地域の情報発信にFacebookを活かす法 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



熊本在住のI.Kさんという方から、友達申請のメッセージをいただいた。
どんな人であろうと、プロフィールページを拝見した。
その中に「追い続ける私の夢③」と言うノートがあった。


中に、以下のような一文がある。


「人口一万人足らずのわが町でも老人を主体として、
Facebookの力を借りながら『ふるさとはいいものだ』という
狼煙(のろし)をあげたいと思っている。
そのためにもどうしても乗り越えねばならないFacebookの壁だと感じながら・・」



この文章が、ずっと気になっていた。
と言うのは、「Facebookの壁」は僕も当初、感じたことだったし、
ツイッターを7ヶ月ばかりやってきた経験から言っても、
Facebookは「複雑怪奇」に思えたから。


■68歳?年齢のハンディーなんて問題にならない

I.Kさんは68歳。僕より7つ上だから、年齢的なデジタルコンプレックスがあるかもしれない。
しかしIさん自身、直感で見抜いておられるように、
Facebookは地域の情報発信をしたり、その仲間たちをつくっていく…
そういう目的で使うツールとしては、かなりすぐれている。


だからこそ、使いこなしてほしいと思ったのだ。


個々の機能の使いこなしについては、その都度、質問してもらえばいい。
「ノート」もそうだが、「リンク」「シェア」となると、初心者にはわかりにくい。
写真のアップの仕方ですら、僕は時々戸惑うし、
Facebookとリンクする他のアプリに至っては、ごく限られたものしか使えない。


しかしこれらのことは、何も今すぐI.Kさんに伝授すべきこととも思えない。


多くの類書の指摘と異なるが、僕はFacebookをデジタルなものと思っていない。
使いこなす極意は、何のことはない、
ご近所づきあいと同じですよ、ということだ。
(これはツイッターも同じ)


hidekidos かく語り記-Facebook



Facebookやツイッター、アメブロを使って「ゼロ円集客」などという本が
巷(ちまた)にはあふれている。
一概に否定はしないが、
つぶやくだけで人が集まることなど絶対にない、と僕は断言できる。


類書は、確かにFacebookやツイッターのやり方、機能を習うためには役立つ。
その意味で著者たちは、デジタルのことにいちおう精通しているのだろう。
しかし「集客のプロ」とは到底思えない。
プロなら、ネット上でFacebook、ツイッター、ブログを連動させ、
つぶやくだけで事を起こす(つまり人を集める)ことができる、
などという幻想を振りまくはずがない。


■Facebookはアナログ人間にこそ向く

勘のよい人は、もう僕が言わんとすることを分かるのではないだろうか。
Facebook、ツイッター、ブログと言ったソーシャルメディアで成功するコツは、
リアルな人との出会いであったり、
現実に限りなく近い、ていねいで心の通った「言葉」による信頼の構築にある。
ソーシャルメディアこそ、アナログな発想が生きてくる媒体なのだ。


その中で、特に大切なのは発信する人の「人となり」である。
その人を信頼するからこそ、その人の情報が重みを増す。
その人の志、あるいは心意気、熱っぽさ…。
心を打つとしたら、そういうことどもだ。
薄っぺらで、自己PRばかりの言葉には誰も共感しない。


僕は「言葉」をとても大切にしている。
ネット上で人となりが出るとすれば、言葉づかいにそれは現れる。
僕はいつも堅苦しいこと、まじめなことしかつぶやけないけれど、
中身は真剣である。
反論があるならいつでも応じる気構えでいる。


僕はそういう流儀だが、友達の中には
当意即妙に相手のつぶやきに反応することを得意とする人もいる。
掛け合いみたいなものだが、
そういうものがあってソーシャルメディアは幅を広げている。
相手の気持ちをくみ取れなければ掛け合いはできない。
それは一種「芸術的」なサエであり、技術であると言ってもいい。


僕の周りのツイッターの達人、Facebookの名手たちは、それぞれ全く個性は違うのだが、
「言葉」を大切にするといった点で共通性がある。
やりとりにおいて誠実、また、リアルな人との出会いに価値を置く人たちでもある。


ひと言でいえば、僕も彼らもデジタルおたくではない。
ふつうの常識人であるだけだ。
ここまで書いてくれば、I.Kさんが感じているのはFacebookというシステムの
使いこなし上の不慣れさであって、
もっとずっと大切なコミュニケーション力、人とつながる力に問題がないのだから、
時間がたてば「壁」は消えてなくなっていると予言できる。


■コミュニティーに参加するに

そうは言っても当座、とまどいはあると思われる。
Facebookやツイッターに後から参加する人たちへの壁は、先にできているコミュニティーである。
ソーシャルメディアの世界も現実と同様、大小のコミュニティーが出来ている。
みなそれを本能的に感知しているから、乱暴者はあまり現れない。
むしろ、人から忘れられないため、せっせと「いいね!」ボタンを押したりしている。


でも、これは当然だ。
公園デビューする新米ママが、いきなりペラペラしゃべりだしたら周りが緊張する。


実は僕みたいなタイプは、コミュニティーの一員となるのに大変な苦労をする。
僕は「個メディアのつもり」だから、発言しっぱなしである。
テーマも硬い。毎日読んでいるとうっとうしくなる。
せっかくリツイートやコメントをもらっても、すぐには返せない。
(仕事や勉強のために、あまり自由な時間がない、という理由なのだが)
だから僕は「反面教師」である。


しかしこんな規格外れは、元々そんなにはいない。
Facebookにはじめて参加するときは、まずは謙虚に
いろんな人の発言(や写真)を読み、それに対して反応すればよい。
しばらくやっていれば、写真付きの発言には多くのコメントが付いていることに気づくだろう。
それだけ写真は「いいね!」を押しやすいし、感想を述べやすいのだ。


もちろん「いいね!」を押す前に、友達をつくることが先決だ。
これはと思った人には、メッセージを付けて友達申請すべきだ。
ツイッターのようにランダムに友達を求めるのは”違反”である。
お目こぼしはあるが、Facebookの管理者は存外、目を光らせている。


先ほどから強調しているように、Facebookは「人となり」がすべてである。
だからプロフィールはていねいに分かりやすく書かなければならない。
Facebookをはじめる目的もしっかり書いておきたい。
それを書いておけば、その志向に合った人が自然にあなたの周りに集ってくる、
と言うのがFacebook流である。


プロフィール写真にもこだわりたい。
最も自分が気に入ったものをプロフィール写真にすることをお勧めする。
見た目は大切である。
顔を隠したり、半身であったり、まして写真を載せないなどと言うのは論外だ。
自分を大切にしない人の言を誰が信じてくれようか。


■友達はたくさん必要か

口コミ発生のために、多くの友達が必要かどうかは、断言できない。
僕の場合は、ツイッターのフォローが11万人いる。
これは僕が「個人をメディアとするために」せっせと工作したからだ。
しかしFacebookの友達は1200人。
これでも多すぎると思っているが、リクエストが来たときは迷わず承認している。
人を選別するほどの者ではない、というのが一つ。
もう一つの理由は、出会いの奇跡を何度も味わっているためだ。
(世の中、すぐれている人は本当にたくさんいる)
与えてもらった縁を、無碍(むげ)にするほど僕はごう慢ではない。


I.Kさんのように、「地域」を情報発信したいという志を持っている人の場合は、
ある程度、県外の人脈も意識したほうがよいかもしれない。
検索で熊本に興味を抱いている人を見つける方法がないでもないが、
出会いは偶然が作用することも少なくない。
と言うより、思いがけない「発見」はかなりの頻度である。
そうした偶発的な出会いが強い絆を結び、
奇跡としか言いようのない交流が生まれることもある。
(僕が今こんなことを書いていることも、出会いがもたらした効果であろう)


後は誠実に発信し続けること。
もとい、発信しつつ、人の発言・写真にも興味を持ち、
こまめに「いいね!」したり、コメントを書くこと。
日常会話でも同じだが、本人はとくとくと話していても、自分のことばかり話す人は嫌われる。
PRばかりの文章は読まれない。
と言って、情報発信したいことを無理に抑えるのもよいことではない。


要は、有用な情報とは何かを、自身で見定めることだ。
人となりを知ってもらうには、日常を飾らず語ることが大事。
その活動の中で、まちのことも入れる。
そして何かエポックのときには、堂々とその情報を流す。
信頼されているあなたなら、人はその情報を喜んで受け入れるだろう。


逆に、 ツイッターで時々見かける、ひとりよがりのアフィリエイト情報、
こういうものは誰が読むのだろうと思う。
お店をやっている人が、野別幕なしに店の商品ばかり紹介していたらどうだろう。
人はそういう商品を買いたくなるだろうか。


要は、自ら公平な基準、情報への適正な距離感を持ち続けられるかどうかだ。
商品のPRであっても、それが「役に立つ」と感じる人にとっては情報になる。
その同じ”情報”が、アプリを使って定時に発信するようセットすれば、
今度は人をムカつかせるスパム情報にもなってしまう。


■人はあなたの「人となり」を買う

地域の情報も同様だ。
どんなに自分が地域を愛し、人が集まるまちにしたいと思っても、
そこに住む人が誇りをもって地域のために何かをするのでなければ、
本当の意味で人の心には届かないのではないか。


一方、当初はつまらない日常活動のように思われても、その活動をつぶやき、
活動のもつ意味や狙いをまじめに発信し続けていれば、見る人は見ていてくれる。
これがFacebookやツイッターの大きな特長であり、効果である。
結果そのものより、プロセスが人の興味を引くかもしれないということ。
必ずしも即効性がなくても、日常のつぶやきが人への信頼を生み、
地域活動そのものへの思いがけない興味と関心が生まれる可能性がある。


以上、I.Kさんには釈迦に説法でした。
長々と書いてきたけれど、結論は
「ソーシャルメディアは、きちんと大人の対応ができる人にこそ向いているメディア!」
僕らの先輩世代は何も臆する必要はありません。
いつものように、ネット上で自分の流儀を通してください。





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