「熏習(くんじゅう)」 薬師寺管主 山田法胤さんのお話しから。その2 | 伊丹のおくりびと

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伊丹市の幸せ創造企業 速水葬祭二代目創業者 速水英城です。
色んな所で様々な人々に支えられご縁を頂き毎日を過ごしています。
感謝を込めて綴ります。

霧の中を行けば覚えざるに衣服が湿る

善き人に近づけば覚えざるに善き人となる

だそうです。

おつかれさまです、速水んです。



山田法胤さんはこう話されました




* * * 前略 * * * 

霧の中を行けば覚えざるに衣服が湿る

善き人に近づけば覚えざるに善き人となる



昔、俱胝和尚に仕えた弟子の童子は

いつ学び、いつ修行をしたともみえず

覚えざるに久修に生活して悟道を得たり



熏とは燻す事。

熏習とは身に浸み込む学びの事。



身に香りが浸み込む様に

教えが身に浸み込む事。



言われた事で何かを学ぶのは「意識」

言われ続けて実体験し続ける事で得る学びは「無意識」



その環境に身を置き続ける事で「無意識」に身に浸み込む事



今日、私が話している今、寝ている人も居るけど

それはそれで良いんです。

その人の「無意識」には働きかけれてますから(笑)

((そんなジョークを交えながら))



家庭教育でも同じ事が言えるんです

親から一度言われた事を行動したからって行儀のいい子にはなれない



言われ続けて、行動し続けて、

その行動が当たり前になった時、

言われずにでも自らその行動をとれる様になって初めて

「身に付いた」事になるんです。


* * * 
以下略 * * * 


親が教育の為に子供に言っている事と

子供の目に実際に映っている親の行動が一致させる事が大切なんですね。



霧の中に居たら

いつの間にか衣服が濡れる様に

教えの中に居ることで

いつの間にか教えが身に付く。



学びの中に居続ける事で

学び続ける事で

学ぶ習慣が身に付く。



大人になった僕は

何処に居る(居続ける)のか

誰と居る(居続ける)のかが大切だと思い行動をしている



家庭において子供の周りにどんな環境を作るのかは

大人の責任ですね。



会社において社員さんの周りにどんな環境を作るのか

社長の責任ですね。


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