2018-2-16 外来 あの日から3年  | hideのブログ 越えて生きていく 急性前骨髄球性白血病 (APL)

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2015年2月24日に白血病を告知され緊急入院、同年11月28日まで入院、通院にて抗がん剤治療を受ける。
2016年1月より2年間の維持療法開始、職場復帰を果たす。
2017年11月に維持療法を終えて経過観察に入る。
白血病越えて生きていくオッサンの記録です。

今日は3ヶ月ぶりの外来でした。 

経過観察に移行してから初めての外来になります。 
通院の間隔がこんなに開いたのは、この病気になってから初めてです。 







3ヶ月前のマルクは問題無かったことを確認しました。 
既に検査から3ヶ月も経っているので、マルクの結果は殆ど気にしていませんでした。 

白血球、血小板が若干下限値を下回っていますが、それ以外は正常値でした。 
それについて主治医は問題にはせず、この先も経過観察が続きます。

末梢血でのPCR検査は保険適用外になるので経過観察では行わないと聞いていましたが、それは誤りだった様でこれからも続くとのことです。 
私の場合、APL212プロトコルの臨床試験に参加している為、この検査について健康保険は適用されるそうです。 

WBC      3700  (3600) 
PLT        137000 (140000) 
ALT        25 (17) 
AST        31 (23) 
γGTP      24 (27) 
WT1       検出未満 (検出未満) 

そして白血病の告知を受けたあの日から3年が経とうとしています。 

何週間か前から次々に体に異変を感じ、受診する覚悟を決めたあの日。 

自分の身に起きた多くの異変を書いて持って行ったメモが今も捨てられずにいます。 
首から下げている御守りと一緒にして今でも大事に持っています。 


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約3週間前        
左腕に直径5センチほどのアザが出来、約1週間で消える 

約2週間前        
左足太ももの裏に直径10センチほどのアザが出来、約1週間で消える 

約1週間前        
両足の膝の半月板周辺全体に血が滲んで内出血しており、歩いたり膝を押えると痛みがある。内出血は徐々に今も拡がっている。
唇に1ミリくらいの血豆ができて2、3日程で消える。 

3日前                
左脇腹、左胸、臀部にかじったような小さなアザが出来る。 
歯茎から少し出血するようになり、出血が今も続いている。 

昨日から       
37℃の微熱 
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とにかく体中から出血してました。 
そしてあの日の血液検査の結果は下記の通りです。 
これで日常生活していたんだなぁと考えると恐ろしいです。 

(2015年2月24日の検査結果) 
WBC        900 
PLT        21000 







診断の時には既に白血病M3の特徴であるDIC(播種性血管内凝固症候群=体中の血液を固める凝固作用と固まった血液を溶かす作用(線溶)が同時に無秩序に起こり、全身に血栓が生じて血管が非常に切れやすい状態)になっており、移動は車椅子に。 
脳や内臓の血管がいつ切れてもおかしくない状態だと言われ、1週間から10日間が特に危ないと主治医から説明を受けました。 

先週まで普通に職場へ出勤していた自分が、いきなり1週間先に生きていられるかわからない自分に変わった、、、。 

そして闘病生活が始まりました。 

当日からM3白血病の特効薬であるベサノイドが始まり、その夜は何回もまで血小板の輸血を受けました。 
輸血のアレルギー反応で熱が出て夜中に血培、体中に発疹が出て痒かったです。 

殆ど眠れず朝が来ました。 







それまでは自分にとっては遠い世界の話だと思っていた「生」と「死」。 

入院や通院で医療機関にお世話になって初めて、世の中にはこんなに沢山の重病人がいたのかと驚かされました。 

そしてそこでは、入院している全ての人に必ず平和な朝がやって来るとは限りません。 
まだ入院して間もないころ、夜中に隣の病室の方が亡くなられたことがありました。 
ご家族の悲痛な声に怯え、次は自分かも知れない、、、とても怖かったことを思い出します。 
こうして朝が来ることは当たり前じゃないんだと病気になって初めて知りました。 







そんなあの日から約3年。 

もう3年? やっと3年? 

経過観察開始から3ヶ月目を迎え、3ヶ月に1度の通院日を忘れてしまうのが心配になるくらい病気の事が頭から消えている事が多くなりました。 
維持療法が終わってからは更に体調も良くなり、体感的に病気になる前とほぼ変わらない状態です。 

相変わらず耳鳴りは凄いですが、、、。 
抗がん剤は神経系にもダメージ与えるんですね。 
でもあの病気に比べたらそんな事は全然大したことでは無いです。 

看護師さんに車椅子を押してもらっていた体のデカいオッサンが、今では海外にも一人で行けるくらいに回復できたなんて、あの日の自分には想像できなかったことです。 







新年早々、京都のガン封じのお寺、平等寺で御祈祷をして頂いた時、ご住職がお話してくださいました。 

「おふだは家の北側に置いてください。 
埃をかぶって存在を忘れてしまっても構いません。 
おふだに頼らなくなるということは病気は治ったという事なのですから。 
その時になったらおふだや御守りを返しに来てください。」 

今の自分は病気が治ったというところまでは来ていないかも知れないが、ご住職が仰っていたようにおふだの存在を忘れて日常生活を送ることが出来ています。 
ふとした時に思い出し、おふだの埃を払い、こうして日常生活を送れている事に感謝する、、、そしてこの日常がこれからも続くように手を合わせる、、、そんな繰り返しの日々が何よりの幸せだと、、、そう思います。 

病気のことが頭から消えている時間が長くなると、自分の中であの日の記憶が色褪せていくのが分かります。 
忘れる事は仕方のない事だと思うけど、あの日々の全てを忘れてしまっている訳ではありません。 

世の中には日常に感謝することすら叶わず、命を落とされる方が大勢いらっしゃいます。 
今の状況を幸せと思わなければそんな方々に申し訳ない気持ちになります。 







自分の人生に大きな影響を与えた白血病。 
発症から3年経ったとは言え、まだ再発や抗がん剤治療による二次がんのリスクがあるのは事実です、、、。 

そもそもガンになってしまった自分というのは、もしかしたら元々ガンになり易い体質なのかも知れません。 
この病気になって、いつもこころがモヤモヤしていたのは、自分の体ではあるけど自分の力ではどうする事も出来ない、不確実で不安定な状態が長く続くことが原因だったのだと思います。 

白血病がここまで回復できるようになった今の医学の進歩に感謝しつつ、もっと苦しまずに、そしてもっと確実に治せる治療が早く生まれることを願うばかりです。 







でも考えてみれば、この世の中は不確実なことで溢れています。 

ガンの5年生存率も、人の一生も、気象や地震、火山噴火などの自然災害、突然の事故、世の中の景気などなど、、、確実なものの方が少ないのかも知れません。 

人は常に多くの不確実なものの上に生きていて、だからこそ、支え合ったり、愛し合ったり、献身的になれたり、、、そして不確実だからこそ、色々な可能性をも秘めているのだと思います。 

病気というのはこの世の中の多くの不確実なもののひとつに過ぎず、なってしまったのは誰のせいでもなく、偶然、不運にもそれが自分に降りかかってしまったものかと思います。 







病院帰り、市内にある梅園へ来ました。 

4分咲き位でしょうか。

まだまだ空気は冷たいけど、梅の花の香りに今年も春の訪れを感じます。 







春はすぐそこまで。 

今も闘病されている方々とご家族の辛い日々の中にも、ほんの少しでも笑顔になれることがありますように。