「後で判る本当の宝物」薬師寺管主 山田法胤さんのお話しから。その5 | 伊丹のおくりびと

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伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。

山田法胤さんのお話しもあと二つ。

二つ書いたら帰ります。

おつかれさまです、速水んです。



色々なお話をされた山田法胤さんが

自身の事も話して下さいました。



お寺に入ったのは16歳の1月



少し前に疎開するかどうかの話しが出ていた時に

自宅へ来られていたお坊さんが

「それならうちのお寺に来れば良い」と提案され

晴れて入山になったそうです。


龍谷大学を出られた当時

東京オリンピックに向けて盛り上がる世間。



僧侶を辞めて企業に就職しようと本気で考えた山田さんのもとへ

母から届く手紙には息子を思い遣る母の気持ちが綴られていた。



何度も何度も届く手紙。



母の想いに応えようと…

母が元気な間は僧侶を続けようと踏みとどまる。


母が亡くなってから企業に移っても良いかな?

なんて思ってたらずーっと八十幾つまで元気な母のお陰で

結局坊主をやってます。(笑)

そんな冗談を交えながら



50を過ぎた頃のとある同窓会での気付き。


同級生との話題は健康の話しと薬の話し。

みんな大きな企業に勤めてたり会社を経営していたり

立派な社会人になった友達の多くが薬漬けになっている現実。

そして山田さん自身は全く薬に頼らず暮らせている事実。



入山して粗食を続けたお陰でもの凄く健康な体を維持できている。




その事実に気付いた時には心から母に感謝したそうです。



母の想いに応える為に辛抱に辛抱を重ねた結果



健康という大きな宝物を手にする事が出来た。



今思えば

重ねて来た「辛抱」そのものが大きな宝物だと思う。



本当に大切な事って

後から振り返った時に実感する事が出来るんです。


どうか子供達にも「辛抱」する事を教えてあげて下さい。



その価値に子供達が気付くのは

ずっと後の大人になってからですが

大切な事だと思います。




そう話された山田法胤さん。



考えてみれば

学生の時に部活で続けた辛抱我慢のように

自分自身にも当てはまる事が幾つもありますね。



その時には価値を見いだせなくても

楽な方に逃げずに続ける事の大切さ



いつか必ず「よかった」と思えるように

今を丁寧に生きたいと思いました。


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