橘122期の卒業とともに123期が引き継ぐ新たな年度の始まり・・・橘ファンとしてワクワク感も一層高まります。
2月の闘病明け後、3月に入ってから居住地域の自治会長に就任、前年度の引き継ぎやら多方面への交代手続きやら挨拶等々、昨日までてんてこ舞いの日々が続き、やっと一息つけるようになりました。それにしても日本中がこの4月という時期は慌ただしいですね。行政や学校然り、桜も満開したと思ったら強風で文字通りの「桜ふぶき」の中でのお弁当、なんてことも・・・。
トルコに続き次の海外出張はインドネシア。既存工場増産のため日本国内の中古設備を移設する仕事で、トルコから帰国後休む暇無く40年来稼働して来た古設備の現物チェック・・・これがまた大変な作業で、部品、配線一点々々にタグをつけて写真撮り。90年代バブル崩壊が始まった頃ですから特にコストダウン重視、絶頂期なら新設する設備も中古での輸出に。配線ケーブルは途中切断せずに原寸のまま解体して、現地でそのまま組み上げるというもの・・・オーバーホールで外注に出した分も併せて輸出手続きが完了した時点で出張の準備開始。「渡航予防接種」も初めてでしかも「コレラ」だったのには閉口。先輩からは「現地での治療薬は強烈で後遺症が残るからな!」と冗談では済まないアドバイス。
しかも現地入りしている出張者からは「お粥パック、梅干し」のリクエスト、何やら現地の食事で腹を壊すとのこと。お陰で30kgのトランクの半分が上記の品で一杯に・・・。
早朝の羽田からマレーシアのクアラランプールでトランジット、2時間余り空港内を散策して夕方にジャカルト郊外のスカルノ・ハッタ空港に降り立つ。空港内は前回の出張時とは違い異様な匂い・・・後で解ったことですが戦後日本でも一時期若者に人気だった煙草「グダン・ガラム」の香りがそこら中に漂う中、迎えの車で小1時間ほどでジャカルト市内の中心部にある日航ホテルに到着。しばらくの間の宿泊になるのですが、それにしても道中の混雑ぶりに驚くばかり、帰宅時間帯とはいえその無秩序さ、クラクションの応酬、60年代高度成長期の東京の道路事情を凌ぐ有様に2度目のカルチャーショックを受けました。
次回は1度目のショックから紹介したいと思います。
ではまた、ごきげんよう。