植物は『世界』を認識するか | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

朝、長男と『植物はこの世界を認識するか』で、議論になった。
息子は目も耳も脳もない植物に認識できるわけがないと言う。
僕は断固として『認識している』。
庭の雑草さえこれほど精緻に生きているのだから…。



日曜の朝、僕はこんなツイートをした。
なぜこんなむずかしい話をしたのかと言うと…
それはきのう、ツイッターのネタにと、庭の雑草を撮ったからだ。
先日iPhone用のマクロレンズを買ったので、その効果を試してみたのである。


名前も知らない小さな青紫色の花が咲いていた。
写真にしてあらためて見てみると、
なんと精緻な形と色合い、可憐さであろう。
『自分を見ることができない植物が、どうしてこんな巧みな造形家なのだろう…』

hidekidos かく語り記


息子に指摘されるまでもなく、植物には五感を感じるとる器官がない。
おまけに「認識した情報を受容する脳もない」と息子。
「待て待て、これほどの秩序を保持している以上、偶然であるはずがない、
植物には外界を認識するなんらかの機構があるはずだ」


で、先ほどのツイートになったわけだが、
僕のこの感覚、特異と言うほどのものではないらしい。
ツイートした途端、多くの人からこんな答えが返ってきた。


「モーツアルトを聴かせると植物の育ち方が違う」と言う実験データがあります。
「植物は人の言葉や周りの音や環境にとても敏感」
「危険を植物から植物へと知らせたりもするそうです」
「向日葵は太陽の方を向きますし、食虫植物は匂いで虫をよんで食べます。
 花は受粉に虫を使い、蜂蜜を提供。コレで世界を認識していないって事はない」



そう、植物が世界を認識できるだろうというのは、多くの人が分かっているのだ。


だが、息子は粘る。
そこで僕は、最近読んだ本の受け売りをすることにした。


動物の五感に当たる器官は植物の成長点らしいよ。
葉や根や茎の成長部分で光や温度、いろんな物質を感じている。
さらに、植物は生存競争もしているそうだ。
樹木は、特殊な物質を樹下に撒き散らし、同種の植物の生長を阻止する。
木が生き残るには「場を優占する」ことが至上命題らしいぜ。



目が見えなくても、音が聞こえなくても、匂いを感知しなくても、
植物は「敵(同種の植物)」の存在を認識している、というのが僕の主張。
息子との議論はこれで勝ったようなものと思ったが、
「それでは、石はどうなの?」と来た。


無論、木石(ぼくせき)に、もとい、石に世界を認識できるはずがない。
しかし人間は、モアイ像などを見ると何か語りかけられているような気がするし、
お墓は? 確かに死者の声を聞くわけではないのに、
墓石を階段に使ったという織田信長の故事を聞くと、何だか後ろめたい気がする。
誰も信長ほど透徹した唯物論者にはなれないのだ。


「ほら、見えないものは見えないでしょ」
息子は、石や植物に何かを感じ取るのはアニミズムである、と言いたいらしい。


いやだいやだ、この子(と言ってもアラサー男だが)といると、話が理屈っぽくなっていけない。
そこで僕は話題を変えた。


「ところでさ、地球と同じような生命に満ちた星が他にあると思うかい?」
「地球の周りにはないね。人類が行ける範囲の中では」
なかなか冷静な答え。
「でも宇宙は無限だから、結局”地球型”の星は無限にあるだろうね」


この後、息子との会話は「イエスは人間か、神か」「神は実在するか」など
とりとめもなく進んでいったのだが、ここでは触れない。


ただ、懸命に話をしていて(きゃつは鋭い聞き手なので)
僕はだんだん「無神論者」でなくなっていくような気がした。


地球のように生命あふれる星の存在は、
無限の宇宙の中で極小の確率だ。
それでも息子が言うように、地球型の星はいくらでもあるだろうが、
人間が人間型の生命に出会う確率は、映画ほどには高くなさそうだ。


この宇宙の中で、地球はかわいそうなほど孤立した星。
そして、そこに生きるさまざまな生命も、地球の中で生きられるにすぎない。
99.9999999999999…%の非生命に囲まれた宇宙の中で、
まさにかけがえのない地球。


僕たちはなぜこの星に存在しているのだろう。


これほどの秩序、豊穣さ、生命や非生命たちが織り成す多様で複雑な活動…。
神がいないとしたら、僕たちは自分の存在を何と説明できるだろう。
植物の話から、とうとう最後は神の話になってしまった。


だから理屈っぽい息子と暮らしていると、疲れるのである。




【注】植物についての僕の知見は渡邊定元氏の『樹木社会学』による。
大部の労作を斜め読みしただけなので、理解力不足の可能性があります。


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