京洛八社集印めぐり⑧
和気氏姉弟の実像
ワケワカランシ
と消化不良のまま
移動です
↓今出川通りより

白峯神宮です
ご祭神は
崇徳天皇
淳仁天皇
所謂
新院及び淡路廃帝ですね↓

五年ばかり前レンタカーで香川県坂出市の崇徳院旧跡巡りをしました
坊の人生の一大エポックとなった旅です
二年前には
秋季例大祭崇徳天皇祭に初めて詣ることができました
厳かな式典にただ感動
↓碑銘の意味がもひとつわかりません

社地は蹴鞠と和歌の宗家飛鳥井家の邸宅跡
摂社の精大明神は
飛鳥井家の守護神として祀られていたとのこと
つまり摂社の方が
本来古い
つまり
崇徳天皇淳仁天皇ともにこの地とご縁はないのです
白峯神宮自体は
歴史は浅く創建したのは父孝明天皇の遺志を継いだ明治天皇です
↓本殿正面
いつみてもおみくじの
自販機邪魔ぁ

今や球技の神様ですね
本来は蹴鞠の摂社がね
ご祭神にスポーツ祈願
なんてすごく変です
保元の乱の負け組
源為義為朝も伴緒社として祀られています
崇徳天皇祭は9月21日決して球技上達のお祭りじゃあありませんからねえ
スポーツ祈願が儲けの
手段になってしまい
本来のご祭神御鎮座の
意味合い
つまり
孝明天皇のご遺志が疎んじられてはおるまいか
崇道神社を見習って
頂きたい
坊
心の叫び
でした
ワケワカランシ
と消化不良のまま
移動です
↓今出川通りより

白峯神宮です
ご祭神は
崇徳天皇
淳仁天皇
所謂
新院及び淡路廃帝ですね↓

五年ばかり前レンタカーで香川県坂出市の崇徳院旧跡巡りをしました
坊の人生の一大エポックとなった旅です
二年前には
秋季例大祭崇徳天皇祭に初めて詣ることができました
厳かな式典にただ感動
↓碑銘の意味がもひとつわかりません

社地は蹴鞠と和歌の宗家飛鳥井家の邸宅跡
摂社の精大明神は
飛鳥井家の守護神として祀られていたとのこと
つまり摂社の方が
本来古い
つまり
崇徳天皇淳仁天皇ともにこの地とご縁はないのです
白峯神宮自体は
歴史は浅く創建したのは父孝明天皇の遺志を継いだ明治天皇です
↓本殿正面
いつみてもおみくじの
自販機邪魔ぁ

今や球技の神様ですね
本来は蹴鞠の摂社がね
ご祭神にスポーツ祈願
なんてすごく変です
保元の乱の負け組
源為義為朝も伴緒社として祀られています
崇徳天皇祭は9月21日決して球技上達のお祭りじゃあありませんからねえ
スポーツ祈願が儲けの
手段になってしまい
本来のご祭神御鎮座の
意味合い
つまり
孝明天皇のご遺志が疎んじられてはおるまいか
崇道神社を見習って
頂きたい
坊
心の叫び
でした
京洛八社集印めぐり⑦
護王神社本殿脇にある
招魂樹(おがたまのき)
↓座立亥串(くらたていぐし)です

二本セットで
一本をこちらに差し
もう一本は家に持ち帰り
神棚か玄関に掲げます
珍しい祈祷方法です
↓伊勢神宮遙拝所
特別な神事がありそう

↓境内北側は
少し込み入ってますなあ


↑こんな石碑も意外と
珍しい
道鏡排除のご託宣を
宇佐八幡宮より賜ったのが清麻呂公36才
彼
結構やり手とみた
出身は備前
吉備に近いが…
所詮地方のぽっと出
中央政界に
打って出たがりの
根っからの策士じゃあ
なかったか
平安京遷都の陰の首謀者だし
もっと着目したい人物です
将来
「岩倉具視は和気清麻呂の生まれ変わりだ!」
ってタイトルのトンデモ本書きたいねえ
外塀に展示されている
清麻呂大河ドラマや
和気氏歴代系図など
見所多し
境内に喫茶店もあり
なかなかいい神社でした
招魂樹(おがたまのき)
↓座立亥串(くらたていぐし)です

二本セットで
一本をこちらに差し
もう一本は家に持ち帰り
神棚か玄関に掲げます
珍しい祈祷方法です
↓伊勢神宮遙拝所
特別な神事がありそう

↓境内北側は
少し込み入ってますなあ


↑こんな石碑も意外と
珍しい
道鏡排除のご託宣を
宇佐八幡宮より賜ったのが清麻呂公36才
彼
結構やり手とみた
出身は備前
吉備に近いが…
所詮地方のぽっと出
中央政界に
打って出たがりの
根っからの策士じゃあ
なかったか
平安京遷都の陰の首謀者だし
もっと着目したい人物です
将来
「岩倉具視は和気清麻呂の生まれ変わりだ!」
ってタイトルのトンデモ本書きたいねえ
外塀に展示されている
清麻呂大河ドラマや
和気氏歴代系図など
見所多し
境内に喫茶店もあり
なかなかいい神社でした

