天皇陵詰め所《勝手に》内部公開
天皇陵の脇には
必ずと言っていいほど
附属の詰め所があります
坊はいくつか天皇陵に
行ったことありますが
中に管理人が
詰めてる姿は
見たことありませんね

参道には玉砂利が敷かれ心地よい感触が
音と共に伝わります
それと宮内庁のお定め書も必ずあります
内容は生き物や草木を
取るなの注意書きです

さて
詰め所内部って
こんな感じですよ

スチール製の机と椅子
棚の類
なぜか黒板
折りたたみ式の椅子5つばかり
消火器
掃除道具
こんなところか…
総て宮内庁の備品なり
高貴なんです
それだけで
どの御陵にもゴミ一つ
落ちてませんでした
当然犬のウンチなんて
あるわけありません
犬の散歩は御法度です

そんなことするヤツには崇徳院怒りのエナジーが
ドカンと脳天に落ちます
やはり高潔な志を持った御陵衛士が
そうとはわからないようやってきて
清めているんだろう

崇徳院の白峯御陵も
こんな感じでした
どうすれば
衛士になれるんだろ
今度桃山御陵管理事務所に行って聞いてみよ

京都の天皇陵の総元締めだからね

天皇陵まで散歩
坊の実家は
長岡京市にあります
実家から徒歩5分
後鳥羽院の承久の変に
連座した形で土佐に
配流となった
彼の息子
土御門天皇の御陵が
あります

後鳥羽院
新古今集の勅命者
当時定家と並び立つ
和歌の名手
鎌倉時代初期
源氏の武家支配に対し
天皇親政のため
打倒源氏に立ち上がった後の後醍醐天皇を
彷彿させる文武両道
その源氏系の長男が
土御門天皇
彼は母が源氏系のため
承久の変に際し
幕府のお咎めなしだった
しかし自らすすんで
流刑を望んだ
その姿潔し
阿波にて崩御後
長岡京の現地に埋葬

後鳥羽院の藤原系の息子順徳天皇は佐渡に
配流刑となり
彼の地にて崩御
御遺骸は京に帰れず
人の世の歴史とは
そうしたものだね

そして
後鳥羽院は隠岐の島に
流刑となり
彼の地にて崩御
嗚呼
崇徳院の御無念とぞ
だぶらすや
さても…
院御製
人も惜し
人も恨めし
あぢきなく
世を思うゆえに
もの思う身は
百人一首で一番好きな
歌です

