に書き換えたのは、僕自身のグループへの評価が変わるからだ。
立場の違う多くの人に聞けば聞くほど、正邪がつきにくくなるのだ。
リーダーがいなくなってもこの運動は続くかもしれない。
「核」がなくなればバラバラになってしまうのが常だが、
築いてきたコミュニティー自体には罪はなかった。
罪がないどころか、そのコミュニティーはfacebookの中で、
確かに一時期、先導役を果たしていた。
その中で、多くの人材を育て、また育ってもいた。
僕は当初から、「いいね!革命」には反対の立場である。
しかし今は、「いいね!革命」の中にいた人たちに、
その得てきたもの(ノウハウ)を周りに伝えてほしいと強く願う。
ただ自分が温かなコミュニティーの中にいて心地よいだけでは、
到底「革命」などなし得ない。
むしろ「革命」などと気張らず六本木塾で育った塾生として、
その知識やノウハウや、ソーシャルメディアへの思いを、他に伝えてほしい。
■知恵は外部の世界に向かって生かしてこそ
「いいね!革命」はカルト的な危険なにおいを感じさせた。
最近は特に。
それは何より、六本木・D・辰也氏というキャラクターに負うところが大きい。
彼が実際に、”敵”をしていきり立たせるほどに危険な人物なのか、
邪心のない、ただのお祭り好き、もしくは”騒がせ屋”に過ぎないのか、
はたまたfacebookの特長を短時日のうちに見抜く天才的な「教師」であるのか、
正直いってこの現時点では判断できない。
以下、現時点における僕の結論である。
facebookを愛する者の一人として、僕は彼の存在を否定しない。
「facebookは相互ほめたたえメディア」という着想は鋭いと思う。
「facebookで社会を変える」という志もいい。
しかし急ぎ過ぎた結果、大きく育つべき木を内側にねじ曲げてしまった。
facebookはいまだ小さなコミュニティー。
周りを見てほしい、サラリーマンも、普通の主婦もほとんどいない。
人口構成の大部を占めるこの層を欠いているのが今のfacebookだ。
実名主義がネックの一つであることは間違いない。
思想信条の自由などとおおげさなことを言わないまでも、
気兼ね社会のこの国で、メディアの中で自分の言葉で語ることは、
かなりリスクが高いことを誰もが知っている。
(facebookは、小なりといえどもメディアである!)
こういう状況の中で「陣取りゲーム」をしても意味はない。
女性に囲まれお山の大将になっても、失笑を買うだけだ。
有り余る知恵は、取り巻く人のためでなく、
facebookに可能性を感じている多くの他者のために使うべきだ。
◇◇◇ ◆◆◆
この文章を書きながら、また書いた以降も、僕は多くの「いいね!革命」
参加者たちに話を聞いてきた。相当前に書きあげたのに、発表を控えて
きたのは、自分の取材内容が間違っていないか、聞き取りの中で確認する
ためだった。
その結果、取材の途中経過としてはおおむね正しいが、細部については
理解不足の点があったり、また、さらに核心を突く内部の話を聴取できた
ため、あまり日をおかないうちに「第2弾」を報告したいと思うように
なってきている。
ご意見や情報をさらに聞きたいので、読んでくれたみなさんのコメントを
お待ちしています。

