前回の続きになります。
昨日はジジババコーラス隊の練習日でした。何か落ち込んだ様子で帰宅した家内・・・「先生にドヤされちゃった」とか。おかしな振り付けでもやったんじゃないの?と笑いながら理由を聞いてみたら、一所懸命ハモろうとしていて「何、それっ?!」と止められたとのこと(そりゃあ、以前の練習録画を見れば然り)、ところが! 彼女「ハモろうとやっているつもりです」と答えたら先生曰く「つもりじゃダメなの、本気出しなさい!」・・・あれ?似たような光景どこかで見たような???
『笑こら・吹奏楽の旅』の『このみちゃん』だぁ~・・・「プロじゃないんだから、ド素人が一人前にやろうとしたって無理。私たちが何故このコーラスをやってるのか良く考えて」「先ず自分が楽しいと思えるように、全身を使って大きな声で、おもいっきり歌いなさい。皆がそういう想いで歌えばその気持ちが自然にハーモニーになって観てくれる人たちに伝わるもの」だとか・・・。
何故か考えさせられました。
件の「笑こら」などでも、必死で音や振りを合わせようと練習して臨んだ大会で「金賞、やったぁ!」「銀賞、残念!」と観ていたけれど、視点を変えると見えて来るものが違う気がします。私が「音」に拘るのは「正しい奏法、多彩な音楽表現」との思い込み、その視点で見ることに慣れ過ぎていたのかもしれません。「プロじゃないんだから」・・・確かに中高生の演奏は未熟、されど私が初めて橘に触れた2015年のマーチングコンテスト動画での「トランペット」の音色、そこに感じた感覚が甦りました。つたなさの中に仲間と一緒に晴れの舞台に立って自分の精一杯の力で吹く姿、奏でる「音」の優しさが心に染み入って来るあの感覚・・・。
構成係?の生徒達が考え出す振り付けにしても、先ず自分たちが楽しいと思えるもの、それを観る人たちにも伝えよう、と出来上がって来ているのかなぁと。金賞とか銅賞とか何も橘だけの話ではなく、その時、その場所で彼ら彼女らが受け手側に何を伝えようとしているのか、私自身にとってもそれをしっかりと受け止めることなのかなと考えてしまいました。橘ウィルスに感染して、まだまだ熱は下がりそうもありません
それにしてもジジババの先生、ひょっとして「橘派」?アレンジャーの仕事ってキツいのかここで鬱憤晴らしに楽しんでる?なんてゲスの勘ぐりしたりして。しばらくは我が家の「ドタバタ音」も鳴りを潜めると思いきや、今は「超ド級騒音」かぇ!(苦笑)
ではまた、ごきげんよう。