2つのリツイート実験 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


朝日、毎日新聞をフォーローするのをやめた。
朝日がフォローする人55人、毎日は29人。
フォロー獲得数、朝日は47万、毎日50万。
なぜ両社は全員をフォローしないのだろう。
発信力のあるメディアは個人であれ会社であれ、人をフォローしない。
双方向の価値を彼らは認めていない。
大きな間違いだ。



■同じつぶやきも、時期が違えば反応は異なる

7月23日(土)午前10時55分、僕はこんなつぶやきをツイッター上でした。
実は1年前、同じつぶやきをしている。
2010年7月、ツイッター人気に火がついていた時期だった。


反響は大きかった。
当時、僕のフォロワーは1500人。
このつぶやきを、54人が公式リツイートしてくれた。


今度はどうか。
僕の現在のフォロワーは12万人。
単純計算すれば80倍のリツイートがあっても不思議ではないが、
無論、そうはならなかった。


公式リツイート26人!
1年前のフォロワー数に置き換えると、1リツイートにも足りないことになる。
なぜこんな結果になったのか。


一言でいえば、「相互フォロー」への渇望の違いだろうか。

hidekidos かく語り記-秀樹


■「相互フォロー」が渇望されていた…

昨夏、今から思えばツイッターはブームの状況を呈していた。
みながフォロワーを増やしたくてたまらない。
普通の人がどうしたら増やせるのか、
そうだ、みんなでフォローし合えばいいじゃないか。
こうして「相互フォロー」が合言葉になった。


それに対して、有名人は勝手にフォローされる。
朝日、毎日新聞といったマスメディアも、
ニュースと言う最高のコンテンツ持っているからフォロワー増加数は早い。


そうした中で、僕は本気で『新聞社もフォローすればいいのに』と思っていた。
すべてのつぶやきを読み切れないことは分かっていた。
また、そのつぶやきのすべてが価値あるわけではないことも。
しかし一朝、事が起きたとき、一般の人がどういう反応をするのか、
何を思い、どう行動するのか、
後からでもいい、検証すれば後世に「価値ある記録」が残せると思ったのだ。


もちろん、新聞社側が一般の人をフォローしなくてもこれらのことは調べられる。
でもどうだろう、新聞社が数十万人と相互フォローしていれば…。
フォロワーに直接情報提供を呼びかけたら、すごい生反響が得られたのではないか。
僕から言わせれば、
人をフォローしないというのは、自らその可能性を閉ざしているということなのだ。


こうした僕の思いは多分、独得のものではない。
当時多くの人が同じように感じていたと思う。
だからこそ、僕のつぶやきに人は反応したのだ。


■ツイッターを愛する者とそうでないもの

今はどうか。
有名人は一般の人をフォローしない、
新聞社もテレビ局もただの発信者であり、共感者ではない。
こういったことはもはや”常識”だ。


おもしろい数字がある。
1年前、孫正義さんのフォロワーは10万人を超えるかどうかだった。
(それでも庶民からみれば驚異的な数字!)
今、孫さんのフォロワーは126万人を越える。
これに対し、朝日新聞のフォロワーは37万人、毎日新聞は41万人だった。
1年の増加数、朝日は10万人、毎日は9万人。


この違いはどこから生まれるのだろう。
以下、僕の勝手な推測である。


孫さんだって、フォローしているのは83人にすぎない。
(つまり、フォローしているのは経営判断上の参考になる人だけ)
しかし彼は、自分宛に届いたつぶやきには極力、答える努力をしている。
一方、朝日・毎日新聞はニュースを発信するのみ。
読者も発信源なのだということは気に留めていない。
どちらがツイッターをより愛していると言えるだろうか。


いかにも新聞社らしい体質、と言ってしまえばそれまでだが…。
利用者はもはや「(新聞社は)どうせそんなものだ」と思っている。
だから僕の2度目のつぶやきは心に響かなかったのだ。


■願かけリツイートという実験

もう一つ最近、リツイートの実験をした。
「なでしこジャパン」のときである。


なでしこ、あす(月曜未明)決勝。
一度も勝ったことのないアメリカが相手。
願かけした。
頑張っている彼女たちに100公式リツイートで大勝利を。
[拡散よろしく]
 

hidekidos かく語り記-なでしこ優勝


このつぶやきは、午前に1回、午後に1回した。
午前のリツイート84人、午後82人。
計166人のリツイートを得、願かけは成就した。


このつぶやきの副次的な効果として、以下のことが分かった。
同じつぶやきをしても、間隔をあければほぼ同等の結果が得られる、ということ。
多分、ツイッターを四六時中見ている人は少ないのだろう。
1ツイートのもつ波及効果はせいぜい1時間。
それ以上たつと、同じつぶやきも新たなつぶやき同然となる。


既に目標を達成していたので、夜、3回目のつぶやきは控えた。
もし同様につぶやけば、またそれなりの反響があったと思う。


■冷静で成熟した反応

さて、このリツイートは多かったのか、少なかったのか。
「テーマの割に冷静な反応だった」と僕は思う。
そしてそのことに、僕は少しホッとした。
仕掛けた僕自身、こうした「拡散」の強制は「どうかな…」と思っていたからだ。


素直に「日本優勝」のムーブメントに乗ってくれた人がいた反面、
冷静に、批判的に見、それゆえ無視した人も少なくなかったのではないか。
それだけソーシャルメディアも成熟してきた、と思うし
日本人の良識というか、集合知はすぐれているなと感心する。


なでしこへの願かけはFacebookでも行った。
どうしてもFacebookの「いいね!」機能を試してみたかったからだ。
ツイッターのリツイートと「いいね!」とでは、どちらが反応しやすいのか。


■共感を表しやすい「いいね!」機能

Facebookでは100「いいね!」を目標にした。
つぶやく場所は2ヶ所(自分のニュースフィードと「静岡友」というグループで)
結果は、計66「いいね!」と11人のコメントを得た。
願かけは成就しなかったが、これは設定が高すぎたのだろう。


そもそもFacebookの僕の友達は1500人しかいない。
ツイッターの12万人に比べると、母数が圧倒的に少ない。
単純に数で換算すると1いいね!は80リツイートに相当する。
だとすると66いいね!は5280リツイートに相当、ということになる。


もちろん、別媒体の別機能との比較だから単純比較は成り立たない。
TとFでは、ツイートの目に留まりやすさが違うし、
リツイートと「いいね!」する場合の心理的壁の高さも違うだろう。


しかし、ここまで数字の差が出るとさすがに
リツイートするより「いいね!」する方が心理的な壁は低い、と言えるのではないか。


■いいね!>コメント>リツイート>シェア

それではコメントはどうかと言うと
11コメント×80=880リツイートに相当、
と結論付けるのはいささか気が引けるが…。


リツイートというのは、発信者に全面的に共感する意味だ。
だから、やはり相当に心理的な壁は高い。
これに対しコメントは、賛成でも反対でも自分と発信者とを対置できる。
その分、壁の問題は生じにくく、反応しやすいとは言えるのではないか。


ちなみに「なでしこ勝利祈願のいいね!」呼びかけをシェアした人は1人もいなかった。
シェアはリツイートよりはるかに敷居が高い、当然であろう。


いいね!>コメント>リツイート>シェア
共感の示しやすさはこの順。
いささか強引だが、実験の結果は一応こうなった。


いいね!は押しやすい。
みなさんの実感に近いのではないか。
さすがは世界に広がるFacebook、うまい機能を考えたものだ。



※この「いいね!」機能をめぐってFacebook内でさざ波が立っている。
 共感機能「いいね!」を使って夢をかなえようというグループの出現だ。
 この問題については、あらためて書いてみたいと思っている。





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