『愛燦燦(さんさん)』 ひばりの人生 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

きょうは美空ひばりの命日。
はるか年上の彼女は威張った歌手にしか見えなかったが、
彼女の享年を越えた頃、闘病と復活のコンサートを知った。
「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして…」
ある日、『愛燦燦』を口ずさみながら、不覚にも涙が止まらなくなった。
「人は哀しいもの」
今は少しばかり分かる。



僕が美空ひばりについて語るのもおかしいのだけれど、
だって僕は「ひばり」のファンではないし、
1937年生まれの彼女は13歳も年上、接点などなかったから…。


しかし昨年6月24日、ひばりの命日に僕はツイートした。
いま読み返してみると、ずいぶん分かりにくいつぶやきになっている。
自分の思いの乱れもあるが、元々「美空ひばり」を短文で語るのは難しい。

hidekidos かく語り記-ひばり2


『愛燦燦(あいさんさん)』は小椋佳の作詞作曲。


雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね



転記するのは1番のみにとどめるが、こころに沁みる詩である。
そのメロディーがひばりの歌になったとき、僕の魂がふるえた。
たぶん自分の中に感じる「何か」があったのだろう。
突発的な自分の涙に、僕は少々、ろうばいした
以来、「ひばり」は特別な人になった。


もちろん、美空ひばりという歌手のことは知っている。
復活の「不死鳥コンサート」もDVDで垣間見た記憶がある。
確か、「愛燦燦」もその中で歌われたはずだ。


あらためてネットで経歴を調べて意外な感に打たれた。
彼女の死は52歳!あまりに若い。
自分自身がその歳を越えてみると、なんと「あっけない」ことか。


しかしその後、さらに調べていくうちに僕の感想はまた変わった。
短いどころか、濃密で、懸命で、耐えに耐えた日々…。
よく生き切った、と言うべきではないのかと。


10歳でデビューし、20代で、はや大御所の風格。
一方、 (多くの人がご存知と思うが) 家庭的には恵まれなかった。
小林旭との離婚はともかく、弟たちの不祥事、そして相次ぐ身内の死…。
成功があざやかだっただけに、悲劇性が際立つ。

hidekidos かく語り記


ひばりのことは多くの人が書いているから、今さら僕が綴ること もないのだが、
一つだけ記しておきたい。
それは『遺(のこ)すべきもの』についてである。


美空ひばりの人生は、絶頂と奈落の合わせ鏡のようだ。


1957年、顔に塩酸を浴びた年、紅白歌合戦で初めて赤組のトリを務める。
1964年、小林旭と離婚、直後に出した『柔』が180万枚の大ヒット。
1973年は父親代わりの山口組、田岡一雄との関係がとりざたされ、紅白出場を辞退。
以後、大舞台に復帰することなく、ヒットにもめぐまれなくなる。
が、この間、ポップス、リズム歌謡、ジャズにまで芸域を広げた。
そして80年代は母、弟2人の相次ぐ死。
さらに87年、50歳になったひばり自身に病魔が襲う。



この時期、うんざりするほど「目」が出ない。
しかしここで特筆すべきは、歌は彼女を見捨てていないことである。
『愛燦燦』1986年。
『乱れ髪』1987年、退院直後にレコーディング。
そして1988年4月11日、伝説の「不死鳥コンサート」。



と書いてくれば、ドラマはそれで完結しそうだが、ひばりはまだ歌い続けるのだ。


昭和天皇が崩御した1989年、
1月11日に『川の流れのように』をレコーディング。
その後もテレビに出、ステージに立ち続け…
2月7日(偶然にも僕の誕生日だが)、福岡県北九州市小倉で生涯最後の舞台に立った。


ひばりは、廊下からステージに入る間のわずか数センチの段差さえ、1人では乗り越えられない。
歌唱の大半をいすに座りながら、それでも全20曲を歌いきった。


なぜここまでして、と思う。
「壮絶」と言う言葉をとうに超えている。
歌が生きる支え、と言っても少し違うように思う。
本人は、たぶん…


『わたしが美空ひばりだから』


と思っていたのではないだろうか。
ひばりだから、絶頂に上り詰め、直後に奈落に落ちたりもする。
なのに歌はひばりにまといつき、ひばりもまた歌を求める。
暗い停滞の中で、だからこそ、彼女はかけがえのない歌に出合う。


晩年の3曲-
『愛燦燦』
『みだれ髪』
『川の流れのように』

がなかったら
ひばりは「昭和歌謡の女王」で終わったのではないだろうか。


しかし今、ひばりは「大歌手 美空ひばり」である。


僕は以前から、人生に何も遺す(のこす)まいと決めていた。
肉体が滅びる以上、何も遺さないのが潔いし、また正しい。
しかし神は(運命は、と言い換えるべきだろうか)、
ひばりに生死の切所(せっしょ)において畢生(ひっせい)の名曲を残した。


美しい話だ。


無論、今の僕にひばりの「歌」に匹敵するものはなにもない。
いや、かすかに可能性があるとすれば「言葉」だろうか。
何年も、何十年も書棚に眠っていた本を、ほこりを払って読んだとき、
いま書きおろされたみたいに、心をわしづかみにされることがある。


そんな言葉なら遺してみたいと思う。
美空ひばりに出会って、僕はやはり刺激を受けたようである。


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