朝日新聞朝刊『原発列島ニッポン』に、「夏の発電 14基のみ」とある。
地元自治体が難色を示し、全国54基のうち4分の1しか稼働しないという話。
知事たちが軒並み慎重な姿勢、という点に僕は希望を見出す。
しかし、肝心の朝日新聞としては原発を稼働させたいのか、させたくないのか。
きょうの企画記事からは意味がくみ取れなかった。
その隣、1面準トップには「脱原発デモ」の記事。
「日本でも世界でも」とあるから、心情的にはデモを支持しているのだろう。
僕も新聞社にいたから、このように鵺(ぬえ)みたいな姿勢になる理由はよく分かる。
なんと言っても電力会社は大スポンサーだったから。
いや、今でも大事なお客様である。
しかし今まで、新聞もテレビもそうやって「原発安全神話」を
電力会社や、大学者さまの言うがままに垂れ流してきた。
今となっては「原発の安全」など空理空論にすぎなかったことが、
事実によって証明されている。
それでも「原発廃止の方向」に舵を切れないとしたら、
これはもう、不実と言うほかない。
■「脱原発デモ」が免罪符ですか?
原発反対デモを合わせて載せているから「免罪符はもらえる」と言うものではない。
第一、この脱原発デモは「日本でも世界でも」という見出しを付けるほど、
うねりのように広がっているとは思えない。
東京で2万人(主催者発表)、福島県郡山市で200人、広島で300人。
まだ「点」のようでしかないと言うべきだ。
ふつうの市民が「脱原発」の意思表示をすることはまことに尊い。
しかし、人前で意思表示するのはまだまだとても勇気がいることだ。
勇気がなくても誰でも参加できるようになるとしたらそれは、
1面にデモのことを載せて点の動きを面であるかのように書くことではなく、
原発の危険性を冷静に書き続けることだと思う。
僕のようなしろうとではなく、記者たちはとうに知っているはずだ。
▼放射性物質を垂れ流すことは環境に取り返しのつかない害を与えること、
▼原発はたかだかお湯を沸かすだけのことにウランを使い、
そのウランは放射性廃棄物となって1億倍もの毒素を持つようになること、
そして▼その廃棄物の最終処理法さえ見つかっていないこと。
また▼費用対効果からみても原発は極めて不合理なしろものであること。
そして▼電力会社は原発によってリスクなく莫大な利益を得てきたこと、
▼そういう仕組みを政府・与党が政策的に推し進めてきたこと-。
■国民を刷り込むことの罪
その結果、これほどの大惨事が起きてみても、国民の半数以上は
「原発は必要」「他に代替エネルギーがないから」と思い込まされている。
そういう『刷り込み』に加担してきたのがメディアなのだと僕は言っている。
陰謀史観は好きではないが、今度の急な「菅首相降ろし」にも、
脱原発を今すぐ進められては困るグループの存在を感じる。
テレビはテレビで、首相の退陣時期ばかりを取りざたし、
まっこうから原発の危険に切り込まない。
こういう姿を毎日見ていると、民間の一企業である朝日新聞が
「原発」について1面で、鵺(ぬえ)のような態度をとったとしても、驚くことはない。
記者も編集者もサラリーマンだ。
唐突な主張をして、社内ヒエラルキーを転げ落ちることは誰も望まないだろう。
それでも一抹の良心があるから、この時期、
「原発が安全」とは誰も言わなくなったということである。
原発は、いまだそういう存在だ。
巨大なマネーを持っている。
カネは政権も動かすし、メディアも動かす。
もしこれを崩すとしたら、事実の積み重ねしかないと僕は思っている。
■起こりえる未来の暗さ
しかしこれから起こりえる「事実」は破局的なものである。
核燃料を冷やし続けるためのシステム構築失敗
(不可能であることの判明)、
福島3号機の水素爆発…。
いずれの場合も、取り返しのつかないことになる。
環境にとっても、日本人にとっても。
そうなることを全く望んでいないが(誰も望むわけがない)
しかし、そんな事実に向き合わないとこの国は
「原発廃止」に踏み切ることはないだろう。
まことにくやしい。
想像力をちょっとでも働かせれば、
これからの日本に、これからの地球に、原発は在ってはならない、
ということが誰でもわかるはずなのに。
浜岡は、菅さんの個性によって止まった。
ヤマカンだろうが正しい勘だ。
だから彼は政治センスがないわけではなかった。
近い未来のあるべき姿を想像できるのが政治の資質のひとつだから。
しかし、よってたかってひきずり降ろされ、
次に誰がなるにしても、菅さんほどの蛮勇もないだろう。
この国はほんとうにどうなってしまうのだろう。
原発のない世界を思い描ける人に、政権についてもらいたい。
ないものねだりと分かっていても、そんな奇跡を希(こいねが)う。