京都橘高校吹奏楽部との出会い 閑話休題10 | hide4641のブログ

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トルコ出張の思い出続きパート2です。

 

前回記した私自身の体験から不思議に感じた現地の人々の親日性について・・・昭和世代の方なら当時連日連夜報道されていたのでご存知の方も多いと思います、1985年イラン・イラク戦争勃発時、テヘランに取り残された多くの日本人をトルコ航空2機が決死の飛行で救出をしたという話。実際色々あったようですが・・・

イズミットの革ジャン店でチャイをご馳走になりながら50過ぎの店主と雑談した際、時節柄その救出劇の話になり社交辞令のつもりでお礼を言ったら「恩返しさ」の返。何処に行っても「どうして日本人に親切なのか」と訊ねると返ってくるのは「恩返し」の一言。

 

明治維新前後の外交史を知る方はご存知の「エルトゥールル号海難事件」(詳細は割愛します)。オスマン帝国皇帝の派遣した軍艦が公式行事を終えての帰路、台風により紀伊大島の岩礁に衝突沈没、500名余の死者を出した日本海難史上最大級の事故。台風の下、村民総出の必死の救出。ろくに暖を取るのもままならぬ状況下で男達は海に飛び込み負傷者や遺体の引き上げ・搬送、何と女達は老若問わず負傷者を抱きながら素肌で暖めるという献身・・・高校の世界史の先生が授業で熱弁を振るっていたのを思い出しました。

 

事故から100年経ったこの時でも、たかが若輩の一日本人に接する人々に対して覚えた不思議な感覚・・・現地で実際にこの身で体験してみないと解らないものですね。

業務の目処も立ち久々の休日にイスタンブールを訪れた時、西側のヨーロッパと東側のアジアを分けるボスポラス海峡に架かる「ガラタ橋」の欄干にもたれて夕陽を見ていると、遠く日本から地中海を経てマルマラ海をゆっくり遡上して来る帰還兵を乗せた日本の巡洋艦とそれを歓呼で迎えるトルコの人々の姿が目に浮かぶようで思わず感涙したのも懐かしい思い出。

 

もう一つ、前述の店主の実体験として話を聞いたのが朝鮮戦争。米軍主体の国連軍先兵として当時最強と言われたトルコ兵とグルカ兵が常に最前線に送られていたという話。店主も若くして従軍していて、負傷して運ばれたのが下関の民間病院(サンフランシスコ平和条約締結は1年後なのでまだGHQ管理下)、言葉が不自由な自分を家族のように親身なって看病してくれた日本人の親切さに感謝しきれないほどだと、腕や足の傷跡を見せながら懐かしそうに話してくれた。多くの傷病兵同胞が日本各地で同様の待遇を受けたそうで、曰く「受けた恩は必ず返す」と。教科書には出て来ない歴史の一頁を勉強したひと時でした。

それにしても話ながら何杯もチャイを勧めてくれるのには、さすがに閉口!(苦笑)

 

ではまた、ごきげんよう。