がんばる店、勝手に応援隊 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

きょう久しぶりに、清水駅前銀座と清水銀座を歩いた。
駅前銀座には​高い透明のアーケードがあり、この暑さの中でも快適だった。
清水​銀座は逆にアーケードは最小限、明るい街並みだ。
どちらも通りの広さといい、敷石の質といい、地方に冠たる商​店街だと思う。
だが、人気(ひとけ)がなく静かである。
シャッター店も多い。



こういう光景を見るにつけ、僕は残念無念の気持ちになる。
なぜこれ​ほどの商業集積が見捨てられているのだろう。
ドリームプラザやベイドリームは、あれ​ほど人に満ちているのに。

hidekidos かく語り記-駅前銀座


■商店街を街ごと活性? それは違う

数時間後、目的のイベントを抜け出して、
向かいのお店、和菓子の「庵原屋」に寄った。
お盆用の糸切り団子とワラビもち、それに次郎長最​中を買った。
買いながら、6時から行われる巴川灯ろう流しの話を聞いた。



店から出て、相変わらず人手の少ない通りを歩きながら、
突然、ひらめいた。
『この商店街を何とかしよう』と考えていたが、それは違うんじゃないか…、
街ごと活性を取​り戻そうとするからできない相談になるんだ!



街づくりだの商店街活性化と言うと、商店街振興会が出てきて、
行政も「商業対策室」のようなところが出てきて、
道がどう、アーケードをどうする、照明は?補助金はいくら出る?
などと延々とハード整備について考える。
それで何とかなったか、人は来遊するようになったか。


■マンモスSCに寄ってみた

先日、三保方面にできたショッピングセンター「ベイドリーム」に出かけた。
屋上の駐車場、何百台入るのだろう。
とにかく広い。
2階部分から店内に入ると人の波だ。
1階に下りると、人でごった返していた。



商店街にあったものはすべてここにある。
いや、商店街にはなかったものさえあるのだ。
DIYの店、ドラッグストア、スーパーマーケット、大型電気店…。
建物は違うが、エリア内に一群の”飲食街”もある。



商店街と郊外型店を集め商業施設というより、擬似的な街を創造する。
この手法は、特に新しいわけではない。
清水の2つの「銀座」に行くまでは、何の意識もなかったが、
銀座との差を目の当たりにして、かつては商店街にいた人たちが、
今はこのSCにいるのだな、と思った。


■同じ競争を仕掛ける気ですか?

商店街に人が来ない理由?
魅力がなくなった、環境が変わった、時代が変化した…、といろいろ言えるが
ようするに「取り残された」感が強い。



商店街復活、再びの活性化-という発想は、
ドリプラやベイドリームに追いつき追い越せというのと同様だ。
それは現実的なことなのだろうか。



きょうにわかに僕が気がついたのは、同じ戦い方はしない、いうことだ。
人に投網(とあみ)をかけて、商店街にさらってくるようなことはできない。
商業集積の魅力で言えば、とうに勝負はついている。



ついているのに十年一日、おなじ発想でおカネをつぎこんできた。
その結果はといえば、全国至る所で失敗事例が​満ち満ちている。



どうして「売る側の発想」でしか考えなかったのだろう。
離れていったのは市民・消費者、つまりふつうの人たちだ。
ならば対策も、ふつうの人の目線で考えるべきではなかったのか。


■立ち寄られる店は人が選ぶ

確かに、多くの人がドリプラやマンモスSCに出かける。
だからその人たちの声を聞け、と僕は言いたいわけではない。
それよりも、同じSC内の成功と失敗事例をよく見るべきだ。



新しい装いに見えるが、SCの発想は商店街の発想とあまり変わらない。
「集積の力で人を呼ぶ」これである。
さっき僕は「投網をかけて…」という表現をした。
人が多ければ、商品が売れる確率は高まる、という計算だ。



成功している商店街、SCの中に在っても退場していく店はある。
消費者はちゃんと選別している。
例えば僕のような消費者は、静岡一の繁華街「呉服町」も渡り廊下でしかない。
立ち寄る店は限られているのだ。
何かを買う店はもっと限られる。

hidekidos かく語り記-ベイドリーム


ベイドリームで僕が寄ったの、書店と無印良品と、タリーズコーヒーのみ。
あとは家内のお供で、ファッション関係のもう何店か。
消費者はみな、それぞれに寄りたい店があるのではないだろうか。



だから新しいSCができれば一度は寄ってみる。
それでわが家としての評価は「遠くだしね、無理して行かなくても…」。
ちゃんと競争原理は働いているのだ。


■いま、葵区の鷹匠エリアがおもしろい

僕ら夫婦がいま期待感もっているのは、葵区の鷹匠である。
秋には静岡鉄道の新しいショッピングビルができる。
しかし、そんなものができなくても鷹匠は「静岡の代官山」になりつつある。
小路、小路に食べ物、ファッション、雑貨などの新しい店が生まれている。



いずれ「鷹匠ブランド」が生まれるかもしれない。
しかしこの街も、はじめは個々の店が思い思いの狙いがあって出店した。
街の中心に近い割に土地が安いとか、
住宅街と商業地域のバランスがよいとか、
個店のセンスがよいのでフリーペーパーに紹介され、口コミが発生…。



そんな新しい商業地区が目の前で生まれている。
しろうとの僕から見れば、清水の2つの銀座の方が
他の店があるだけ、鷹匠より恵まれているように見える。



実際はどうなのだろう。
自分で発見する喜びが、静かな鷹匠ブームを呼んでいる可能性もある。
だとすれば鷹匠にとっては「商店街」などないほうがいい。



いずれにしても、僕の直感は、
鷹匠も清水の両銀座も、ツイートのしがいがある店が多い、だった。

hidekidos かく語り記-庵原屋


■商業の原点は個々の店の創意工夫

街ごと人を集める必要はない。
よい店があれば誰かが応援する。
努力をおこたらず、応援される店が生き残る。
それでよいではないか、と。



もしかすると、昔は商店街などなかったのかもしれない。
てんでんわれわれに生業し、それぞれに頑張っていた。
それがいつの間にか商店街となり、「街(まち)」に人が来るようになる。
すると人寄りが当たり前になり、街並みの魅力だ、核店舗などと、
人の来遊をあてにするようになる。



と考えれば、個店ががんばる、僕らはそれを応援する、というのは、
商業の原点に返るだけのことではないか。


■Facebookで勝手に応援します

僕は生来へそ曲がりというか、天邪鬼というのか、
人が殺到するものにはあまりひかれない。
ところが身近な者から言われる『そうか!』となる。
(この点において天邪鬼どころか至極、単純である)



地域のためにあまりお役に立ってこなかったが、
今後はせめても、気づいたよい店は積極的に紹介していこう。
勝手に応援隊だ。



ツイッターのフォロワーは12万人いる。
そのうち静岡県内は4000人くらい。
facebookの友達は1500人、県内の人が200人くらい。
うん、なかなかの”人脈”だ。



「個メディア」だから、マスメディアほどの影響力はないかもしれない。
しかし、ソーシャルメディアはまだ始まったばかり。
双方向でのつながりが、今後どのように地域社会を変えていくのか、
あるいは変えていかないのか、何も定かではない。
でも僕は、『相当におもしろいことができる』と踏んでいる。



勝手に応援隊も、社会実験の一つだ。


■新しい客層の開拓もひとつの行き方

さっき、駅前銀座に悠々と自転車が走っていくのを見て苦笑してしまった。
なんてかわいい街だろう。
混んでもいない、アーケードがあって、暑さ寒さも苦にならない。
人にやさしい街だ。
これなら近くのマンションや住宅に住む高齢者も安心して買い物ができる。
こういう街を応援したい。



帰路、2つの銀座の結び目あたりに「かゆみ」専門​の薬屋さんを発見。
こういう店もツイートしやすい店だ(僕はかゆみに悩まされているし)。
この街には、お知らせしたい店がまだまだありそうだ。





<ここからは「著者ページ」と「著書」の紹介です>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな視点、はじめてだ!
「なぜ?」を徹底追究
ジャーナリストの視点で電本3部作

※著者ページ
http://denhonkan.jp/meikan/detail.html?ab_id=7



※著書
『秀樹さんが教える まだまだ奥が深い Facebookの教科書』



 Vol1.
 Facebookの基本のキ」。
 「入門書」ですがかなり濃い内容です。
 いいね!の原理、エッジランクやクチコミ発生機能について  核心を伝えます。
 
 









 Vol.2
 Facebookのビジネス活用術。
 個人やお店、小さな会社は大企業や有名人を見習ってはい けません。。
 バラマキマーケティングより友達を大切に。
 











 Vol.3
 Facebookのスーパースターたちを紹介しています。
 「誰か」って? 
 まあ、立ち読みでご確認ください。
 インフルエンサーの投稿術を詳しく伝えます。