ひで坊の長浜→大津日記 -646ページ目

天皇陵詰め所《勝手に》内部公開


天皇陵の脇には
必ずと言っていいほど
附属の詰め所があります

坊はいくつか天皇陵に
行ったことありますが
中に管理人が
詰めてる姿は
見たことありませんね

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参道には玉砂利が敷かれ心地よい感触が
音と共に伝わります

それと宮内庁のお定め書も必ずあります

内容は生き物や草木を
取るなの注意書きです

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さて
詰め所内部って
こんな感じですよ

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スチール製の机と椅子
棚の類
なぜか黒板
折りたたみ式の椅子5つばかり
消火器
掃除道具
こんなところか…

総て宮内庁の備品なり

高貴なんです
それだけで

どの御陵にもゴミ一つ
落ちてませんでした

当然犬のウンチなんて
あるわけありません

犬の散歩は御法度ですダウン

そんなことするヤツには崇徳院怒りのエナジーがドンッドカンと
脳天に落ちます

やはり高潔な志を持った御陵衛士が
そうとはわからないようやってきて
清めているんだろう!!

崇徳院の白峯御陵も
こんな感じでした

どうすれば
衛士になれるんだろ

今度桃山御陵管理事務所に行って聞いてみよドキドキ

京都の天皇陵の総元締めだからね
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天皇陵まで散歩



坊の実家は
長岡京市にあります

実家から徒歩5分

後鳥羽院の承久の変に
連座した形で土佐に
配流となった
彼の息子
土御門天皇の御陵が
あります

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後鳥羽院

新古今集の勅命者

当時定家と並び立つ
和歌の名手

鎌倉時代初期
源氏の武家支配に対し
天皇親政のため
打倒源氏に立ち上がった後の後醍醐天皇を
彷彿させる文武両道

その源氏系の長男が
土御門天皇

彼は母が源氏系のため
承久の変に際し
幕府のお咎めなしだった

しかし自らすすんで
流刑を望んだ

その姿潔し

阿波にて崩御後

長岡京の現地に埋葬

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後鳥羽院の藤原系の息子順徳天皇は佐渡に
配流刑となり
彼の地にて崩御

御遺骸は京に帰れず

人の世の歴史とは
そうしたものだね

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そして
後鳥羽院は隠岐の島に
流刑となり
彼の地にて崩御

嗚呼

崇徳院の御無念とぞ
だぶらすや


さても…

院御製


人も惜し

人も恨めし

あぢきなく

世を思うゆえに

もの思う身は


百人一首で一番好きな
歌です


秀吉の長浜城乗っ取り

長浜城は秀吉が最初に
国持ちとなった時のシンボル

今や石田三成の城?
と間違えそうなイベント満載です

大河ドラマのパワー
恐るべしかな

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この光景

あの世で2人
どんな気持ちで
見てるのかな?


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長浜は秋祭りの
準備たけなわ

されば…

今宵



滴る

音に

重ね

聞く

祭の

拍子





太鼓


季節は神無月